第13話 杯中の蛇影③
伊那後さんが会うのに指定した場所は、とてもレトロな喫茶店だった。中に入ると、心地いいコーヒーの香りがした。
「えっと、伊那後さんは……あ、居た」
店の奥の窓際に伊那後さんが座っている。
「お待たせしました」
僕が挨拶すると伊那後さんは頭を深く下げた。
「わざわざ……すみません」
「いえ……」
最初に会った時と少し印象が違う。あの時の伊那後さんは人から目を逸らして、どこか怒っているようにも見えたけど、今の伊那後さんからはそんな気配を感じない。
「ご注文はいかがなさいますか?」
定員さんがやって来たのでアメリカン・コーヒーを注文する。僕が注文すると伊那後さんが口を開いた。
「ここ……お気に入りなんですよ。とても落ち着いていて……執筆がはかどります」
「そうなんですか。いい店を発見できてよかったです」
しばらくすると注文したコーヒーが運ばれてきた。一口飲む。うん、美味しい。
「ところで、今日はどうされたんですか?」
「……あっ……えっと」
伊那後さんは何かを言おうとして口ごもる。
僕は少しだけ警戒心を上げた。伊那後さんに『白い大蛇』が憑いている可能性がないことは明白だ。だけど、呼び出しの理由を伊那後さんは「直接会って言いたい」と、電話では教えてくれなかった。伊那後さんが何を考えているのか分からないため、自然と疑心暗鬼になる。
「どうかし───」
「あ、ありがとうございました!」
伊那後さんは大声でそう言うと、机に額をぶつけた。ゴンと大きな音が店内に響く。
「うえっ?」
ビックリして変な声が出た。伊那後さんは机に額を付けたまま顔を上げない。
「伊那後さん⁉あの?」
僕がどうしようかとオロオロしていると、伊那後さんはテーブルに額をつけながら叫んだ。
「あの時は、助けていただき、本当にありがとうございました!」
一瞬、何の事かと思ったが、僕はポンと手を叩いた。
「もしかして……あのパーティーでのことですか?」
僕が尋ねると、伊那後さんは「そうです!」と叫んだ。
「お、俺、俺が、今生きていられるのはあの時、米田さんが助けてくれたからです。ほ、本当に……ありがとうございました!」
「あ、あの!頭を上げてください!」
テーブルに伏せたままの伊那後さんに頭を上げてもらうように頼む。
「気にしなくて大丈夫ですよ。僕が勝手にやったことですから」
「いいえ、本当はあの後、直ぐにお礼を言うべきだったのに……本当にスミマセンでした!」
伊那後さんはまたしても、額をテーブルにゴンとぶつける。
「わぁ、だ、だからいいですって!」
こんなやり取りを何度か繰り返し、ようやく伊那後さんは頭を上げてくれた。
「俺……苦手なんですよ。人と話すの……」
伊那後さんは完全に閉まり切っていない蛇口から漏れる水のようにポツリ、ポツリと話し出す。
「小説家を仕事に選んだのも……最小限の人付き合いで済むと思って……本を読むのが好きだったから……向いているかもって……」
「なるほど」
「本当は、あのパーティーにも……行きたくなかったんですけど……担当の人が『最低限の人付き合いは必要だから、行った方がいい』って……」
パーティー会場で伊那後さんがほとんど人と話していなかったのは、単に人と話すのが怖かったからなのか。
「米田さんが助けてくださった時、お礼を言おうとしたんです……ですけど……どうしても……話し掛けられなくて……」
「もしかして、あれからずっと悩まれていたんですか?」
伊那後さんはゆっくりと首を縦に振る。
「言わなきゃ……言わなきゃって思ってたんですけど……勇気がなくて……こんなに時間が掛かってしまって……すみませんでした」
伊那後さんの目に涙が溜まる。
「米田さん、怪我してたし……そのことも謝まらなくっちゃって……俺……」
「大丈夫ですよ」
最初に会った時は正直、無愛想な人だと思った。でも、どうやらそのイメージは大きく修正する必要があるようだ。
「お礼を言ってくださってとても嬉しいです。それに、僕も謝罪しなくちゃ……」
「えっ?」
「最初、伊那後さんから連絡を頂いた時、なんで僕と会いたいんだろうって、少し警戒していました。でも、まさかお礼を言うためだなんて……僕の方こそすみませんでした」
伊那後さんに倣って僕もテーブルに額を付けた。
「えっ、あっ、い、いいですよ。気にしてませんから!」
今度は伊那後さんが慌てる番だった。
「ふ、不審に思って、あ、当たり前です。要件も言わずに呼び出したんですから……気にしないでください」
「ありがとうございます」
僕は額をテーブルから上げ、ニコリと笑った。そこでやっと、伊那後さんも笑ってくれた。
「あっ、こ、これつまらないものですが……」
伊那後さんは紙袋を渡してくれた。中に入っていたのは知る人ぞ知る高級菓子だった。
「い、いいんですか?こんな高いもの」
「は、はい。こ、これでも安すぎると思っていますので」
「いいえ、十分ですよ!ありがとうございます」
僕がお菓子を受け取ると、伊那後さんはホッと息をついた。
