スランプ役者には、石の唄を。

アオミユキ

序章 満月と楽器を奏でる男  

 

 満月だった。


 薄雲のかかった夜空と一面に広がる草原がある。

 ビルや街灯なんて野暮ったい人工物はなく、聞こえるのは名も知らぬ虫と鳥の声。

 そして、そこに一人の男の吐息だけが聞こえていた。

 男は草原の上に立ち、何かを喋る訳でもなく、ただ息を吸って、吐くことだけを繰り返して、空を仰いだ。

 

 男の手には不思議な形をした楽器が一つ、握られている。

 鋼を削りとって作り上げたような長細い楽器だ。

 形だけみればクラリネットに似ている気がするが、既存のものと違って管がねじ曲がっていて武骨な形をしていた。


 ひとしきり、空を見上げていた男は楽器に視線を落とすと、愛おしそうに手で撫でながら、マウスピースに口をつけた。

 

 男が息を吹き込んだ瞬間、楽器は淡い光を発し始める。

 共にどの楽器とも取れない独特の音が溢れ、男は名もない曲を奏でた。

 息を吹き込み、指を動かす度に音は色と形を変えた。重くなり、透明になり、軽くなり、色づいて草原と夜空に吸い込まれていく。

 音に愛しい者の面影を映しながら、男は、独りで奏で続ける。


 男が想うのは、一人の女性。

 己の人生において、生涯最高の出会いを、男は反芻していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る