第271話◇銘々(6)
《
《カナン》が彼を都市に置いておきたい理由は幾つかあるが、今彼があたっている任務もその一つだ。
壁外。
微かに模擬太陽光が漏れ出てきているため真の暗闇でこそないが、生きていくには不便この上ない。
そんな暗闇の中に、二組の領域守護者の姿があった。
「兄上、これでどうでしょう」
ヘリオドールの傍らに立つのは、弟のエメラルド=スマクラグドス。
彼が作り出したのは、分厚い土の壁だ。
高さは長身の人間を見下ろせる程で、幅は両腕を広げた程度。
「うむ、これならば問題ないだろう」
ヘリオドールが頷くと、エメラルドは小さく拳を握った。
「だが時間を掛け過ぎだ。これでは永遠に終わらない」
「……! 精進します」
エメラルドはその日、兄の手伝いをしたいと申し出た。
その内容とは、防御壁の建設。
これまでもあらゆる都市で行われたことだが、どれも頓挫するか長持ちしなかった。
規模と壁外の危険度から考えて、魔法しか選択肢がないが、必要となる魔力があまりに膨大。
常に魔力不足に苦しんでいる人類領域からすれば、優先度が低くなってしまうのは仕方のないことだった。
だがつい先日《アヴァロン》から帰還したヤクモ達は、《騎士王》の魔力が込められた大量の魔石を持ち帰った。
そしてこれはまだ一部の者しか知らないことだが、《騎士王》は魔王討伐に協力する都市には魔力供給を約束すると確約。
候補を含めると三組もの《
ミヤビ組とヤクモ組はまず間違いなくやる気だ。
ヘリオドールもかつて、ミヤビに約束した。
魔王が実在し、その所在がハッキリしているのであれば討伐に協力すると。
魔人ランタンを抱え込んだ時点で、巻き込まれたも同然。
《カナン》はその話に乗るだろう。
ヘリオドールの魔力を備蓄ではなく防御壁建設に回す許可が出たのは、つい昨日のこと。
魔力に余裕が出たからだけではない、次なる脅威に早急に備えようというのだ。
「協力はありがたいが、程々のところで切り上げて、壁内に戻れ」
「……僕では兄上のお役に立てませんか」
不安そうな顔をする弟に、ヘリオドールは微笑みかける。
「そうではない。お前には本戦があるだろう」
「!」
「わたしだって、弟に興味がないわけではない」
唇の片側を、はにかむように歪めるエメラルド。
「兄上は……入校したその年の大会で優勝しましたよね」
「あぁ、本戦に集中したからだ」
こう言えば弟のことだ、すぐに都市に戻るだろう。
だがヘリオドールの予想は僅かに外れた。
「……分かりました。ですがもう少しだけ、手伝わせて下さい」
思わず溢れた笑みを隠すことなく、ヘリオドールは頷く。
「では、頼もう」
◇
「ダメだ」
開口一番、ヤマトの老翁は言った。
相棒のダンも、「だから言っただろう」とばかりにこちらを見ている。
「いや、でも、最近は身体の調子もいいんですよ」
「ユーク」
ぴしゃりと、戸を閉めるような声。
交渉の余地は無しなのだと、それだけで分かる。
ユークレース=ブレイクはしょんぼりと肩を落とした。
『雷撃』と抜刀術を併せて使用するユークレースだが、剣術の師はヤマトの老人だった。
学舎に進んでからも度々教えを請うているのだが、今日は断られてしまった。
「調子がいいからって油断しちゃいけねぇ。それを保ったまま本戦を迎えるべきだろうが」
「そ、れはその通りですが……」
ユークレースには焦りがあった。
予選でのグラヴェル組との戦いによって、ユークレースの戦法は暴かれてしまった。
雷撃が魔法表面を迸ることによって綻びを焼き、無力化させていたことがバレたのは大きい。
トルマリンクラスの魔力操作能力の持ち主であれば、綻びの位置を調整される可能性がある。
「僕は、勝ちたい」
「そりゃお前だけじゃあねぇ」
「分かっています」
ユークレースは生まれつき身体が弱かった。
けれど魔法の才能だけはあった。
領域守護者としてなら、ユークレースは強くいられる。
友人と並んで戦うことも、人々を守ることも出来る。
それだけでも自分にとって幸福なことだ。
だが、ユークレースも男なのだ。
戦士なのだ、というべきか。
最強を決める戦い。
既に一度破れているとはいえ、本戦に出場出来た。
この機会を、無駄にしたくはなかった。
「今更焦ったところでしょうがねぇし、そもそもだユーク。焦る必要なんかねぇだろう」
老翁はぼりぼりと頬を掻きながら、ユークレースを見上げる。
都市の一角。貧民街。崩れかけた家屋の横にある、狭い空き地。
「すべきことは全てやった。違うか?」
師の瞳が問う。
訓練に手を抜いたか。
努力を怠ったか。
出来ることがあったのに、それをしなかったか。
答えは否。
「……違いません」
「よし。ならジジイの面なぞ眺めてないで、さっさと帰れ」
しっしと手を振る師。
ぶっきらぼうな態度だが、ユークレースは知っている。
自分の試合を、師が毎回観に来ていることを。
今更焦ったところで、持ってないものが手に入ることはない。
だが、持っているものが自分を裏切ることはない。
積み上げたものは嘘を吐かない。
この手の内にあるもので戦うしかないのだ。
自分の手のひらを見下ろす。握る。顔を上げる。
「師匠」
そこにはもう、師はいなかった。
まるで最初からいなかったかのように、消えている。
「相変わらずだ。俺達より速いんじゃないのか?」
慣れているから驚きこそしないが、ダンは苦笑している。
「さすがは師匠だ」
ユークレースも微苦笑を浮かべ、二人は寮へ戻る道を行く。
一回戦。
《皓き牙》学内ランク四位《雲耀》ユークレース=ブレイク
対
《蒼の翼》学内ランク一位《地祇》エメラルド=スマクラグドス
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