第172話◇遠見

 



 闇の中を往くとは言っても、指針が無ければ厳しい。


 ある程度は魔法で周囲を照らせるものの、無窮の黒を消すには遠く及ばない。


 ツキヒの『遠見』は現在地の環境を基に望遠を叶える魔法なので、暗闇であろうと長距離を見通すことに難はない。


 とはいえ、《エリュシオン》までの距離はあまりにも長い。


 そこで、通常の長距離移動任務でも使われるのが方位磁針コンパスだった。


 ありがたいことに一定距離ごとに目印となる柱が地に突き立っていることもあり――都市間の移動をより確実にする為に立てられたものだ――比較的スムーズに移動出来ていた。


「あのさ、ヤクモくん」


 『光』魔法でほのかに照らされた土塊の上で、セレナに声を掛けられる。


 ここまで彼女には二度、『空間移動』による長距離移動をこなしてもらった。

 二度とも進路を外れることなく距離の短縮を果たすことが出来た。


 全幅の信頼とはいかないが、逃げ出すつもりも置き去りにするつもりも殺すつもりも、今のところは無いと見ていいだろう。


 彼女を監視しているルチルも何も言わない。


「《カナン》の領域守護者って、色で仕事が分かれてるよね。初めて逢った時は白いのばっかだったし、壁の縁には青いのばっかだった。中には赤と、数は少ないけど黄色もいた」


 セレナがわざわざ『《カナン》の』と言ったのは、都市によっては領域守護者を抱える組織の形態や名称が異なることがあるからだ。


 軍を名乗る都市もあれば、騎士団と称する都市も存在する。


「それがどうかしたかな」


「でも此処には、全部の色がある」


 セレナの言いたいことは分かる。


 『白』と『光』は分かるが、『赤』と『青』に関しては任務でも壁外に出ることはほとんど無い。戦闘を伴うとなればほぼ皆無と言っていいだろう。


 そういった組織に入ることを望んだ者達も、この作戦には参加した。


 召集に対する拒否権というものは与えられているが、実際行使されることは無いという。


 それに関しては様々な理由があるだろうが、注目すべきは隊員の士気だ。

 此処に集まった者の誰も、誰一人作戦に嫌々参加している者はいない。


 負傷や死を極度に恐れるアンバーでさえ、これは必要なことと受け入れているようだった。


「セレナはさ、別にヤクモくん以外がどうなってもいいんだけどね。いや、見捨てるには惜しい可愛い男の子がたくさんいるけど、ヤクモくんそういうの禁止って言ったでしょ? だからうん、ヤクモくんのいろんな顔を見れるなら、後は仕方ないって思えるかな」


「要点を」


 セレナは拗ねるように唇を尖らせる。


「ヤクモくん、会話っていうのは楽しむものだよ? 効率を求めるだなんて、人間って馬鹿だね。合理性っていうの? そういうのって突き詰めると生きることの意味とは何かみたいな疑問に行き着かない? そんなもの無いんだから、無意味なことはする意味無いって自殺するわけ?」


