第174話◇開始
《三、二、一……作戦開始》
アルマースのカウントダウンが終わると同時。
ヤクモ組は壁の縁に出現した。
セレナの『空間移動』によるもの――ではない。
雪白の杭を打ち込み、それを足場に昇る。
敵にバレずに近づくには、遠く離れた箇所から倒すか、一瞬で距離を詰めるかしかない。
だがもう一つ、普通の領域守護者では出来ない接近方法がある。
魔力を持たない者が近づく、という方法だ。
魔力が探知されなければ、気づかれないという理屈。
魔人の鋭敏な感覚を以ってしても知覚出来ない隠密行動に優れた者でなければこなせないが、その点も兄妹は問題なし。
これによって兄妹は天を衝くかの如く聳え立つ壁に白を突き立て、高さをものともせずその縁まで近づいた。
合図と同時に縁に躍り出たヤクモは、音も立てず魔人の背中に向かって駆ける。
『断頭』
追い抜きざまに閃いた雪色夜切の刃は、何の抵抗も無くその首を刎ねる。
そして同時に赫焉刀が魔力炉を貫いていた。
頭部はそのまま、壁外側に落下していく。
『……当たり前のこととはいえ、こうも上手く行くと不気味ですね』
もし互いに互いを認識し、ある程度の距離を保った状態から戦闘が開始したならば。
セレナ以外の誰も、今回のように素早く相手を始末することなど出来なかっただろう。
それこそ風紀委の《班》が壮年の魔人に苦戦を強いられたように。
敵がこちらの接近や攻撃範囲にいたことに気づかず、おそらくミヤビが見つかっていないことから平静を欠いており、魔力防壁も展開していなかったなど、複数の理由があって『万全』ではなかった。
隙を突くなんて表現があるが、まさしくそれだ。
通常の魔人戦では敵が侵略する側、人類が攻められる側。
一体の魔人の所為で都市が存亡の危機に陥ることもある。
そんな相手を、作戦通りとはいえ一瞬で四体も倒せてしまったことに納得がいかない気持ちはヤクモにもよく理解出来た。
「今のところは上手く行ってる」
魔人と聞くと無条件で人間以上の化物だとイメージしてしまう者も多いが、違う。
彼は超常的な力を持った、人間の上位種に過ぎない。
誰もが空を飛んだり壁を破壊出来るわけではない。
昇降機は壊されることなく、使える状態にあった。彼らもまた、利用していたのかもしれない。
コスモクロアとその弟であるユレーアイトによって他の仲間達は『風』で壁を超える予定だ。
『さすがに気付いた魔人もいるかと思いますが』
「だね……でもこちらへの対応をするより先に――きた」
一瞬、目を灼かれるような光。
闇に慣れ過ぎた目には、その輝きは眩しすぎた。
『……あの魔人、裏切りませんね』
「そう、だね」
直前まで《現在視》のルチルによって裏切りの意志は無いと確認していたものの、こうも協力的だとは思わなかった。
彼女が人類の味方になったなどとは露程も思わないが、少なくとも今ヤクモ達に協力するつもりではあるらしい。
『敵の敵は味方というやつでしょうか』
元々この都市を支配していたのはセレナだ。魔人の視点からすれば、留守中に支配領域を奪われたことになる。
であれば、その者と敵対するヤクモ達に味方することも、そうおかしくはないのか。
「どうかな。それより――」
信じてはいた。
それでも、震えずにはいられない。
『――姉さん』
チヨの声がする。
鞘に収まった彼女は今、ヤクモの背中に掛けられている。
「えぇ、師匠に決まっています」
街の中心部が騒がしい。
『タイミング的に動くのは分かりますが、武器はどうしたのでしょう』
ミヤビであればヤクモが来ることくらいは想定内の筈。
模擬太陽がつくという異変を気に行動を起こすのも彼女らしい。
『この都市に《
「えぇ、だから『もしいるなら』と師匠は考えたんだと思います」
『わたし達がセレナを捕らえたように、《
『……では姉さんは今、わたし以外の《
