第2話 「始まりの街~勇者はパジャマでやってくる~」
「……さい」
誰かが『彼女』を呼ぶ声がする。
「ん……んぅ……」
しかし『彼女』はその声に反発するように、ごろりと寝返りを打つ。
(あぁ……久しぶりのきちんとした寝床……なんて幸せ……)
喜びを噛み締めるように、『彼女』は自分の身体を抱き締める。
「……きなさい」
その声は尚も続く。
(うるさいなぁ……大体私さっきまで魔神と戦って死ぬ思いしたんだから少しくらい寝過ごしたっていいじゃない……)
今はただ、この全てを受け入れてくれる温もりに包まれたい。
そんな思いが彼女の中を満たす。
(大体お母さんじゃあるまいしそんな大声で呼ばないでよ恥ずかし)
「起きなさいってさっきから言ってるでしょーーー!!!!」
「ひゃわぁぁぁぁぁぁっっ!?」
被っていたシーツを引っぺがされ、『彼女』———勇者マリア・ロンベルクは床を二回転半程転がる。
「な、何なになになに!?ここはどこ!?私は―――いや流石にそれは覚えてる……」
「何寝ぼけてんのあんた!!ていうかいつの間に帰って来てたの!?」
「お、お母さん……?えっ?じゃあここは……」
マリアはそう言って周囲を見渡す。
年頃の女子の割には飾り気のないと母にすら呆れられた調度品の少ない室内。言って良いのは今年おねだりをして買ってもらった白いワンピースくらいだった。
そして目の前にはマリアと同じく黒髪に青い瞳の―――言ったら怒られるので決してマリアは口にしないが、歳の割には若く見えると噂になる女性―――マリアの母——アメリア・ロンベルク。
「あんたの部屋掃除しようと思って中入ったらいつもみたいに寝こけてるし……本当にあんたはもう……っ」
そこでアメリアの声が止まる。
「王様が色んな国に声を掛けて探させたけど……ある時を境にぱったりと行方が知れなくなったって聞いて……あたしは……あたしはもう……」
そう言ってアメリアはマリアを抱き締める。パジャマの方に温かい水滴が染みるのをマリアは感じた。
「うん、ごめんねお母さん。でも大丈夫。私、ちゃんとここに居るよ」
そっとマリアは母の背に手を回す。
「あんまり心配させんじゃないよ本当にもう……」
「あはは……気を付けます……」
魔神を倒した勇者といえども、母の前では唯の少女だった。マリアはそこで自分がやっと元の世界に帰って来たのだと実感した。
「あっ……!」
そしてマリアは思い出す。眠に就く前、神様から見せられたこの世界の現状を。
「お母さん!今この街って……!」
マリアそう口にした瞬間だった。
「しっ!」
アメリアの表情が険しいものに変わる。
耳を澄ますと、家の外―――いや、これはもっと広範囲―――そう、この街を覆うような数の夥しい足音が聞こえた。
足音は家の前を通り過ぎ、街の中心部に向かうとやがて収まった。
「人間は居ねえかぁっっっ!!」
それは野太く、荒々しく、品位の欠片もないようなしゃがれた声だった。
「ん~~~~?聞こえなかったかぁ??もう一回言うぞ~~~~?」
周囲が嘲笑うような声を上げ、すぐに止まる。
「勇者に見捨てられた哀れな人間は残ってねぇかぁっっっ!!?」
今度は爆笑が響き渡る。
それでも周囲にはその下品な喧噪の集団―――魔物達以外の声はしない。
マリアは窓から様子を窺おうとし―――アメリアに袖を引っ張られた。アメリアは首を横に振ると、うずくまって耳を塞ぐよう促す。
「だ~~~~れも返事をしねえってことはよぅ……俺達ぁウソの情報を教えられたってことかぁ!?おいどうなんだぁ!?」
その時、マリアの耳に嗚咽―――それも自分より幼い子供の声のものだ。それが聞こえた。
「ひぐっ……嘘なんて……憑いてないです……っ!女の人が……っ、街に入って行くの……見ました……っ!」
「じゃぁ~~~~なんで誰も出て来ねぇんだ!!?あぁんっっ!!?」
息を荒げて魔物が幼い少女に詰め寄る。
「まぁいい」
そこで魔物はふんっ、と鼻息を吐く。
「俺様は寛大だからなあ。今から十数える。それまでに街に入ったっていう女ぁっっっ!!出てきたら奴隷としてたっぷりと可愛がってやる。だがもぉしっっっ!十数えて出て来なかったらぁ……」
魔物はそこで言葉を区切る。
「この俺様達に情報を提供してくれた女ぁ……こいつがどうなるか……分かってんだろうなぁ……!!」
少女の鳴き声がマリアの耳に響く。
「い~ち」
マリアは思い出す。
「に~~い」
これまでの冒険で訪れた幾つもの街での光景を。
「さ~~ん」
魔物に怯える人々を。
「よ~~~~ん」
壊された街を。
「ご~~~~~」
踏みにじられた花を。
「ろ~~~~~~く」
マリアは瞳を一度閉じ、そして開ける。
「し~~~~~~~ち」
そうだ。あの日、自分は決めたのだ。
「は~~~~~~~~ち」
アメリアと目が合う。その時の母の表情を見て、マリアは冒険に出ると言った時と同じ表情だと思った。
