第5話 白い大蛇⑤

「あの灰塚さん、あの方って……」

 僕の視線の先にはある人物がいる。

「ああ、雀村先生ですね」

「やっぱり!」

 雀村茂。大御所のミステリー作家だ。出版している小説のうち、いくつかはドラマ化や映画化もされている。その腕は今も衰えていない。

「凄い。本物だ……」

 雑誌やテレビでしか見たことのない大物を生で見れて感動していると灰塚さんがそっと言った。

「挨拶に行きましょう」

「へッ?」

 灰塚さんは僕を引っ張り雀村先生の近くに連れて行った。雀村先生の周りには他の小説家達や出版関係者達が集まっている。

「雀村先生。少しよろしいですか?」

「ん?灰塚君か……なんだ?」

「実は先生に紹介したい人がいまして」

「紹介?」

 灰塚さんは僕を前に出す。

「こちらは今度、新しくデビューされた米田先生です」

 灰塚さんは笑顔で僕のことを紹介した。慌てて頭を下げる。

「ぼ、僕……あ、い、いえ、わ、私、私は『雲薙の剣』という小説の作者の米田と言います。よ、よろしくお願いします」

「ああ、そうかい!君があの小説の作者か!」

「えっ、よ、読んでくださったんですか?」

「読んだ、読んだ。とても面白かったよ!」

 僕はビックリして目をパチパチさせた。まさか雀村先生が僕の小説を読んでくれていたなんて!しかも面白いと!

 雀村先生は、僕の肩に手を置く。

「これから色々あるだろうが、頑張りたまえよ」

「はっ、はい。頑張ります!」

 雀村先生が「うん、うん」と頷いていると灰塚さんとは別の編集者が雀村先生に耳打ちをした。

「先生……そろそろ」

「お、そうか……じゃあね。今後の活躍を期待しているよ!」

「はい!ありがとうございます!」

「灰塚君も……またね」

「はい」

 雀村先生がその場から去ると、僕は思わず「ふぅ」と息を吐いた。

「どうでしたか?」

「緊張しました」

 まだ胸がドキドキしている。

「灰塚さんは雀村先生とお知り合いなんですか?」

「はい。以前、雀村先生の担当をしていたことがあります」

「そうだったんですね。凄いです!」

「ええ……まぁ、そうですね」

 灰塚さんの声は、いつもより少しだけ暗いように感じる。

 そういえば、さっき灰塚さんと話す雀村先生もどこかよそよそしかったような?

 理由を聞こうか迷っていると、灰塚さんは「ところで、先生」と僕に話し掛けた。

「先輩の作家に憧れることは大事です。しかし、米田先生もこれから雀村先生達と同じ土俵で戦うのですから、憧れだけではなく『いつか、追い抜いてやる!』という気迫も持ってくださいね」

