ちょっとやる気が出ないだけ

桜庭 くじら

1 ちょっと言葉が出ないだけ

 7月の三者面談で、通知表を見せながら担任の岩崎先生は言った。


「夏樹君の成績は非常に、残念です。特に数学は課題提出を遅れたのでこの結果になります」


 母は何も言わない。

 蒸し熱いこの頃の気温でぼぅーっとしているみたいに、ただじっと通知表を見つめている。


「夏樹君、君は入試では学年3位の好成績で入学してきているんだ。そんな君ならちゃんと努力すれば目指す大学にも必ず受かる」


 僕は開け放たれた窓から微かに入ってくる運動部の掛け声を聞いていた。

 もうすぐ日が暮れて練習も終わるだろう。

 暑い中お疲れさん。


「今年度の最初の面談で君、言っただろう?心を入れ替えて勉強しますって。あれは嘘だったのか?」


 汗を額に浮かばせながら、強い口調で諭される。

 岩崎先生は今時珍しい熱心な教師だ。高校二年の春、つまり3ヶ月前、僕はこの人から感激的な言葉を浴びるように聞かせられ、まだ可能性があるならやってみよう、と思えた。


「どうなんだよ、夏樹君」


 先生の目に微かな諦めみたいなのが映っている。


「すみませんでした。これからは頑張ります」


 僕はそう言って頭を下げる。

 どうせ言葉だけだ。

 3ヶ月前やらなかったことはこれからだってやらない。やはり怠惰な日々を流していく。

 そこから先も生返事を繰り返しててきとうに済ませ、なぜか動こうとしない母さんを強引に引っ張り教室を出た。


「夏樹」


 廊下の途中、唐突に母さんが僕の名を呼んだ。

 その顔は失望の中で死んでいる。


「ごめん母さん、この後部活だから」


 嘘だ。僕は一応文芸部に入部しているが幽霊部員だ。面倒くさい雰囲気を感じた時、逃げる理由に使えるから案外便利なものだよ。


「待ちなさい夏樹!」


 駆け出す。

 廊下に溜まっている風が妙に冷たく感じる。


「待ちなさい!」


 もう絶望染みた視線には当たりたくないんだ。

 曲がり角の先の階段を駆け昇った。


**


「お前、そりゃ、家帰った時大変になるな」


「そうだね」


 屋上。

 高い柵に囲まれた学校の孤島。

 この敷地で一番空に近い場所。

 そこで僕は、友人の拓真とフェンスに寄りかかり話している。

 ちなみに彼が今の学年3位の優等生だ。


「てかさ、なんでこんな暑いところに来たんだよ?」


 彼はさぞ嫌そうな顔をして、シャツの裾をパタパタあおいでいる。

 どうやら必死で屋上に上がる僕を見て、後をついてきたらしい。

 僕は、そうだね、とだけ言って、熱くなった身体を時折吹く風に冷ましていた。


「そう言えば、お前、この高校に入学したの、好きな先輩の追っかけだったんだって?」


 拓真がニヤニヤしながら、僕の表情をうかがっている。

 こいつには気さくな性質があって多くの友達がいる。僕にもそいつらと同じように接してくれているが、正直今の僕はそういうノリに対する耐性が抜け落ちていた。

 無表情と無言でノーコメントの意を示し、彼の目を見る。


「おい、そんな顔されてもわかんねーよ」


 僕もなんて言っていいかわかんねーんだよ。

 正直なことも言いづらいし。

 拓真はふんと鼻を鳴らして腕を組み、めた顔で僕を見つめた。


「お前って時々話さないし、話しても“そうだな”しか言わないよな」


 しょうがねぇだろう。

 どうせボキャ貧コミュ症なんだからさ。

 ここも居づらいところになっちゃったよ。


「悪いね、僕、先行くよ」


「おい!」


 僕は振り向かない。

 勢いよく開けた校舎のガラス扉は傾いた太陽が反射して眩しかった。

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