「きみと長々と話す気分や状況ではないとは考えられなかったかい?」 


「考えたけど、セレナはきみと長々と話す気分だったんだ。そうは考えられなかったかな?」


「そうだね、考えるべきだった。ところで話が脱線しているようだけど」


「こういう無駄を愛さないと。外れたからと言って、戻す必要なんてないんだよ」


「戻さないと、話が終わってしまうのではないかな」


「それもそっか。んー、じゃあそこの白い髪の無口くん。武器展開中のヤクモくんとおんなじ髪の色できれいだねぇ。どうしてこの任務に参加したの? セレナに聞かせてよ」


 《燈の燿》第二位・クリストバル=オブシディアン。


 アサヒやツキヒの義兄で、オブシディアン家の嫡男。

 姉妹に聞いた話や見た目から分かるのは、一般的な領域守護者と異なり自身の身体も鍛えていること。


 上流階級の者にはそれに相応しい振る舞いや実績が求められる。

 五色大家の者ともなれば、普通の領域守護者になるだけでは足りない。


 一般的な領域守護者が軽んじる、または手が回らない肉体の鍛錬にも努めるというのも頷ける話だ。


 努力の理由こそ違うが、それが可能な環境であったという意味ではツキヒも当てはまるだろう。


 彼は長大な両手剣ツヴァイヘンダーを土塊に突き刺した状態で立っている。


 刀身の根本には革のようなものが巻かれており、その部分を握って振ることによって瞬間的に間合いを変じることが可能なようだった。


 その設計思想はヤマト武器である長巻野太刀にも通じるものがある。

 彼は他の者が腰を下ろしている中ただ一人、直立不動。


 その近くには妹であるコースもいた。

 セレナの声など聞こえてないとばかりに、微動だにせず進行方向を見ている。


「馬鹿ね。卑しい夜鴉ならばまだしも、魔人ごときがクリス兄様と口を利こうだなんて傲慢が過ぎるのよ!」


 コースが怒りを露わにする。


「うるさいよドブス。きみはお呼びじゃないんだよ」


「な――ッ!」


 コースは顔を真っ赤にしたが、ツキヒは吹き出した。


「あはは、コースさぁ、きみの高貴さは夜鴉や魔人には分からないみたいだね」


「黙りなさいルナ!」


「ツキヒだっての。でもさ、そこの魔人に乗っかるわけじゃないけど気になるよ。クリスはどうせお父様の命令だから従ってるだけでしょ?」


「……以前までは貴様もそうであっただろう、ツキヒ」


 価値観はどうしようもなく対立しているクリストバルだが、少なくとも彼はアサヒやツキヒを下等な夜鴉としては見ていない。

 魔人は無視しても、妹の言葉には応える。


「オブシディアンの権力を使いたかったから良い子ちゃんぶってただけなんだよ、ツキヒはね」


「そうか」


「そうなの。で、コースはなんで来たわけ? 雑魚がいると邪魔なんだよなぁ」


「いい加減にしなさいよ夜鴉混じり! わたしはオブシディアンなのよ!?」


「あぁ、ツキヒの件で色々問題になったから、手っ取り早く功績上げてうやむやにしようって? オブシディアン兄妹、《|黎明騎士(デイブレイカー)》救出す、とかなったら話題にはなるかもね」


「アンタの所為で、それも台無しだけどね!」


 確かに、ツキヒ組は召集されていなかった。


 ツキヒ組もがこの作戦に参加することは、オブシディアンにとっては不都合なことなのかもしれない。


 結果的に許可されたのは、他の五色大家の後押しか、あるいは……。


「うへ、政治的理由ってやつ? つまんなーい。じゃあきみは? 土の子の弟くん」


 エメラルドはキッとセレナを睨みつけるも、これまでのように噛み付くことはしなかった。


「知れたこと。魔人を討伐し、人々を守る。それこそが領域守護者の使命なれば」


「うわぁ……正義とか自己犠牲とかセレナ嫌いだなぁ。臭いっていうか、酔ってるっていうか。もっとドロドロっとしてるのがいいんだけどなぁ。自分のため! みたいなさ」


「僕自身で選んだ道だ」


「つまんない道を選んだんだねぇ」


「……貴様が固執する隊長も、正義の道を往く者だろうが」


「違うよ。ヤクモくんは欲望にまみれてる。もうドロッドロさぁ。自分の為に戦っているんだ。きみらには、分からないかもだけど」


『……魔人に知ったふうな口を利かれるのは不愉快ですね』


 だが、間違っていない。


 ヤクモは誰よりも自分に忠実だ。


 家族に幸せになってもらいたい。妹を幸せにしたい。

 その為に、勝ち続けたい。


 ヤクモの望みなのだ。それが。それこそが。欲望と言っていい。何も言い訳にしない。何があっても放棄しない。心の底からそれが望みと言い切れる。


 確かに、自分は欲望にまみれている。


 あるのは正義ではなく、あくまで望みなのだから。


「あ、見えてきたよ」


 もうかなりの時間を移動に費やしていた。

 ツキヒの『遠見』圏内に、《エリュシオン》が入ったようだ。



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