第四章

第15話 鎮守の沼にも蛇は棲む①

家族、友人、仕事仲間、上司、今まで担当していた小説家。灰塚さんの通夜には多くの人が訪れていた。皆、目に涙を溜めている。


 僕も黒い喪服に身を包み、通夜に参列した。受付の人に香典を渡し、自分の名前を記帳してから葬式会場の中に入る。

 葬式会場にはたくさんの椅子が並べてあった。灰塚さんの顔を一目見ようと思ったが葬式会場の中に棺はなかった。その代わり、遺影の前に骨壺が置いてある。

 時間となり、お坊さんが入場し通夜がはじまった。お坊さんの読経を、目を閉じて聞く。

 読経が終わると焼香、さらにお坊さんの法話を聞く。最後に喪主である灰塚さんの奥さんが参列した人達に挨拶をして通夜は終わった。

 この後、参列者をもてなす通夜ぶるまいが行われたが、僕はそれには参加せず会場を後にした。

 翌日の葬儀も問題なく行われた。

 灰塚さんの奥さんと中学生程と思われる子供達二人の目が、赤く腫れていたのが印象に残っている。


「この度はご愁傷様でした」

 葬儀の最中、僕は灰塚さんの奥さんに話し掛けた。

「私は灰塚正人さんが担当していた作家の米田と言います」

「まぁ、貴方が……この度はわざわざありがとうございます」

 灰塚さんの奥さんの顔がほんの少しだけほころんだ。

「主人から米田先生のことはよく聞いていました。主人がお世話になりました」

「いえ、世話になっていたのは、私の方です。灰塚さんがいなければ私は作家になれていなかったでしょう。灰塚さんは私の恩人です」

「そう言ってくださると、主人もとても喜ぶと思います」

 灰塚さんの奥さんが遺影をチラリと見た。

「棺がないなんて変ですよね?」

「えっ、いや……」

「いいんですよ。皆さん気を使っていらっしゃるけど、心の中で思っているはずだもの」

 灰塚さんの奥さんは疲れた表情で笑う。

「主人の遺体は、とても見せられるようなものじゃなかったんです。だから火葬を先にしました」

 本来なら火葬は葬儀の後にする。だけど、遺体の損壊が激しかった場合などには、火葬を先にして、それから葬儀を行う場合もあるという。その場合、葬儀には遺体ではなく、遺骨を置くことになる。

「こんな事を言うのは心苦しいのですが……」

「何でしょう?」

「灰塚さん……ご主人は一体どのようにして亡くなられたのでしょう?」

「……」

 奥さんが黙ったのを見て、僕は慌てた。しまった。他人が踏み込み過ぎたかと反省する。

「申し訳ありません。言いたくないのなら」

「いいえ、違うんです!」

 灰塚さんの奥さんは首を左右に激しく振った。

「夫がどうして亡くなったのか……実はよく分からないのです」

「分からない?」

「夫が亡くなったのは仕事先に向かう途中だったそうです。通行人によると歩いていた主人は急に苦しみだして倒れたそうです。最初は急性の心臓麻痺かと思われたそうなのですが、病院によると夫の全身には『凄い力で、強く締め付けられた痕』があったのだそうです」

「締められた痕……」

「警察には何か知らないかと聞かれました。でも、昨日お風呂から上がった主人を見たのですが、そんな痕どこにもありませんでした」

「そうでしたか……」

「亡くなった主人の顔を見ましたが、とても苦しそうな表情で亡くなっていました。まるで、死んでからも苦しんでいるようで……早く解放してあげたいと思いました」

「それで火葬を先にしたんですね」

「はい、一刻も早く主人を解放してあげたくて」

「そうだったんですね。失礼しました。辛いことを聞いてしまって……」

「いいえ、大丈夫です。いい加減落ち込んでばかりもいられません。子供たちのためにも私がしっかりしなきゃいけませんものね」

 そう言って、灰塚さんの奥さんは気丈にほほ笑む。とても強い人だと思った。

「何かあれば言ってください。僕にできることがあれば何でもします」 

「ありがとうございます。では、一つだけ」

「何でしょう?」

「いい小説を書いてくださいね。主人もそれを望んでいると思いますので」


 葬儀が終わった後、同じく参列していた里山編集長と話した。

「米田さんの担当に関してはできるだけ早く新しい担当者を手配します」

「はい」

「米田さんが今、執筆している小説に関してはそのまま進めていてください」

「はい」

「大丈夫ですか?」

 里山編集長の口調が事務的なものから、いたわるものに変わる。

「米田さん。お辛いとは思います。しかし、今は小説を完成させることが灰塚に対する供養になると私は思います」

 里山編集長は優しい表情で微笑む。

「灰塚はいつも米田さんのことを話していましたよ。飲み会の時も『米田さんは必ず面白い小説を書き上げる!』と言っていました」

「───ッ!」

 通夜や葬儀の時では涙は流れなかった。遺体がなかったということもあり、灰塚さんが死んだという実感が湧かなかったからだ。

 でも、里山編集長の話を聞いて、僕はいつの間にか涙を流していた。

「いい小説を書きましょう。灰塚のためにも」


『いい小説を書いてくださいね。主人もそれを望んでいると思いますので』

『いい小説を書きましょう。灰塚のためにも』

灰塚さんの奥さんと里山編集長の言葉が僕の背中をポンと押してくれた。僕は誓う。灰塚さんのためにもいい小説を書き上げようと。

 里山編集長との話が終わった後、僕は携帯電話を取り出し、電話を掛けた。


「猿木さん?今からそっちに行ってもいい?」

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