南国暮らし徒然

秋野大地

第1話 コロナの恩恵?

 マレーシアのあるセミナーで教えられた。

「緑は進め、赤は止まれ、黄色は急げだ」

 え? マレーシアではそうだったの?

 しかしみんなの笑いが起こり、ジョークだと気付く。

 周りのみんなが笑って話し手の中華系マレーシア人はご満悦。

 そもそも緑じゃなくて、青でしょうよ、信号は。

 しかしここでは緑だ。実際の信号の色を確認すれば緑だし、仕事の件でも判定タイミングでは、グリーンライトが出ているとかいないと表現することたびたび。

 言語は英語。

 アメリカ人と違い、ジョークは余り上手じゃない。

 お互い身体に染み付いている文化も違うから、内容がジョークか真剣かもときどきよく分からない。

 関東人が大阪の吉本新喜劇を見ているときのように、笑うツボも分からない。

 なぜここで笑う? となる。

 英語の発音はかなり特殊。

 映画の英語を普通に理解するフィリピン人妻は、ここへ来た最初の一ヶ月くらい、彼らが何を言っているのか分からないとぼやいていた。

 初めて英語で妻に優越感を覚えたマレーシア。

 その妻は現地の発音どころかマレー語まで覚えてしまい、マレー語で会話されるとこちらはちんぷんかんぷんに。

 自分のささやかな優越感は短命だった。

 更に家で家族揃ってアメリカ映画を観ていると、自分を除いた全員(妻と子供三人)が、突然同時に笑う場面によく出くわす。

 もちろん取り残された気分になる。

 子供に、パパ、面白くないの? なんて顔をされると、少し悲しくなる。

 馬鹿野郎、俺は日本人だ!

 お前たちも日本パスポートを持っているなら、もっと日本語を勉強しろ!

 あくまでも心の叫び。

 だから家族揃って有料の映画館には行かない。

 いくら誘われても、みんなが映画を観ている間、自分はコーヒーショップで読書か書き物をする。

 料金を払って大画面の前で寝るより、コーヒーの方が安上がりでかつ有意義。

 妻は自分たちだけ楽しんで申し訳ないと思っているようで、映画へ行くときは遠慮気味。

 こっちは一人になれて、誰にも邪魔されずに好きなことをできるから大歓迎。

 毎週映画を観に行ってくれと思っている。

 それがテレパシーのように伝わり、我が家族の映画館へ行く頻度は少なくない。

 三日連続、なんてこともある。

 人間、一人で生きるのは辛いと思うが、たまには孤独になりたい。それで息抜きができる。

 自分が今の会社へ入る際、一番最初に社長と直接給料交渉をした。

 外国企業だから、給与体系でこうなるという話はない。

 会社がいくら払いたいか、こちらがいくら貰いたいか、このせめぎ合いで金額が決まる。

 僕は月々の生活費がこれくらいかかると正直に申告した。

 その中に、フィリピンにいる妻の家族への仕送り分も含めた。

 これは嘘ではない。給料が少なくても、月々お金は送らなければならない。

 社長は自分をいい夫だと褒めてくれ、それもきちんと給料に織り込んでくれた。

 毎月の映画代も、ここに入れるべきだったかもしれない。これはもう手遅れ。

 フィリピンには、毎月約十万円を送る。

 月々の給料がニ万円とか五万円という土地柄、十万円は充分だろうと考えていたが、思ったよりフィリピン国内物価上昇率が高い。

 倍くらい申告しておけばよかったが、こちらももう手遅れ。

 幸いフィリピンの家族はそれなりに暮らしてくれるから、 Better than nothing(ないよりはまし)と考えてくれたら有り難いと思っている。

 今はコロナ騒動でどこも大変。

 特にフィリピンは厳しく、厳格なロックダウン。規制を守らない人間は射殺も辞さないという大統領宣言通り、既に何人かが警官に撃たれて死亡。

 出歩けなければ仕事へも行けず、その分実入りが減る。勤め人の弟は、どうやらこの時期の給与が保証されていないようだ。

 何でもありのフィリピンでは、珍しくはない。

 それでこちらの仕送りには、目減り分を上乗せしている。

 ああ、コロナ手当が欲しい。

 冗談でそう言ってみたら、会社の方こそコロナ手当が欲しいと言われた。

 それは良く分かる。

 規制のせいで、生産現場の稼働率が著しく下がっている。

 仮に完全稼働しても、物が売れるか分からない。

 よく潰れない、よく社員に給与を払っているものだとこちらが感心している。

 冗談のような話が本当になった。

 暫定で二十パーセントの給与カット。

 平はカットなし。マネージャーは十五パーセントカット。シニアマネージャーは二十パーセント、役員クラスは二五パーセント。

 十五パーセントカットを覚悟していたら二十パーセントという結果で、自分がシニアマネージャーであることを初めて知った。

 コロナの恩恵で、全員シニアマネージャーに昇格したのだろうか。

 申し訳ないと言われるが、台所事情は察して余るものがある。

 Better than nothing(ないよりはまし)と考えることにした。

 このコロナ騒動で、自分の人生に何度目かの転機が訪れそうな予感がある。

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