Letter from Forest

詠野万知子

#01 眼鏡をかけた鳥のこと

 親愛なるきみへ


 手紙って、どうやって書いたらいいんだろう。

 はじめてだから、何か間違ってないかなって少しだけ心配です。だけど、きみはきっと間違った手紙でも許してくれると思う。

 だからなのかな。手紙を書こうって決めたとき、相手はきみだって思い浮かんだの。


 元気ですか?

 ぼくは元気です。

 きみが元気ならいいなって思います。

 毎日、そう思ってます。


 手紙には近況を書くといいんだって。

 最近の出来事。ぼくの身の回りのこと。

 となると、書くことはひとつだけ。


 森に鳥が来ました。

 きみがよく知っているとおりに。


 それだけじゃいつもと変わりばえがないね。

 じゃあ、もう少しだけ書きます。

 このあいだ森に来た鳥のこと。


 ***


 その鳥の色は、焦げ茶色。

 例えるなら、紅茶みたいな色。

 それで、白いフレームの眼鏡をかけているんだ。

 目のまわりが白く縁どられている。でも、メジロとはまた違って、目のまわりだけじゃなくて、頭のうしろのほうまで続いていて、眼鏡のつるみたいなんだ。

 もしかしたら、物知りな鳥なのかもしれないね。

 同じ日にやってきたお客さんも、眼鏡をかけていた。

「私はリュネ。ここには噂を聞いてやってきたの。あなた、知ってる?」

「どんな噂?」

「もちろん、忘れたいことを忘れられるってお話」

 背筋がぴんと伸びた、お行儀のいい雰囲気の女の子だった。髪の毛を三つ編みにして、後ろで結んでいる。細いフレームの眼鏡をくいっと指で押し上げて、言う。

「やっぱり眉唾?」

「お話するなら、こっちへどうぞ。お茶を淹れるよ」

「あら、どうもありがとう。突然お邪魔してごめんなさいね」

 居間まで案内して、ソファをすすめる。

 彼女はちょこんと腰掛けて、膝の上に本を置いた。ずっと小脇に抱えていた本だ。

「前にも、本を持ってきた女の子がいたよ」

「そう。気持ちは分かるわ。すごく分かる」

「気持ちって……?」

「読んだ本のこと。忘れたいって思ったんでしょう?」

「あたり! すごい。どうして分かるの?」

「だって、私も同じだから。この本のこと、忘れたいの」

「きみも、本の中身が気に入らなくなった?」

 お茶を運んでいくと、リュネは言葉を失って、びっくりした顔でぼくを見た。

「とんでもない! 気に入らないなんて、なぜ? 私はね、この本が大好きなの。とっても好きなの。ほらご覧なさい、繰り返し読んだから――」

「本、綺麗に読むんだね」

「新しく買ったの。糊が割れて、糸がほつれて、ページがほどけちゃったから」

 好きな本を、壊すほど読んだ女の子。

 リュネは、まだ新しい本を大切そうに抱きしめて、うっとりと目を閉じた。

「すばらしいのよ……身近な出来事を描いた導入部に共感するうちに、私は現実を超えた世界へ冒険に出かけているの。夢中になって、迷子を楽しんで……いつの間にやら、現実の世界へ戻ってくる。でもそれは、絶対に、はじめに立っていた場所とは違うのよ。そんな気持ちになる、不思議な本よ」

「冒険? 楽しそう!」

「そうよ! 私は、何度もこの本を読んだ。この本に勇気を貰った。この本が逃げ場所だったし、この本が遊び場だった。背中を押して、前を向かせてくれたのもこの本よ。だけどね――ああ、本当に、叶わないことなのだけど……」

 リュネはぼくを見て、それから自分の眼鏡をくいっと押し上げた。なんだか頬が赤くなっている。

「お茶、いただくわね」

「うん。どうぞ」

「ふふ、美味しい。ふぅ……落ち着いたわ」

 カップを置いて、リュネはまた話しだした。

「つまりね。本は、最初から読み始めたら、何度でも同じ冒険に連れ出してくれるの。けれど、決して戻れない時間がある」

「決して?」

「そうよ。忘れない限りは、決して。……私はね、この本を、もう一度『はじめて』読んでみたいの。はじめて読んだあの日の衝撃と感激を味わいたいの。あれほど強烈で印象深い経験は、ないわ。もう一度……できるなら、忘れたい。この本について、心から無防備でいられたときに戻って、読みたいの」

 リュネは言う。

 その本をはじめて読んだとき、まだ幼くて、眼鏡もかけていなかった、って。

 その本は大きさが変わったり、挿絵が増えたり、まったく挿絵がなくなったり、いろんな種類で刊行された。つまり、名作らしい。

 そのつどリュネは本を集めた。そうしてはじめて読む気持ちで、お話に夢中になった。でも、最近は新装版が出ることはなく、コレクションを何巡もしてしまって……。

「だから、私は忘れたい」

 静かに囁いて、本を開いた。文字を追う眼差しが、とても小さな子供みたいにきらきらしてた。

「クッキーが焼けたよ。……焦げちゃったけど」

「ありがとう、いただくわ!」

 リュネは焦げたクッキーもおいしそうに食べてくれたよ。

 窓辺の鳥篭には、さっき訪れた眼鏡をかけた鳥が落ち着いて、眠っていた。

 それがリュネの鳥ならいいなって思った。すべて忘れて、もう一度『はじめて』に戻って、その本を読めたらいいなって。

 ほんの少しのあいだお茶会を楽しんで、リュネは本を抱えて帰っていった。

「忘れられたかどうかは、わからないけれど……森の奥まで来て、知らない子とお茶会。これって大冒険よね。楽しかった!」

 そう言ったリュネの笑顔を、ぼくは忘れたくないなと思った。


 ***


 これが、ぼくの近況だよ。

 書きすぎちゃったかな。

 でも、最後まで読んでもらえたら嬉しいな。


 また手紙を書くね。もっと書き慣れて、きみが喜ぶ手紙を書けたらいいんだけど。


 それじゃあ元気で。

 ぼくも元気で過ごします。


 ルクレイ

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