短編、お一人語り

碧咲瑠璃

全16編+5編

石屋

 私は駅に向かっていた。


 学会が終わり、私はすこぶる満足した思いで田舎道を歩いていた。


 目に映る田園風景に心洗われる思いである。と、言えば聞こえはいいかもしれぬが、地方の現状は厳しいものに変わりはない。民家らしい民家もほとんど見られず、人の往来よりも牛や山羊やぎが目についた。この地域だけ、まるで時間の流れがひどくゆったりに感ぜられた。


 五〇分ほどの道のりを終え、駅が見えてくると私は次の目的地を不動産屋さんに定めた。


 商店街に入って、私は猛烈な不安にられた。この世界線に人間は私ただ一人だけではないかと思うほど、人がいなかった。


 果たしてこの町に未来はあるのだろうかと考える。


 駅前の商店街はシャッタ街で、物珍しい特産品もなければ産業もありはしない。死に体の街である。昨今の地方によく見られる現状だ。しかしながら、今回の発見はこの地に重要な観光資源をもたらしたと言えよう。

 私が学会に出た理由でもあった。


 化石である。

 恐竜ときた。


 見つかったのは足跡あしあとだが、足跡が見つかったということは大いに期待されるべきことである。


 化石発見のほうを聞いて私は新幹線に飛び乗ってここへ来た。私の専門分野とは若干の異なるけれども、新幹線の中でふと私は来る日も来る日も砂場を掘り返していた少年時代を思い出したのだ。


 発表を聞き終えた今、こちらの大学に転職を決意したところである。四〇も半ばに差し掛かった私は、棺桶かんおけに片膝くらいは突っ込んでいるけれども、失うものなんてない。


 私の専門は考古学であるから、ぜひ発掘チームに入れて欲しいと頼み込んで、前向きな返事をいただいた。もしかしたら今回のことは私にとって人生の転機になるかもしれない。


 今更なことを言えば、本当は恐竜の化石をやりたかった。


 だが青少年時代の私に周りの大人たちは教えてくれなかった。考古学は人間をやる学問で、恐竜は理系だと誰も教えてくれず、私は好きでもない考古学をやってきた。正直なところ、遺跡から文化が見つかるよりも、私は恐竜の骨が見つかって欲しいと思っている。


 ところで私は妻と別居中にある。私に失うものなんてない。いや、失いまくっている。私は過去を掘り起こして調べる人間だが、妻との過去を掘り返してもいいことはなかった。化石の修復が難しいように、私と妻の関係は、もはや化石レベルで修繕不可能なようだった。


 ゆえの部屋探しである。


 ところで不動産屋さんは永遠に臨時休業だった。仕方なく、都市部の不動産屋さんを探そうときびすを返した時。


「ちょいっとそこのお兄さん、どうっすか? ってきません?」


 爪先くらいは棺桶に突っ込んでいそうな青年に呼び止められた。

 兄さんと呼ばれる年齢ではないのだが、この手の呼び込みは、どうせ飲み屋のたぐいだろう。


「悪いが他を当たってくれ」


 軽くあしらい先へと進もうとした時、オンボロの立て看板が目に留まる。


『未知の石屋でごぜえます』


 ごぜえますまでが店名らしい。ネーミンスセンスが絶望的に死んでいる気がしないでもないが。


 しかしだ。

 しかしである。


 私は運命めいたもの感じていた。妻と出会った時でさえ感じえなかった、あのビビビと稲妻が走ったような感覚が全身を襲ったのだ。恐竜の化石が発見された町の石屋に、期待せずにはいられない。運命を思わずにはいられなかった。今の私は、初めてエロ本を拾った時よりもドキドキしていた。


 ところで私は高血圧もちである。突然心臓は爆発したりしないだろうか。とはいえ、人間は歳を取ると保守的になってしまう。私はその店へ入ることを躊躇ためらってしまった。いや、怪しさ抜群なのだ。不動産屋さんや、飲食店ですらも休業の中、一体どうしてただの石屋が生き延びているのか。