「よ、米田さん……今日はまだお時間ありますか?もっと、お話ししたくて……」
「はい、大丈夫ですよ」
本当は小説が煮詰まっているので、全然大丈夫じゃないけど、大丈夫だと言っておく。きっと未来の僕がいいアイデアを出してくれるはずだから。頼んだぞ未来の僕。
未来の自分に責任を丸投げした僕は、伊那後さんと色んな事を話した。どこに住んでいるか?とか、家族の事とか。
でも、僕達は小説家。最終的に話は自然と小説の事になる。
「米田さんは……僕達が書いた小説に順位を付けるとしたら……自分の作品は何番目だと思いますか?」
突然の質問に僕は「ん~」と頭を捻った。
「僕達の小説というのは、伊那後さんと僕、そして鯰川さん、蝶野さん、華我子さんの小説……ということですか?」
「はい、そうです」
とても答えづらい質問だ。色んな意味で。
「売り上げを見れば、僕の作品は四番目ですね」
ちなみに売り上げ第一位は圧倒的に華我子さんの『捕食探偵』、二位が伊那後さんの『輪廻の鋼』、三位が蝶野さんの『記憶の底の殺人』、四位が僕の『雲薙の剣』、五位が鯰川さんの『魔法対戦』だ。
「売り上げではなく、米田さん個人が面白いと思った順位を教えてください」
「僕個人が……ですか」
ポリポリと頬を掻きながら僕は言った。
「自分の小説はどうしても主観が入ってしまい、客観的に見れないので答えられませんね」
「じゃあ、ご自身の作品を除いて順位を付けるとしたら……どうです?」
伊那後さんは食い下がる。
「そうですね……う~ん」
「お、教えてください。誰にも言いませんから!それに……お、俺も自分が考えた順位をお教えします!」
「……分かりました」
伊那後さんの目は真剣そのものだった。その澄んだ目に押され、僕は自分の考えを正直に述べることにした。
「まず、一番は華我子さんの『捕食探偵』です」
これは圧倒的に一位だ。ストーリー、キャラクター、文章、どれを取っても文句なしの第一位。
「……はい」
伊那後さんは悔しそうに頷いた。伊那後さんも分かっているのだろう。あの化け物小説の凄さを。
フォローするわけではないが、僕は付け加える。
「さっき、伊那後さんに『自分の小説は客観的に見れない』と言いましたが、この作品に関してだけは別です。『捕食探偵』と僕の作品では圧倒的に『捕食探偵』の方が面白い」
これは真実だ。僕の書く小説は彼女の域にはとても及んでいない。
「伊那後さんもそう思いますよね?僕と華我子さんの小説なら、華我子さんの小説の方が圧倒的に面白いと」
「あ、えっと圧倒的に……ということはないと思いますが……そうですね。はい」
伊那後さんは申し訳なさそうに頷いた。でも、真実なので彼が気にすることは何もない。
「じゃ、じゃあ、次に面白かったのは?米田さんご自身の作品を除いて」
その質問に、僕は間髪入れず答えた。
「次に面白かったのは……伊那後さんの『輪廻の鋼』です」
伊那後さんは小さな声で「ありがとうございます」と言った。
言葉とは裏腹にあまり嬉しそうではない。おそらく、一位でないのが悔しいのだろう。そして、僕の考えに間違いがなければ、もう一つ理由がある。
「次に蝶野さんの『記憶の底の殺人』、最後に鯰川さんの『魔法対戦』です」
「そうですか……」
伊那後さんはコーヒーを一口飲む。
「つまり、米田さんの考える順位は、ご自身の小説を抜けば売り上げ通り、ということですね?」
「そうなりますね」
「そうですか……」
「伊那後さんは違うんですか?」
「はい、僕が考える順位は売り上げ通りではありません」
約束通り、伊那後さんは自分が考える順位を教えてくれた。
「まず、華我子さんの『捕食探偵』が一位。これは米田さんと一緒です」
まぁ、そうだろうな。
「ただし、次が違います。俺が二番目に面白いと思った小説は……米田さんの小説です」
僕は驚き、思わず自分を指さした。
「僕の小説……ですか?」
「はい」
伊那後さんは即答する。その言葉にお世辞は感じられない。
「俺も……自分の作品は客観的に見ることができないので……俺の作品を抜いた順位は、一位が華我子さんの『捕食探偵』、二位が米田さんの『雲薙の剣』で後は同じです」
ということは伊那後さんの考える順位は、一位が華我子さんの『捕食探偵』、二位が僕の書いた『雲薙の剣』、三位が蝶野さんの『記憶の底の殺人』、四位が鯰川さんの『魔法対戦』か。
「米田さん」
「はい?」
「米田さんも『記憶の底の殺人』と『魔法対戦』はあまり面白いと思っていませんよね?」
「……」
伊那後さんの質問を僕は無言で返した。
米田さんも、ということは伊那後さんも同じことを考えていたのか。
さっき、僕が伊那後さんの作品が二番目に面白かったと言った時、伊那後さんがあまり嬉しそうでなかったのは、自分の作品が一番出なかったことと、蝶野さんと鯰川さんの作品が自分の作品よりも『圧倒的に劣っている』と感じていたからだろう。
自分より圧倒的に劣っている作品の上に立ってもあまり嬉しくはないはない。
