壁を乗り越えて ~父と祖父と、なによりも自分のために

緋那真意

第1話 偉大な弟の陰で

 ブラックタイドという名のサラブレッドがいる。



 2005年度の日本競馬においてクラシック三冠を達成した名馬ディープインパクトの一つ上の全兄ぜんけい(父も母も全く同じ馬であるおにいさん馬)にあたる。こちらは弟ほどの活躍は出来なかったものの、2004年春には重賞じゅうしょうスプリングステークス(G2)を制し、クラシック候補として将来を嘱望しょくぼうされた逸材であった。残念なことに脚の故障によって思うような成績を残すことが出来なかったブラックタイドではあったが、「三冠馬の全兄」という血統背景も考慮されて種牡馬しゅぼばとして子孫を残す権利を得た。



 競馬はブラッドスポーツとしばしば呼び表されるように、血統というものが極めて重要な要素として認識されている。その馬の父、祖父、曾祖父、母、祖母、母の父、母の母の父がどんな馬だったか、どれだけ活躍したのか、その他諸々の事情というものがことごとく記録され、現代まで連綿と受け継がれている。競馬のことを語るとき、血統の話が話題に上らないなどということはほとんどありえない。ファンならばその馬の子が、孫が、さらにその先の子孫たちが後々まで活躍していく姿を一度は夢想することだろう。



 ブラックタイドの場合、自身の成績こそ振るわなかったものの、その全弟ぜんていであるディープインパクトが日本競馬における三大クラシックレース(皐月賞さつきしょう東京優駿とうきょうゆうしゅん(日本ダービー)、菊花賞きっかしょう)を全て制して三冠馬となり、その後も天皇賞春、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念という日本の主だったビッグレースを総なめにする活躍をみせたことで、全く同一の親を持つブラックタイドの「血の価値」あるいは「需要」もまた一気に跳ね上がったのである。



 ディープインパクトの全兄、父も母も全く同じであることは、例えばディープインパクトを生産者の牧場で所有している牝馬に種付けしたいと考えたとき、様々な(主として金銭的な)事情からディープインパクトを付けられないというケースで、ちょっと(子供の)質は落ちるかもしれないけれどブラックタイドで……という話をすることも出来るわけである。このようなケースは、競馬の歴史においては決して珍しいものではない。



 ともあれそういう経緯もあって、ブラックタイドは2008年に引退した後に種牡馬としての生活を始めることになったのである。弟ディープインパクトの産駒が前評判通り華々しく活躍している裏でひっそりと重賞の勝ち馬を送り出すなど、そこそこの活躍を見せてはいたものの、「弟の血の代用品」という立場から脱却するまでには至らなかった。



 しかし、2015年の秋にその事情は大きく変わる。待ち望まれていたG1勝ち馬がついに出現したのだ。その馬こそ、のちにG1レース七勝を挙げ、歴代獲得賞金トップホースにまで上り詰めた名馬キタサンブラックに他ならない。

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