「ただの石屋ではございません」


 客引きの青年は私の心を見透かしたかのように含み笑いを見せながら言った。

 自身たっぷりなのか、あるいは私を騙そうとしているのだろうか。


「なんでもありますよ。どうっすか? きっと、お兄さんのお眼鏡にかなうかと」


 そういえば、発表会でもちらりと聞いた。この限界過疎地域を支えているのは鉱物産業だと。道中、石材を運ぶトラックや、山を削っている光景が散見された。

 果たして怖いもの見たさが理性に打ち勝った。


 私は石屋に入った。


 店内は薄暗くほこりっぽい。徒歩二十歩で順路を終えられる手狭さに、私の落胆もまた早かった。


 ショーケースに飾られた殆どがごくごく一般的な宝石の類だった。一つ例をあげれば、ダイヤと銘打たれたそれは工業用ダイヤを加工したものばかりだ。しかし、奇妙な形をしたただの石ころには目を疑うような値がつけられていた。


 ぼったくりか詐欺だ。子供ですら騙されはしないだろう。


「お気に召しませんでしたかな?」


 奥のカウンターから声がし、初老の男が丸椅子から立ち上がった。店主のようだ。先ほどの青年と骨格が似ているから親子なのだろう。


「私を騙そうったってそうはいきませんよ。それなりに目利きはできますし、私は石に関係する分野を専門としてましてね」


 専門は考古学だが。まあ、嘘ではなかろう。

 店主の男は目尻にしわを刻み、微笑みともおぼつかない笑みを浮かべていた。


「お兄さんが欲しいのはズバリ化石でしょうな」


 私は眉間を寄せる。私がお兄さんと呼ばれるような年齢でないことに違和感を覚えたのではない。化石を見たいと言う心を見透かされたことに軽い衝撃を受けていた。


「ええまあ、化石があるのなら見てみたくはありますね」


 私は至って冷静さを努めた。正直、期待は半分以下にまで落ちてはいる。


「おい、お前。あれを持ってこい」


 そう言った店主はあごをしゃくった。息子はニコリと満面の笑みを浮かべ、店の奥に消えていく。その間に、店主の彼はポケットから拳大ほどの石を差し出した。


「お手にとってみればどうですかな」


 気乗りはしなかったが、開かれたケースから現れた石を手に取る。パッと見、堆積岩たいせきがんであった。二酸化ケイ素が主成分。動物の微化石が混じったチャートだ。その表面には彫刻刀で彫ったかのような一本の模様が刻まれている。確かに化石とも言えなくはない。しかしこれはミミズだ。ミミズの化石などありふれている。希少性はない。


「こんなもの、どこでだって手に入る。私が欲しているのは学術的価値のある代物だ」


 もう用はないと、身をひるがえす私の目に奇妙な石が目に入った。


 ショーケースに飾られていた石は、何もかもを飲み込みそうな漆黒しっこく色だった。カラフルな刺繍ししゅうほどこされた座布団に乗せられたその石は、恐ろしい値段がつけられている。


 いちじゅう、ひゃく、せん、まん……、と桁を数えていって、中古車が一台買える値段に私はあんぐりとした。


「これは……一体?」


「隕石ですな。わしが小学生の頃、庭に降ってきた代物ですなあ」


 嘘をつくにももう少しマシな嘘をつけと私は思った。

 私の懐疑かいぎ的な視線を悟ったのか、


「無理やり買わそうなどとは思ってませんなあ。ただ興味が湧いていただければそれで」


「では聞くが、私をうならせるような石を持ってきてはもらえるかな?」

「最近、せがれが見つけたすごい石があるんですな」


 ちょうど戻ってきた青年はアタッシュケースを抱えていて、それを丁寧にカウンターへ置いた。ふたが開かれると、敷かれたスポンジの中に、たった一個の石が収められていた。


「どうぞ、お手に」


 店主はニヤニヤといやらしく笑っていた。


 仕方なく黒石を手にとった私はぎょっと目をくこととなる。私が驚いたのは、その石があまりにも軽すぎたためだ。質量が殆どない。いや、まったくと言っていいほどない。重さが無であるとしか言いようがなかったのだ。


