第161話◇焦燥
クリードの支配下にあった《ヴァルハラ》とセレナの支配下にあった《エリュシオン》。
二つとも人類が生き残っており、《カナン》はこの解放を計画していた。
だが、廃棄領域内は魔獣だらけ。
普段は魔人が命令を与えることで統制しているが、命令を持続させる魔力にも限界がある。
情報によると、《ヴァルハラ》の方は命令が一月近く持続するという。
だが《エリュシオン》はその半分の期間もない。
都市間の距離、残り時間、予想される生き残りや都市の状態、実現性などを考慮し、《エリュシオン》の奪還はミヤビ組が行うこととなった。
出発の当日。
早朝の訓練をしていると、師が部屋を尋ねてきた。
そして困惑するヤクモとまだ眠っていたアサヒを両腕に抱えて窓から飛翔。
模擬太陽の『真裏』まで飛んで行くと、二人をそこに下ろして笑う。
『お前らには何が見える?』
『……寝起きに美少女とその兄を拉致する変態ですかね』
恨みがましいアサヒの言葉を無視し、ミヤビはヤクモを見た。
ヤクモはなんとか師の意図を理解しようと、場所を確認。
わざわざ模擬太陽の上、あるいは裏に来るくらいだから、見るべきものもそれに関連があるのだろう。
ヤクモは立ち上がり、眼下の景色に息を呑んだ。
それは、広大な。自分が思っていたよりも余程広く大きな、都市だった。
『人々の暮らす、都市が見えます』
『違うなヤクモ。これは世界だ』
『……世界』
『地上は冗談みたいに広いってのに、その中の一部を丸く切り取っただけの箱庭。ほとんどの人間は壁の外を見ることもなく一生を終える。終えるしかない。ならこれは、街なんかじゃねぇよ』
師の言いたいことは、なんとなく分かった。
兄妹や家族が壁の外で暮らしていた時。
壁の内側に思いを馳せることはあった。父は元気だろうかとか、母の病気はよくなっただろうか、とか。あるかないなら、あるのだと分かる。考えることも出来る。
だが、壁の内には決して入れない。触れられない。干渉できない。
それは、無いのと同じだ。知覚出来る分、たちが悪いとさえ言える。
壁の外の、小さくてボロボロの村落。そして、それを守る為に駈けずり回る周囲の荒れ地。
それこそがヤクモ達にとっての『世界』だった。
己が感じられるものの限界範囲。
確かにそれは、かつて世界の半分を手にしていたという人類から見れば、あまりにも小さい世界。
『ヤクモ、アサヒ。お前らは夜を切ると言ったな』
『はい』
『そん時に見る景色は、きっと爽快だろうぜ。壁もねぇ、光は照らす相手を選ばねぇ』
『……そして、魔力の多寡が人の価値を決めることもない』
個人で見れば、真下に広がる都市でも充分以上に広く感じられる。
けれど大きな視点で見ればそれは丸く閉じられた世界で、歪みを大きく抱える世界で、ヤマトの民や魔力を多く生み出せない者にとって苦しい世界で。
『あたしとおチヨで使える箱庭を増やす。だからお前さん達はお前さん達の出来ることをしろ』
『大会で、勝つことですか』
『そこに必要なもんが詰まってる。分からねぇ阿呆じゃねぇだろ?』
本戦で優勝することで、必要な課程をすっ飛ばして正規の隊員と認められる、とか。
全勝することで裏の賭け試合に勝ち続け、家族が都市にいられるだけの額を稼ぐ、とか。
才能の無いヤマトの民でも結果を出すことは出来るのだと証明する、とか。
それは全て、とても大切なことだ。
けれどそれだけではない。
ヤクモに不足しているものを、師は知っていた。最初からずっと。
仲間と、対戦相手だ。
ヤマトの戦士がただ強いだけで、心から信頼する仲間を得られるだろうか? 否、得られまい。
学舎に入り、多くの訓練生とかかわり合いを持ち、その中でヤクモは得た。
共に戦う仲間。互いに命を預け、互いに勝利を目指す同胞。
ヤマトの戦士がただ強いだけで、夜を切ることが出来るだろうか? 否、出来まい。