『えぇ浮気ですねこれはまったくよくないことです』
「…………」
低い声を出すチヨとアサヒ。
師の生存があってこその発言だとは分かるものの、少し怖い。
《隊長、ご命令を》
アルマースの声。
「《黎き士》のものと思われる戦闘音を感知、トオミネ組はこれより急行する。魔獣の存在は確認されていないが複数の魔人が点在していると思われる。各班隊長の指示に従いこれを撃滅せよ」
《了解。全隊員に通達します》
命令と同時にヤクモは壁から跳ぶ。
『白翼』
滑空する為の白き双翼が背部から生える。
空を裂き街を見下ろしながら、ヤクモは空を滑っていく。
《魔人セレナより報告。『魔人は自分を殺せるだけの戦力は抱えない』とのことです》
部下全員が同時に裏切った時に殺されることが無いよう、その戦闘能力の総計が己の力量を超えることがないよう考えている、ということか。
戦力の計算は数字のようにはいかないが、巧者であれば計れないということはない。
千年以上の時を生きる魔人の部下は、全員集まってもその者を殺せぬ程度に収まっているというわけだ。
『役に立つようで役に立たない情報ですね。そもそも大本の魔人がおっぱい魔王より強いというのに』
『己の師に対して礼を失する呼称ですねアサヒ。そしてそもそも、あの時の姉さんは全力ではありませんでした』
『負けた後で『本気じゃなかった』は言い訳として優れているとは言えないのでは?』
『アサヒ、わたしは姉さんと違って器が大きくないので――怒りますよ?』
「喧嘩ならば後で。あと今のはアサヒが悪いよ」
『ぐっ……分かってますよ! ごめんなさい!』
悔しげに叫ぶアサヒだった。
『失礼しましたヤクモ。姉さんの生存に浮かれていたようです。わたしもまだまだ未熟者ですね』
「おいッ! 人間が使ってるあの武器は地下のだろう! 貴様が手引きしたのか小僧!」
殺意迸る魔人の怒号。
それに晒されているのは、まだ幼い少年だった。
首を鷲掴みにされた状態で持ち上げられ、苦しそうに足をジタバタさせている。あれではそもそも声が出せないだろう。
「
『承知』
ヤクモの判断は一瞬。
翼を消し、極小の粒子を展開。
頭と足の上下を入れ替えるような姿勢から、粒子を蹴りつける。
地面に向かっての超加速。
両者の関係も事情も分からない。
だが、魔人が子供を殺そうとしている。
「この忌々しい光にも関わってんのか! 仕事を与えてやった恩を忘れやがって家畜風情――ガぁ!?」
血飛沫が舞い、魔人の腕と少年が落ちた。
模擬太陽によって視界は漂白され、魔力炉も活動を停止。
その戦力は大幅に下がっている状態。
「家畜じゃない。僕らは人間だ」
赫焉刀が魔力炉を貫き、腕を断ち切った振り下ろしの威力を殺さぬままに刃を返し、首を刎ねる。
少年はしばらく激しく咳き込んでいたが、喋れるようになるや「だ、誰っ」と疑問を口にした。
「あ、あの変な格好の女の仲間?」
『……変な格好』
チヨが少し傷ついたような声を出した。
「そうだね、多分その人は僕らの仲間だ」
「……魔人をぶっ倒すって、人間の街に戻すって……本気だったんだ」
ヤクモが討伐した魔人の死体と空に輝く模擬太陽、各地で聞こえ始める戦闘音。
少年はミヤビと面識があるようで、何かを思い出すような顔をした。
「あぁ、本気だよ。必ずこの都市をきみ達に返す」
少年を助け起こし、笑いかける。
「どこか隠れられる場所はある?」
少年はこくこくと頷いた。
「じゃあきみはそこへ」
「あんた達は?」
「変な格好の人が言っていたんだろう? 同じだよ。魔人をぶっ倒してくる」
ヤクモがあまり好まない乱暴な言い方だが、単純で分かりやすい。
少年と分かれ、師匠に合流する為にヤクモは駆け出した。
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