第156話◇交差




 なんて美しい刀だろう。


 漆黒の打刀はその刃だけが純白に染め上げられ、皓皓こうこうと輝きを放っている。


『……魔法です。おそらく、《黒点群》としての』


 ツキヒの真の姿を見て、会場の誰もが息を呑んだ。

 この試合は、誰にとっても予想外のものだったろう。

 戦いの内容も、対戦者同士の会話も。


 それでもみな、この瞬間同じことを思っていた筈だ。


 一瞬後に慌てて否定するだろうが、それでもこの一瞬、思わずにはいられない。


 綺麗だ、と。


 忌むべき夜の闇を思わせながら、なおも人を魅了するだけの美が、そこにはあった。


『とても綺麗』


 アサヒの声には、喜びも混ざっていた。


 偽の名に偽の銘、髪は染めヤマト民族を見下す。

 ツキヒはあらゆるものを偽っていた。

 己を偽ってなお、最強の頂きに立っていた。


 それが剥がれて覗いたのは、妹の愛した自慢の妹。

 成長したアサヒの妹は、《黒点群》へと進化した。


 姉としても、さぞかし嬉しいことだろう。

 それはいい。家族を愛し、誇ることの何が悪いというのだ。


 だが。


 家族を愛するあまり、己を蔑ろにしたのでは意味がない。

 家族を誇るあまり、劣等感を抱くのでは誰も報われない。


 だから、ヤクモは言った。

 喉が焼けた所為で呼吸も苦しいし、声は嗄れていたけれど。

 言わずにはいられない。


「水を差すようで悪いけど、僕の妹の方が綺麗だ」


 雪色夜切の柄を、ぎゅっと握る。


「どれだけ美しくとも、あの日見た雪色のきみには及ばない」


 宵彩陽迎よいいろひむかいを美しいと思うのならば、彼女は自分の美についても認めるべきだ。自分にも自信を持つべきだ。


 そう意味で、ヤクモは言った。


『…………うへへ』


 妹は照れくさそうに笑う。


『ちなみにそれ、人間の方ですか、刀の方ですか?』


「…………」


 黙るヤクモに、妹の声が尖る。


『後で絶対どっちか聞き出しますからね』


 戯れのような会話はそこで終わり。


 呼気を整える。


 グラヴェルの魔力反応はとても小さくなっている。《黒点群》としての魔法を使用しているということは、他に気を回す余裕は無いだろう。


 刃に纏わせるということは何らかの効果を付与するもので、なおかつ一撃で決着をつけられるものなのだろう。


 少なくとも、グラヴェルはその気で来る筈だ。

 そう、ヤクモは気づいていた。


 現在、グラヴェルはグラヴェルとして動いている。ツキヒに身体を明け渡してはいない。


 彼女の右足からはなおも出血が続いている。


 ヤクモは全身が焼け焦げ、訓練生服が焼けた皮膚に張り付いている。動く度に繊維とも肉片ともつかない炭化した何かが身体から剥落し、身体に激痛が走る。神経がむき出しになっているかのような感覚は、風だけで痛みを感じる程。じわりじわりと、泉から湧き出るように体内から血が溢れだしている。


 限界が近いのは両者共通。


 ヤクモは全身大やけど。

 グラヴェルは足の出血と魔力炉の機能限界。


 それでもあと一滴。あと一合。あと一撃。

 魂から力を絞り出す。


「アサヒ」


『はい』


白靭はくじん


 身体の外に筋繊維を張り巡らせるがごとく、粒子を纏わせる。ただし、左腕を除いて。


「四刀流」


 身体に纏わせている分以外の粒子を赫焉刀へと変える。

 そして、そこから更に二つ。


無刀むとう白染はくぜん


『……承知』


 この状態、この状況だからこそ有効な二つの選択。


 そして、激突の時を迎える。


「いざ、尋常に」


 ヤクモの声を合図に、両者同時に駆け出す。


 一歩ごとに身体が砕け散るのではないかと思う程の痛みが全身を襲うが、構わず全速力で疾走。


 ――勝つんだ、僕達がッ!


「ぅ、あァッ!」


 グラヴェルも足の怪我など知らないとばかりに強く地を蹴る。

 歯を食いしばり、雄叫びを上げて迫る。


 熱く燃えるその瞳が叫んでいるようだった。


 ――勝つのは、わたし達ッ!