「きゅ~~~~~~~~~う」
強くなると。
マリアは窓を勢いよく開け放ち、砲弾の如く―――否、それよりも数段速く飛び出す。目的地は決まっている。声の中心地。
「じゅっ…………!?」
魔物―――ここに来てマリアはそれが彼女が嫌悪する亜人種の一つ。猪の様な牙と鼻を持つ毛深い獣の群れだということに気付く。
声を上げていたオークは突如自分達の中心に飛び込んできた影に驚き、その陰が降り立った先が着地の衝撃で爆ぜたことに二度、驚いた。
そして、三度。
「なんだぁ……!?」
それは普段彼の見る鉄や鋼で武装した筋骨隆々とした男性のものではなく。
「貴方たち」
その凛とした声とは対照的に――――寝巻姿だった。
たまらず数字を数えていたオークはこみ上げる笑いを抑えることが出来ず、周りのオークの肩を叩く。
「おいおいおいおいお前たちなんだなんだァ!!俺ぁいつから夢ェ見てたってんだぁ!!?」
周囲のオークも彼に釣られて笑い、それはたちまち群れに伝播した。
マリアはそれを意に介さず、切り捨てるように言う。
「その子を離しなさい」
そう言ってマリアは一匹のオークが脇に抱えている一人の少女を指差す。
その少女は先ほどまで叫び声の如き悲鳴を上げていたが、突如として登場したマリアの存在に呆然としているようだった。
マリアの言葉にそれまで笑っていたオークたちの声がぴたりと止まる。
「あぁん!?何だってぇ!?」
数を数えていたオークが叫びを上げる。
その声は衝撃波のように周囲の草木やマリアの髪を震わせるが、彼女はそれに一歩も怯まずに言う。
「もう一度だけ言います。今すぐ、その子を離しなさい。でないと―――」
「でないとどうなっちまうんだ姉ちゃんよぉぉぉぉっっ!!」
少女を捕まえていたオークの一人が彼女の首に手を掛けようとしたその瞬間。
「————夢幻剣《ファントムブレード》」
マリアが呪文を唱えると、少女に手を掛けようとしたオークの腕が地面に横たわる。
「…………は?」
オークは自分の腕と地面に落ちた腕を交互に見やる。
「あぁぁあぁ俺の腕があぁぁぁぁっっ!?」
遅れて吹き出す鮮血。
「警告はしました」
そう言うと彼女は姿を消した。いや、彼らには捉えきれないほどの速さで移動し、少女をオークから救い出すと、オークの集団から離れた場所へ再び現れる。
「大丈夫?」
マリアは少女を下すと出来るだけ優しく言う。少女はこくこくと頷くだけだった。
「テメェ……やってくれたなぁ……!!」
リーダー格の―――数字を数えていたオークが鼻息を荒げ血走った眼でマリアを見る。
「————どっちが」
マリアの抑揚のない声が漏れる。
ここは、彼女の産まれ育った街だった。
特に何があるわけではないが、皆良い人で、中央にある公園には噴水があり、夏になると家族で水浴びをしたりした思い出の場所だった。それが今では―――。
「危ないから私の後ろに居てね?」
そう、背後の少女を気遣うとオークの群れを睨みつける。
「大体テメェ、この人数差で勝てるとでも思ってんのかぁ!?」
「———三下以下の台詞ですね。それに」
マリアは息をすぅ、と吸い込む。
「私の攻撃はもう済んでいます」
「はっ。何言ってやがる。野郎ども!掛かれ!!女は連れ帰ってもこの場で好きにしても―――」
そうオークが言いかけた瞬間足元から、そう。さっき少女が降ってきた場所から膨大な魔力が膨れ上がっていることに気が付いた。
「灼熱大地《グランド・バーン》」
瞬間、地面から炎が吹き上がり周辺にいたオークをまとめて焼き払う。肉と脂の焦げる匂いが瞬時に広がる。
「ひっ…!?」
そこでオークのリーダーは気付いた。
この目の前にいる寝間着姿の女は―――今までの者と存在の規格が違うと。
「て、テメェ……何者だっっっ!!?」
思わず彼は叫び、そして後悔する。
「何者、ですって?」
マリアが一度全身の力を抜いたように脱力し、次の瞬間また、姿を消す。
オークが周囲を見渡すがマリアの姿は見えない。
「教えてあげます。私の名前はマリア・ロンベルク」
声が、オークの下から聞こえる。
艶やかな黒髪が風に揺れ、強い意志を秘めた青い瞳が怒りに燃えている。
マリアは高速でオークの懐に潜り込むと、拳を天に向かって突き上げる。
「かつて―――いいえ。『勇者』と呼ばれている者です」
マリアの拳がオークの顎を打ち抜き、その巨躯を―――彼の身長の三倍ほどの地点まで浮かせた。
「帰って伝えなさい。『勇者が戻ってきた』と」
言い終わると同時にオークの身体が地面に鈍い音を立てて着地する。
残っていたオークの群れは蜘蛛の子を散らすように去っていく。
勇者マリアの冒険は、彼女の街から再び始まる―――。
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