「は、はい。分かりました!」

 灰塚さんの言う通りだ。確かに憧れだけではなく、大御所の先生方よりも面白い話を書くという気持ちで臨まなくては良い作品はできない。

 灰塚さんはニコリと笑う。

「米田先生の気合も入ったようですし……では、今度はあちらに行きましょうか」

 灰塚さんの指さす先には複数の男女がいた。

「先生と同じ、新しくデビューされたばかりの方々です。彼らも紹介しておきますね」


「すみません。よろしいですか?」

 灰塚さんは先程と同じように談笑している人達に声を掛け、僕の事を紹介した。

「おお、貴方が『雲薙の剣』の作者の米田先生ですか!」

 最初に反応したのは一番ガタイのよい男性だった。背は高く、身長は百八十以上あるだろうか。

「自分は『魔法対戦』の作者の鯰川雷太と言います。よろしくお願いします!」

 いかにも体育会系の元気いっぱいな挨拶だった。この人が『魔法対戦』の作者か。イメージ通りだ。

「『魔法対戦』読みました。面白かったです」

「本当ですか!どの辺が面白かったです?」

「個性豊かなキャラクターですね。あとは、古今東西の魔法が色々と出ていた点が面白かったです」

 その名の通り『魔法対戦』は、様々な魔法によってバトルを繰り広げるファンタジー小説だ。

 黒魔術、錬金術、呪術、妖術、自然魔法……など様々な魔法が出て来る。

 話もスピーディーにテンポよく進む。

「いやぁ、嬉しいな。よく読んでくれていて!」

 鯰川さんは晴れやかな笑顔で僕の手を握り、ブンブンと上下に振った。力が強く、肩の関節が外れるかと思った。

「『雲薙の剣』もとても面白かったです!」

「そうですか。ありがとうございます」

「特に主人公が良い。明るくまっすぐで……俺、ああいう主人公大好きなんですよ。はっはっは」

「あ、ありがとうございます」

 鯰川さんはなんというか……熱が凄い。彼の近くはきっと温度も数度上がっているに違いない。

「じゃあ、次は私ですね。私は蝶野聡子と言います!」

 手を上げたのは若い女性だった。

「作品のタイトルは『記憶の底の武器』です。よろしくお願いします!」

「あっ、そうなんですか……」

「ん?どうかしました?」

「あ、いや、とても明るい方なので驚いてしまいました」

「ひょっとして、私のも読んでくださったんですか?」

「はい」

「嬉しい!」

 蝶野さんは飛び上って喜ぶ。こんな明るい人があの『記憶の底の武器』を書いたのか。


 蝶野さんの作品『記憶の底の武器』は取調室の中で、殺人容疑で逮捕された女性が自白する所から始まる。女性は何故、殺人を犯すに至ったか、その経緯を刑事に語った。

 すると、彼女の境遇に同情した刑事はなんと女性を逃がしてしまう。そればかりか刑事は妻子も刑事の職も捨て、女性と一緒に逃げることを選択する。

 しかし、それは全て犯人である女性の罠で───というストーリーだ。


 内容は終始暗く、救いようのないものとなっている。本の帯には『面白いけど一度読んだら二度と読みたくない小説』と書いてあったが、まさにその通りだった。

 その作者が、まさかこんなに明るい人だとは……。

「よく言われるんですよ。作風と作者の性格が離れ過ぎてるって!」

 そうでしょうね。

「これからも、こんな感じの小説書き続けるつもりなんで、よろしくお願いします!」

 蝶野さんの明るい言動はその名の通り、ヒラヒラと舞う蝶を連想させた。

「はい、よろしくお願いします」

 蝶野さんとの挨拶を終えた僕は、蝶野さんの隣にいる人物に視線を移した。そこには蝶野さんよりも少しだけ背が低い女性が立っている。


 綺麗だ。


 一瞬、僕はその女性に目を奪われた。

 女性は長い黒髪に真っ白なドレスのような服を身に纏っていた。目は透き通る湖のように澄んでいる。身長は百五十センチ後半ぐらいだろうか?蝶野さんも若いが、その女性はさらに若く見える。

 高校生ぐらいだろうか?

「……」

 女性は何も言わない。ただ、僕の目をじっと見ている。相手が何も言わないので僕から話し掛けた。

「こ、今晩は」

「……」

「えっと、お名前を伺ってもいいですか?」

「……」

「あ、あのう」

「……」

 無言。こちらが何を聞いても全く答えてくれない。その様子を見ていた蝶野さんが代わりに声を上げる。

「か、彼女は、華我子さん……華我子麻耶さん!」

 本人に代わって蝶野さんが彼女の名前を教えてくれた。ん?『カガシマヤ』?

「もしかして、『捕食探偵』の作者の華我子麻耶さん?」

「はい。その華我子さんです!」

「本当ですか⁉」

 新人賞をいくつも取り、あらゆる作家が絶賛している小説。それが『捕食探偵』だ。

 ちなみに僕も絶賛している一人だ。

 ジャンルとしてはミステリーなのだが、ただ探偵役が謎を解き、事件を解決するという作品ではない。


 主人公は冴えない探偵で、ある日、本屋で怪しい魔導書を見付ける。主人公は好奇心から魔道書を買い取り、そこに書いてあった呪文を唱える。

すると魔道書から本物の魔神が現れる。

召喚された魔神は主人公に『願いを叶える』と告げ、主人公は『名探偵にしてくれ』と魔神に願う。魔神はその願いを叶え、冴えない探偵であった主人公はたちまち名探偵となり、世間から持てはやされるようになった。

 しかし、魔神の力にはリスクがあった。それは『事件を解決した場合、その犯人を二十二日以内に殺し、その魂を魔神に捧げなければ探偵が魔神に魂を喰われる』というものだった。

 主人公は自分の名声と命を守るために事件を解決する度に、その犯人を殺し、魂を魔神に捧げるということを繰り返すようになる。名探偵の力を得た主人公は事件の隠ぺいも完璧で、誰も主人公が殺人をしていると疑う者はいなかった。一人を除いて。

 ある時、殺人を繰り返す主人公の前に一人の刑事が現れる。刑事は主人公が解決した事件の犯人が次々に死んでいることに疑問を持ち、調査を開始する。

 それから名探偵と名刑事との戦いが始まる───というものだ。

 