 誰もが勝つためにこの場に立った。

 そしていつもどちらか一方が敗者としてこの場を去ることになるのだ。


 思いの丈が強い方が勝つのではない。

 より長い時を鍛錬に注いだ方が勝つのではない。

 才能に恵まれた側が勝つのではない。

 富める者が勝つのではない。

 地位の高い者が勝つのではない。

 今この場に限って、あらゆる評価項目は無意味。


 相手よりも、強い方が勝つ。


 最後まで立っていた者が勝つ。


 この場でなら、夜鴉でも価値を示せる。


 両者の距離が弾け、ゼロとなり、そして――。


 交差した両者はそのまま駆け抜け、示し合わせたかのようにフィールド中心より数歩の位置にて立ち止まる。


 世界に音が無かった。


 誰もが呼吸を止めて試合に見入っているのだ。


 時が前進していることを告げるように、観戦席中から息を呑む音、息を吸う音。


 ぼとり。


 ――……あぁ。


 ヤクモの右腕が、床に落ちた。


 ◇


「……勝った」


 グラヴェルが、呆けた声で呟く。


『……ヴェル』


「勝った。勝った。勝、った。ツキヒ、わたし、わたし達、わたし、たち、が」


 徐々に、声が喜色を帯びる。


『ヴェル』


「わたし、やった。あなたに、勝利、わたし、ツキヒ、あなたに」


『ヴェル……』


 だが、ツキヒは同じように喜ぶことは出来なかった。


 グラヴェルに落ち度はない。完璧だった。


 右腰に溜めた黒刀の切り上げは、駆け抜けざまに見事ヤクモの右腕を肩から断ち切った。


 彼の右腕は刀を揮うことも叶わず、それが今落ちる音も、確かに聞こえている。


「ツキヒ……わたし、あなたに、相応しい、いぐな、い……た」


『……あぁ、きみほどツキヒに相応しい《|導燈者(イグナイター)》はいないよ』


「あなたが、ツキヒ、あなたが……一番」


『……いいよ。ヴェルがそう思ってくれてるだけで、もう、それで、いいんだ』


「つき、ひ……?」


 グラヴェルは不思議そうに首を傾げ、そのまま視線を下ろして、瞠目した。


「え、あ……あ、ぁ」


 腹部の右半分が、大きく裂けていた。


『ヴェルは、頑張ったよ』


 自分達は何も間違えていない。

 ただ、ただ一つ、あるとするなら。


 自分達は、『あと一撃』という状況に、最高の一撃を用意した。

 そこで思考を終わらせてしまった。


 けれどヤクモは違ったのだ。

 『あと一撃』という状況そのものを、勝利に利用した。


 ヤクモの左腕は、もう動く状況ではなかった。それは確かだ。

 だが動いた。


 それだけではない。

 激突の瞬間、すれ違う一瞬。


 その時、彼の左腕にはカタナが握られていた。


 雪色夜切よりも一回り小さなカタナ。まるで大小拵えの小刀しょうとうのようなそれは突如現れ、グラヴェルを斬り裂いて行った。


 考えなかったわけではない。

 だが考えられなかった。


 粒子の量が合わない、、、、、、、、、


 ヤクモは雪色夜切とは別に、四振りの刀を創出していた。


 身体に纏わせている分と本体を合わせて、それで粒子は全て。


 だが、四振りの刀は主人の動きに追従していた。分解などされていないのだ。一瞬たりとも。


「……な、んで」


『無刀……無刀……そうか』


 今しがた聞こえた音を思い出す。


 腕と共に落ちた雪色夜切の音は――軽かった。


 あれは刀を持た無いということではなく、中身の無い刀ということなのか。


 彼が右腕に持っていた刀は、走り出すその前にはもう――空だったのだ。


 外側だけ本体に似せた張りぼて。水を抜いて空気で膨らませた水風船。


 抜いた粒子のことを知らないグラヴェルとツキヒにとって、粒子の計算は目に映るもので合ってしまう。


 ヤクモのやったことを考えて、ぞっとする。


 彼の左腕はもう動かない筈なのだ。


 それでも動かすには赫焉に筋肉の代わりをさせる必要があるが、左腕は白く染まっていない。


 でも動いた。


 白染はくぜん。白く染める。外側でないなら、どこを?