「正直、お二人の作品は面白いと感じませんでした。なんで、あんな作品が連載されるのか、俺には全く分かりません!」
伊那後さんの口調には怒りが混じっている。
「しかも、米田さんの小説よりも売り上げが多いだなんて……あっ、し、失礼しました」
「いえ、お気になさらないでください。……ちなみに、どうしてそう思われたのですか?」
「えっと、ですね……まず、蝶野さんの作品は暗すぎます」
伊那後さんは蝶野さんの小説を一刀両断する。
「別に内容が暗いからダメだと言っている訳じゃありません。暗い内容の小説でもすごく面白い小説はたくさんあります。だけど、蝶野さんの小説は面白くない。蝶野さんの小説は終始暗いだけで、話の盛り上がりや展開がない。正直、途中で飽きてしまうんですよ」
最初はゆっくりだった伊那後さんの口調は、話すにつれて段々と早くなっていく。
「鯰川さんの小説に至っては全く話になりません!」
「どんな所が?」
「物語が主人公の都合の良いように進み過ぎる点です。仲間がどれだけ敵にやられても、主人公は偶然助かる。敵を倒すのもご都合主義な展開がほとんど。しかも敵を倒すことができたのは仲間の支援によるものなのに、仲間に感謝せずまるで敵を倒したのは自分の力のように振る舞う。でも、作中の誰もそれを批判しない。主人公と敵対しているはずのキャラクターでさえ、そのことを指摘せず遠回しに主人公を褒める」
伊那後さんはさらにヒートアップする。
「それでも主人公に魅力があればいいですよ?でも、鯰川さんの小説の主人公には魅力を全く感じられない。敵に説教している場面がありますが『人を殺しても誰も幸せになれない』とか『復讐は何も生まない』とか言いながら、自分は人をバンバン殺しているんですよ?説得力ゼロですよ。ひどい所だと二ページ前に言っていたことと反対のことを言っていたりします。言動に全く整合性がないんです。読んでいる最中何度『はぁ?』って言ったか分かりません。担当の編集者は本当に仕事しているのかと疑いたくなりますよ。他にも……」
「そ、そのぐらいで」
自分で振っておいてなんだが、このまま喋らせておくと朝まで掛かりそうだったので止めた。伊那後さんは「すみません」と頭を下げる。
「俺はずっと、小説家に憧れていました。でも、やっとなれた小説家があんな人達と同じだと思うと……」
「伊那後さんの考えはよく分かりました。では、僭越ながら僕の考えを言ってもいいですか?」
「どうぞ」
「確かに面白くない小説はあります。ですが、それはあくまで僕の感想です。人によって面白いと思う小説は違いますし、面白くないと思う小説も違います」
伊那後さんは黙って僕の話を聞いてくれる。
「だから小説も色々なものがあっていいと思います。伊那後さんは面白くないと感じたかもしれませんが、蝶野さんと鯰川さんの小説を面白いと言う人もいます。蝶野さんの小説に関しては僕の小説よりも面白いと言う人のほうが多い。だって、蝶野さんの小説は僕の小説よりも売り上げが多いのですから」
「……多く売り上げている方が必ずしも面白いとは限りません」
伊那後さんは不満そうに唇を尖らせる。
「そうだとしても、僕達はプロです。プロはより多くの人間に面白いと思ってもらう小説を書くことが仕事だと僕は思っています」
「……」
「正直、僕も人の小説が気になることはあります。自分より面白くないと感じた小説を見ると『自分の方が面白く書ける』とか『自分ならこう書く』なんて生意気なことを考えますし、自分より面白い小説を見ると悔しいです」
華我子さんの『捕食探偵』を初めて見た時は悔しくて、思いっきり嫉妬した。
「でも、小説家になって初めてファンレターをもらった時はとても嬉しかったです。素直に『この人達のために小説を書こう』って思いました。人の小説と自分の小説を比べるんじゃなくて、自分の小説を応援してくれる人達のために小説を書こうと思いました。そして、そんな人達を増やしていきたいと願うようになりました」
「……米田さん」
「だから、その……うまく言えませんが、伊那後さん……いえ、伊那後先生も人の小説を見るんじゃなくて、自分の小説を面白くすることに全力で取り組んだ方がいいと思います。伊那後先生を応援してくれるファンのためにも」
「……」
伊那後先生はしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「そうですよね……」
伊那後先生はフッと笑う。
「俺、調子に乗っていました。俺なんてまだ小説家デビューしたばかりなのに、他人の小説を非難するなんて百年早いですよね!」
伊那後先生はニコリと笑う。
「ありがとうございました。米田さん。いえ、米田先生。俺、頑張ります!」
「はい、お互い頑張りましょう!」
僕と伊那後先生は固い握手を交わした。共に戦うライバルとして。そして、仲間として。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます