第286話◇落暉
アカツキの魔法によってミヤビの魔力は急速に『吸収』されていた。
他者の意思で体内から魔力が失われる感覚は筆舌に尽くしがたい。腹に空けられた穴から胃液を吸い取られるような、未経験の嫌悪感。
並の魔法使いであれば魔法の発動すら困難なその状態で、ミヤビは魔法を連発。
アカツキは『吸収』しつつ『放出』する技能にも優れるが、それはあくまで一箇所からの攻撃に対して。
『アヴァロン』戦で魂の魔力炉接続を用いなかったことからも、複数箇所からの攻撃を得意としないのではないかと推測出来る。そもそもが繊細な感覚を要する神業。目の前のことに集中すればいい状況と、四方八方を気にしなければならない状況とで成功率に差が出るのは必然。
実際、彼はミヤビの
第一関門は突破。
問題はここから。
「あなたの剣は届かない」
あと数歩の距離になって、それは展開された。
ミヤビから奪った魔力で構築された魔力防壁。その耐久力は誰よりもミヤビ自身が理解していた。なにせ自分の魔力だ。
だから、残る魔力のほとんどを剣に注ぎ込めば、一度は断ち切れることも分かっていた。
迷わず、斬る。
透明の壁が斜めにずれ、崩壊。ミヤビはそのまま進む。
そして、互いに剣が届く距離。
「残念だよミヤビ」
だが当然、剣の到達などという結果を許すアカツキではなかった。
再び魔力防壁。今度はもう、魔力で斬ることは出来ない。
そして魔力防壁の性質から、敵の攻撃だけを阻み――自らの攻撃は透過する。
つまりは、アカツキの剣だけが届く領域。
彼が退かなかったのは、迎撃する為。
自分だけが攻撃出来る権利を行使し、ミヤビを此処で殺す為。
彼は一瞬だけ悲しげな顔を見せたが、すぐに絞り出すような殺意で上書き。
「求めた
彼の刃のみが防壁をすり抜け、ミヤビの胴体へと迫る。
ミヤビはそれを、
アカツキは姉弟子の判断を、せめて戦いの中で死のうとしているのだと解釈したようだ。
――そんなわけねぇだろう。
ヤクモが大会予選一回戦を勝ち抜いた後の会話を思い出す。
自分は彼らに目的を話し、共に戦えと誘った。
太陽を取り戻す。
途方もない目的。
だが彼らは乗ってきた。
ミヤビもチヨもヤクモもアサヒも分かっている。
自分達の代では無理かもしれない。
それでもいつか誰かが魔王を殺せるようにと戦うのだ。
この時代で魔王を殺せる可能性が出てきた時、胸が高鳴ったものだ。
だが、それは高揚であって執着ではない。
自分達こそが、なんてこだわりはない。
この世界にはもう、アークトゥルスが、ヘリオドールとテオが、なによりも。
ヤクモとアサヒがいる。
魔王討伐に燃える《
この世に残していく心などない。
遺すまでもなく彼らには既に継がれている。
千の夜さえ狩り尽くし、日輪を取り戻す意志が。
『……決めたのですね』
妹の声に、最早悲痛さはない。彼女は全てを理解し、受け入れ、そして共に在ると決めてくれた。
――あぁ。
『では、最期までお供します』
ミヤビの大太刀が、動いていた。
「……今更、何を」
火花、だった。
ミヤビに残された最後の魔力。
防壁を壊すには到底足りず、攻撃魔法など組めるわけもなく。
僅かな火花を散らす程度の、脅しにもならぬ明かりと音、そして衝撃。
あのアカツキさえ、理解するのに時間を要した。
そして理解した頃には、もう遅かった。
アカツキの、胴を薙ぐ一閃。
ミヤビの、上半身を裂く振り下ろし。
そのどちらも、対象を斬った。
血煙は、両者から。
「ほころ、び」
予想外の負傷に驚愕しつつ、アカツキはその原因を即座に解明。
そう。
――『魔法の発動・維持には集中が必要。周囲の騎士達から魔力を奪いつつトオミネ兄妹を相手取る程、アカツキは愚かではなかったというだけ』。
つまり、ミヤビがアカツキに勝つには、ヤクモになるしかなかった。
剣技は問題ない。必要なのは、綻びを斬る術。だがあれは一朝一夕で身につく技能ではない。
しかし、再現するのは結果だけで構わなかった。
ミヤビは特攻に見える突撃を敢行。アカツキはそれに失望。ミヤビは複数の攻撃魔法によって敵の『放出』を制限。魔力防壁の一枚目を残る魔力で突破。最後の一枚は、敵にとってミヤビを殺す好機。逃げぬと踏み、実際彼は剣を振るった。即座に魔力防壁を展開するのは存外難しい。ヤクモの友人であるトルマリンレベルの巧者でもなければ、集中状態よりも出来が悪くなるのは必至。間に合わせる為に展開範囲も半球ではなく一枚の壁。
だから、出来た。
壁一面に火花を散らすことで綻びを突き、魔力防壁を自壊に追い込むことが出来た。
全ての魔力を失い、敵の一撃を甘んじて受け入れ、勝負を捨てたと蔑まれ、それによって。
敵を斬る。
アカツキは魔人ではない。そして『治癒』も持っていない。大量の魔力を持っていたところで最早何が出来るでもない。
仲間がセレナに殺されるか捕らわれるかした今、血を止める術はないのだ。
「あばよ、糞餓鬼」
対するミヤビの腹も盛大に裂けていた。魔力もなくなった今、誰かに感知してもらうことも難しい。
おそらく自分もこのまま、ここでくたばる。
「……さすが、ミヤビ姉さんだ」
致命傷を負ったというのに、アカツキの表情はどこか嬉しげ。
姉弟子に失望せずに済んだことを喜ぶような顔。
そして、両者の身体が傾く。
それを、武器化の解けた互いの相棒が受け止めた。
「アカツキ!」
「姉さん……!」
ここでアカツキを倒したことは、人類の勝利を大きく
だから、これでいい。
ここで自分は終わる。
ミヤビはそう思っていた。
そう、思っていたのだ。
ミヤビでもアカツキでもミミでもチヨでもない。
二人分の足音が、近づいていた。
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