 内側か。


 つまり――身体の内部に赫焉の繊維を張り巡らせたのだ。


 白靭はくじんを使わなかったのは、左腕が動かないというグラヴェル組の認識を利用する為。


 ただでさえ意識があるのが不思議な重傷の中、ただ一刀を稼ぐ為だけに地獄の痛みを受容した。


 そして髪か、体内か、どこかに隠していた粒子で小刀を作り出し、敵を斬った。


 自分達は最強だ。

 だから、斬ることしか考えていなかった。


 でも、彼らは違った。

 斬られることまで考えて、その上で勝つことを考えた。


「やだ……」



 グラヴェルは溢れ出る血を止めるように、左腕で自分の腹を押さえつけた。


『……ダメだ、ヴェル』


「いやだ……!」


 感情の薄かった彼女が。

 世界に興味を持てなかった彼女が。

 今、一つの試合の勝敗に拘泥している。

 みっともなく足掻いている。

 それを、笑う者はいるだろう。


 でも、そんな奴がいたら、ツキヒはそいつを許さない。

 自分の人形は、パートナーは、自分の為に頑張ってくれている。

 どうしても負けたくなくて、諦めきれずにいる。


 ――そっか。


 ヤクモやユークレースが自分に怒ったのも当たり前だ。

 勝利を求める純粋な思いを、自分は嘲笑って踏みつけていたのだから。


 強いという理由でそれが許されるなら、ヤクモがグラヴェルを笑ってもいい筈。

 だがきっと、彼がそうしたら自分は許せない。しないだろうが、したら許せない。


 彼女のこの気持ちは、誰にも馬鹿にされていいものではない。

 生まれて初めて、ツキヒは他者に敬意を持った。


『ヴェルは、すごいよ』


「いやだ」


『ヴェルがいなかったら、ツキヒもすぐ捨てられてた』


「いやだ」


『ヴェルがついてきてくれなかったら、お姉ちゃんを救けるなんて無理だった』


「……いやだ」


『きみがいたから、ツキヒはツキヒでいられたんだなぁ』


「いやだ、ツキヒ。わたしは、」


『きみのおかげだ。宵を彩り、陽を迎える。きみのおかげで、ルナは月燈ツキヒに戻れたよ。お母さんにもらった名前に相応しい、《|偽紅鏡(グリマー)》になれた』


 黒刀の刃が輝くさまは、かつて夜に君臨していたという月の燈火を思わせた。

 お母さんみたいに綺麗で、お姉ちゃんみたいに可愛い。


「ツキヒ」


『きみが《|導燈者(イグナイター)》でよかった。これは、本心』


「…………ぅ」


『次は勝とうね』


 グラヴェルは赤子みたいにボロボロと涙を流し、拒むように首を横に振り、それでも最後は主人の言葉に。


「うん」


 応えて。

 倒れた。


 意識の喪失と同時にツキヒは人間状態に戻り、愛しい人形を受け止める。


「おつかれさま、ツキヒのお人形」


 彼女の肩に顔を埋め、すぐに上げる。


 ヤクモもまたグラヴェルと同じく、一歩も動けない状態のようだ。

 だが彼の方は、武器化が解けていない。


 ――……あぁ、くそ。


 悔しいなぁ。

 自分は天才で。

 あんなに毎日、死に物狂いで頑張ったのになぁ。


 自分の人形は最高で、自分達は最強だったのに。

 なのに、この言葉しか言えないのが、悔しくて堪らない。


 結局、ヤクモの言う通りになってしまった。


「……負け、ました」


 その日。

 ツキヒは人生で初めて、公式に敗北した。


 完全者ペルフェクティは完全なるまま、更なる進化を遂げた上で。

 不完全極まる無才の剣士に負けた。


 の者は入校当初から今まで、周囲から向けられていた差別や悪意や不当な評価全てをものともせず。

 立ち塞がるものをことごとく斬り伏せ。


 そして、今。


 一つの学舎、その頂点に立った。


 学内ランク第一位|黒曜(ペルフェクティ)グラヴェル=ストーン 

 対

 学内ランク第四十位|白夜《ファイアスターター》ヤクモ=トオミネ


 勝者・ヤクモ、アサヒペア。


 彼らの勝利を笑い、見下す者は。

 少なくともその場にはいなかった。



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