 すると息子が天秤を持ってきて、その石を置いた。


 天秤の一方には何も乗っていない。にもかかわらず、はかりは微動だにしなかった。つまり、無質量だった。しかし私は猜疑心さいぎしんの強い男だ。天秤に何か仕掛けがされているのかと、吟味ぎんみしたが、特に変わった様子はなかった。先ほどのミミズの化石が置かれて、天秤は普通に動いていた。


 青年は優しく石をつまみ、地面に叩きつけた。


 私の首はテニス観戦をしているかのように行ったり来たりした。石は地面と天井を二、三度往復し、それどころかまるで止まる気配がなかったのだ。私の頭に跳ね返っても動き続けていた。


 空気抵抗というものをご存知か? 物質とは等価速運動を続けるものであるが、空気抵抗や摩擦などで物質はやがて静止するのである。しかしその石は、重力も空気抵抗も摩擦ですら無視して動き続けていたのだ。


 青年はその石を両手でつかんだ。


 まるで猛牛を押さえつけるようにして、石はようやく止まった。


「この石は等加速運動し続けるのですな。この地球で。いやはや宇宙の神秘は広大ですなあ」


 店主は「ふぉふぉ」と笑いながら黒石をショーケースに収めた。


「他にも浮遊石なんてものもありますな」


 店主はポケットから小石を取り出した。


 マーブル模様の綺麗な石だった。手のひらの上に置かれたそれは、店主の「えいや!」という掛け声に、ふわふわと浮き始めた。


 ありえない、と私は無意識に呟いていた。


 何かのトリックに違いない。そう思ったが、自分がすでにとりこになっていたことには気づいたのは少し遅れてのことだった。


 今の私の興奮を例えるなら、高一の夏、女子更衣室を覗こうと授業をさぼったあの時の興奮よりも上回っていた。ちなみに女子の着替えを見たのは、それから十年後の話である。ところで、妻との別居理由はスク水を着せようとしたことだ。


 私が夫婦文明の崩壊を思い出す中、客が現れた。


「いつものちょうだいな」


 ふくよかなマダムが言うと、店主は光る石を手渡した。


「それは……一体?」


 石は七色の光を灯していた。


発光石はっこうせきですな。わしが若い頃、近くの池で毎日集めた光る石ですわ。この手の石はそう珍しくもありませんなあ。ふぉふぉ」


 マダムは全身を光る石で固め、後光を放つかのように虹色を放っていた。これほどのキラキラ女子を私は見たことがなかった。


「どうですかな? もっとご覧になっては」


 隕石、浮遊石、光る石の怪しい三点以外、見る限り化石は本物だった。生物学的に珍しい化石や、それこそ恐竜の類ではなかったけれども、少なくとも石屋の親子が嘘をついている様子は見られない。


「やはり、隕石がイチオシですなあ」


 店主はぼそりと呟く。


 隕石については詳しく調べない事には分からない。しかし店主が詐欺を働いているならば暴かねばなるまい。そう正義心が湧くと同時に、けれども本物であって欲しいと願う私がいた。


「ここらは掘れば何でも出ますねえ。わしの予感ではかなりの文明が古くに栄えていて、石を集めただろうと思いますなあ」


 私はもう店主の言葉を疑ってはいなかった。


 不明物質の石……結構。

 宇宙からの飛来品……結構。

 骨董こっとう価値無くとも大いに結構だ。


「ところで、ご主人。この店で一番高いのを見せてもらってもいいかな? 実は私、大学で研究をやっておってね。この店の石を調べたいと思っているのだが」


「あはぁ。そうですかな。きっと調べる事は沢山有りますとも」


 店主は意気揚々とスキップ刻み、銀色のアタッシュケースを持って帰ってくる。『非売品』との張り紙がデカデカと貼られたケースが開けられた。


 出て来たのは黄土色の結晶。

 未加工なようで、ゴツゴツとしている。サイズは指先程だ。


「どうぞお手に」


 店主は少し恥ずかしそうな、照れたような表情を見せていた。


 私は石を手に取る。

 思ったよりも軽い。


 浮遊石や隕石ほどではないが、この軽さはそれら不明物質と似たような魅力が漂っていた。


「因みにこれは?」


 私は光に透かしながら訪ねた。



「わしの尿路結石ですな」




 私は石を全力投球した。

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