第270話◇銘々(5)

 



 車椅子の女性が懸命に車輪を回している。

 もう限界なのか息は荒く、額からは汗が伝い、腕は痙攣していた。それでも女性はなんとか車椅子を進める。その度に彼女の美しい銀の髪と豊満な胸が揺れた。


 通行人の誰もが目を奪われる光景。だが彼らは一様に目を逸らす。

 彼女のすぐ後ろを歩く逆だった銀髪の少年が殺気を飛ばしているからだ。


「姉貴」


「だめ! お姉ちゃんだってひとりで出来るんです」


 スペキュライト、ネア。アイアンローズ姉弟だ。


「もう限界だろ」


「スペくんはすぐそうやってお姉ちゃんを甘やかそうとするんだから」


「してねぇよ」


「もう、このお姉ちゃんっ子め。可愛いけどお姉ちゃんの自主性も尊重してほしいな」


「先に帰っていいか?」


「それもだめ。スペくんが見ててくれるから頑張れる、というところが大きいので」


「……世話の焼ける」


「そう言いながらもちょっと嬉しいスペくんなのであった」


 スペキュライトは黙って車椅子を押す。


「あー! 酷いよスペくん! 坂道でちょっと腕が疲れただけだったのに!」


「姉貴に任せてたら日が暮れちまうだろうが」


「そんなことないよ! お姉ちゃん最近凄いんだからね? 見てこの腕、最近頑張って鍛えてるんだから。ほら、力こぶだよ! 筋力がついてきたって自信があるの。もう大樹の幹みたいじゃない?」


「枯れ木の枝みてぇだ」


「女性になんてこと言うの!? そんなだから彼女さんの一人も出来ないんだよスペくんは」


「大樹の幹はいいのか?」


「あぁいえばこういうんだから」


「姉貴もな」


 他愛のない会話をしながら街を行く。最近姉はこういう風に外に出たがるようになった、とスペキュライトは思う。


 トオミネ兄妹への出逢いは、姉にとっていいものだったようだ。

 そしておそらく、自分にとっても。


「姉弟でデート?」


 自分が睨みつけるだけで遠ざかる通行人達だが、その人物は違った。

 無表情の《導燈者イグナイター》を連れた、黒髪の《偽紅鏡グリマー》。


「あら、アサヒさんの妹さん?」


「お姉ちゃんと仲いいらしいね、きみ」


「そうなんですよ~」


「何の用だよ」


「こらスペくん、そんな言い方ないでしょう」


 ルナ改めツキヒが変わったことは、スペキュライトも分かる。だがそれは改心というよりは軟化で、人が変わったのではなく問題の一つが解決したに過ぎない。


 それまでの彼女の振る舞いを見ると、とてもではないがすぐに信用は出来ない。


「いいよ。話が早くていいじゃん」


「お前は遅いな」


「自分の《班》を創ろうと思うんだ。きみたちを誘おうと思って」


「あ?」


「返事はすぐじゃなくていいよ」


 それだけ言って二人は歩き出す。


 いきなりの勧誘。

 混乱も疑問もあるが、スペキュライトはなんとか彼女の背中に声を掛ける。


「おい、なんでオレ達なんだよ」


「魔人相手でもビビらないでしょ、その時点で貴重だよ。他にも色々あるけど、わざわざ教えたげない」


 意地の悪い笑みを浮かべた彼女は、今度こそ行ってしまう。


「チッ、なんなんだ」


「可愛い子だったねぇ。それで、どうするのスペくん」


 姉はいつも通りだ。


「どうするもなにも」


 これまで家の力を振りかざし単独で戦い続けてきたツキヒが、ここにきて《班》行動の重要性や必要性に気づいたのか。

 アサヒの影響はあるだろうが、それだけではないだろう。


 《アヴァロン》から帰ってきたタイミングで、というのが気になる。


 ――チームワークが必要なる事態が起こると、知ってる?


 単に仲間の必要性に気付かされただけかもしれないが、何かへの準備を進めているようにも見えた。


 本戦が始まるという時期にチーム作りに勤しむあたり、急いでいるのかもしれない。


 ツキヒの立場は微妙に複雑だ。

 つい先日までは《偽紅鏡グリマー》でありながらオブシディアン家の娘で、かつ多彩な搭載魔法と遣い手を操って戦う姿から彼女自身が高く評価されていた。


 ヤマト混じりであると公表し名まで変えたことによる混乱は、まだ収まっていない。


 だが、これまで通りにオブシディアンの恩恵に授かることは出来ないだろう。


 かといって他の五色大家が力を貸すかと言われると微妙だ。

 引き込もうと試みる者はいるだろうが、あの性格を考えるに突っぱねそうだ。


 そうなると彼女が仲間に選べるのは五色大家の影響下に無い者、だろうか。


 『白』の風紀委のような《班》は例外で、基本的には名家の思惑は《班》構成にも大きく影響を及ぼすものだから。


 逆に、一応は四十位以内にいるものの、何の後ろ盾もなく魔法にも欠陥を抱えているスペキュライト組のような者達を欲しがる人間は少ない。


「姉貴はどう思う」


「わたし達にも、一緒に戦ってくれる人は必要だよ。ふふふ、確かに理想はヤクモさん達かも」


「んなこと、オレは言ってねぇぞ」


「でも、思ったでしょ?」


 ヤクモとは共に魔人と戦ったことがある。

 彼の決して諦めず勝つまで絶えず動き続ける姿は、共に戦う者まで引き上げる。

 魔人戦でもそうだったし、予選であたった時もそうだった。


 六発制限が尽きた後も、ヤクモは警戒を解かなかった。

 スペキュライトと姉がもう終わりだと、彼は断じなかった。


 そのことが、残弾の尽きた後でも戦う術に繋がらなかったと言えば、嘘になる。


「ツキヒさんは、変わろうとしているんだと思う。わたし達にとっても、いい機会かも」


 スペキュライトも考えなかったわけではない。

 『白』である以上、これから先も魔人と遭遇する可能性がある。

 その時、信頼出来る仲間がいなければ姉を死なせることになる。


 グラヴェル組が信頼出来るかは別として、考慮する価値はある、か。


「ところでスペくん。お姉ちゃん体力回復してきたよ」


 ふんす、と鼻息を荒くしながら両拳を握るネア。


「……わぁったよ。自主性とやらを尊重してやる」


「うふふ」


 姉が車椅子を動かす。

 その後ろを歩きながら、スペキュライトはしばらく考えた。



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