ヤクモの強さは、魔獣から村落を守る強さだった。壁内に入る前に一度あった魔人戦では、命がけだったにもかかわらず敵の油断があったおかげでなんとか勝てたというだけ。
師匠は分かっていた。
喰うことしか考えない魔獣、楽しむことしか考えない魔人。
それらを相手にするだけでは、手に入らない強さ。
本気で勝つことを考える戦士との戦いこそが、ヤクモの持つ『思考力・応用力』という強さを引き上げるのだと知っていた。
『勝ちます。師匠にも勝てるような剣士になりますよ』
並び立てるようにと言おうとしたが、やめた。
中途半端な志では、師は怒りはすれ喜びなどしないと思ったから。
『千年早いんだよ、タコ』
背中を叩かれる。
だがその顔は愉快げに歪んでいた。
『じゃ、サクッと片付けてくる。お前らもサクッと勝て』
彼女なりに、弟子を気遣ったのだ。
都市の奪還に行きたいがそれが出来ない弟子達が、気を病むことなく試合に臨めるように、と。
ただ強いから、一度救ってくれたから、師と仰いでいるわけではない。
道を示し、指導し、時に激励する。
その全てをなんてことのない風にこなす剣士に、尊崇の念を抱かずにはいられない。
その後またアサヒがミヤビに噛み付いたりなどがあったが、とにかくそうして師は《カナン》を発った。
そして、チヨだけが帰還した。
いや、帰還とは違う。壁の近くまで迫った魔人に捨てられたのだ。
そして、そして。
師を殺したなどと、世迷い言をほざいた。
ヤクモはそれを信じていない。
明らかに妙な点があるからだ。
魔人の目的が殺したことの宣言なら、足りないものがある。
それを知らせる為だけに訪れたなら、不可欠なもの。
ミヤビの首だ。
だが件の魔人が見せたのは、ボロボロのチヨだけ。しかもこちら側に帰したばかりか、そのまま去った。
ヤクモは確信していた。
ミヤビは生きている。
今も《エリュシオン》で、武器もなく、それでも生きている。
ならば、行かねば。
今度は自分が、彼女を救けるのだ。
「わぁ、週に二度もきみに逢えるなんて嬉しいよぅ」
ピンク色の毛髪と瞳、幼い身体つきに、両側頭から上向きに伸びる角。
牢に閉じ込められるは、特級指定魔人・セレナ。
「《エリュシオン》に魔人がいた」
「今日も可愛いねとか、そういう台詞から入ってもいいんじゃないかな?」
「きみは知ってたのか。知ってて、黙ってたのか?」
セレナは駆け上がってくる快感に身体を震わせるかのように、恍惚とした表情を浮かべる。
「あ、すごいっ。きみも、そういう顔をするんだねぇ。家族を殺された人間とかがたまにする、顔の形が歪むくらいの怒り。ぞくぞくするかも」
気付けば、格子を殴りつけていた。
「まだ、きみを協力者だと思ってる。でも、次にその口から出てくるのが『協力』でないなら、その認識を改める必要があるかもしれないね」
セレナはつまらなそうに唇を尖らせるも、続けてふざけた言葉を吐くことは無かった。
「セレナ、嘘は吐いてないよ」
「なら」
「でも」
「でも? でも、なんだ」
「とられたんだよ、多分ね」
「とられた? ……っ」
その可能性があったのだ。
セレナは全ての配下を引き連れてこの都市を急襲した。
《エリュシオン》には魔獣と囚われの人類。
他の魔人が新たな城主になり変わることなど、容易いのか。
「嘘は吐いてないけど、確かにそのことについてきみに言わなかったね。でもわざとじゃないよ? セレナも考えなかっただけ。セレナのものをとろうとする馬鹿がいるとは思わなくて」
「…………」
嘘、には聞こえない。だが完全に信用することも難しい。
「誰か死んだの?」
ヤクモは答えない。師は生きていると確信している。なのに、口からその言葉が出ない。
「ねぇ、ヤクモくん」
「……死んでない。誰も」
「ねぇ、ヤクモくん。ヤクモくん。あのね、もしよかったら、セレナがね――手伝おっか?」
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