 前評判の通り、『捕食探偵』は発売されるやいなや大重版となる爆発的ヒット作となった。本屋では品薄が続いており、ネットでは何倍もの値段で取引されている。

 重厚なストーリーに張り巡らされた伏線の数々。そして、魅力的なキャラクター達。どれをとっても完璧な作品だ。既に続編も決定している。


「『捕食探偵』読ませていただきました。とても面白かったです!」

「……」

 僕は緊張しながらも高めのテンションで、華我子さんの作品を褒めた。だけど、華我子さんは何も言わない。沈黙が続く。

 すると、少しだけ華我子さんの唇が動いた。

だけど、それに気付かなかったのか、蝶野さんが先に言葉を発した。

「じゃ、じゃあ、次の人どうぞ~」

 蝶野さんが華我子さんの隣にいる人物に話を振ると、華我子さんは口を閉じ、再び沈黙した。代わりに蝶野さんの隣にいた男性が口を開く。

「伊那後秋吉……です」

 伊那後と名乗ったその男性は、僕と同じぐらいの身長をしていた。長く伸びた髪が耳を覆っている。

 伊那後さんは緊張しているのか、キョロキョロと周囲を見ている。

「作品名は……『輪廻の鋼』……です」

「ああ!」

 その作品も読んでいる。『輪廻の鋼』はとある男が輪廻転生を繰り返す話だ。

 ある時は人間、ある時は犬、ある時はテントウムシ、ある時はサンゴ、ある時は蛇……輪廻転生を繰り返す男の短編が六章に分けて書かれている。

 一見、ストーリーは独立しているように見えるが、実は全て繋がっており最終章でその謎が明らかになる。

 その伏線の張り方は絶妙で、読んでいて思わず「おおっ!」と感嘆した。

 

「『輪廻の鋼』も読みました。面白……」

「……どうも」

 僕が言い終わる前に伊那後さんは答え、口を閉ざした。華我子さんと同じくとても無口な人のようだ。

 華我子さんと違うのは、彼女は僕から一切目を逸らさないのに対して、伊那後さんは僕の目を一切見ようとしないことだ。

 というか、華我子さんはまだ僕を見続けている。少し怖い。

「じゃ、じゃあ全員の自己紹介も終わったことですし、後はフリートークといきましょうか?」

 それから蝶野さんは率先して、場を回し始めた。この個性豊かなメンバー相手にたいしたものだ。僕にはとても真似できない。

「鯰川さん、背高いですよね。何かスポーツされてたんですか?」

「学生時代はバスケットをしていました!」

「そうなんですか~背高いですもんね~」

「今もたまにしてますよ。蝶野さんは?」

「私はバレーボールをしていました。鯰川さんと同じで今も時々しています!」

「いいですね。では、今度一緒にしましょうか?他のメンバーも集めて」

「バレーボールもできるんですか?」

「はい!スポーツは大抵できますよ。はっはっは!」

「凄いですね。あっ、グラスの中身がもう空ですね。何か新しい飲み物持ってきますよ。何がいいですか?」

「いいんですか?それならワインが飲みたいです」

「了解しました!あっ、灰塚さん。肩にゴミが付いてますよ。とってあげます!」

「ありがとうございます」

「いえいえ」

 蝶野さんは皆に気を使いながら、会話を進めていく。僕はどちらかというと人付き合いが得意ではないため、蝶野さんのように周りに気を配って動ける人間を尊敬する。

「灰塚さん。ちょっと」

「里山編集長。すみません。呼ばれたので行ってきます。皆さんは楽しんでくださいね」

 編集長に呼ばれた灰塚さんがグループから抜けた。僕達新連載組五人が残される。

「それにしても、蝶野さんは働き者ですね。いい、奥さんになりますよ。はっはっは!」

「やだ。何言ってるんですか。もう!」

 それからは、おもに鯰川さんと蝶野さんの二人が会話をしていた。僕は時々相槌を打つぐらい。華我子さんと伊那後さんにいたっては全く発言しない。

 すると、蝶野さんがこんなことを提案してきた。

「あ、そうだ。皆さん!動画撮っていいですか?」

「動画?」

「SNSに上げたいんですよ!出版社のパーティーに参加したって!」

 最近はSNSをやっている作家も多い。自分の小説の宣伝もできるし、ファンと交流することもできるからだ。まぁ、その分炎上したら悲惨なことになるが。

「おっ、いいですね。ぜひ撮ってください!」

 鯰川さんは楽しそうに笑う。だけど、伊那後さんは対照的に嫌な顔をして「動画はちょっと」と断った。ネット上に自分の顔を上げられるのが嫌なのだろう。僕も同意見だ。

「あ、僕も動画は」

「ええ~そうですか?分かりました。華我子さんは?」

「……」

「こちらもダメそうですね……分かりました。じゃあ、鯰川さんだけ撮りま~す」

「どうぞ、どうぞ!」

 蝶野さんはウキウキした様子でノリノリの鯰川さんの動画を撮り始める。でも、鯰川さんだけではなく周囲にいる他の人間も映っているがいいのだろうか?

 僕がそのことを蝶野さんに言おうとした時……。

「キャアアアアアアアアアアアア!」

 突如、悲鳴が聞こえた。皆が一斉に悲鳴のした方向に視線を向ける。


 そこには、ナイフを持った男が狂気をはらんだ目で立っていた。

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