第129話◇牢屋
兄妹はタワー地下に造られた牢に足を運んでいた。
「兄さん、本当に大丈夫なんですか?」
暗い階段を先に下っている妹が、しきりに振り向いて問う。
心配で心配で堪らないといった顔。
仲間や家族の見舞いからすぐに伝達員が現れ、召集が掛かったのだ。
憤る皆を宥めて、ヤクモは自ら病室を後にした。
「大丈夫だよ。さすがに完治とはいかないけどね」
治癒は対象の自然治癒力を加速させる。結果として怪我は早く治るが、酷く体力が消耗するのだ。
普通であれば何度死んでいたか分からなかったと医師に言われ、ヤクモは多くのものに感謝した。
失血死せずに済んだのは、妹の『白縫』のおかげ。医師の治療が間に合ったのは、先んじてルナが治癒してくれたおかげ。
治療に耐えられるだけの体力があったのは、家族が十年もの間、少ない食料を惜しみなく兄妹に与えてくれたおかげ。体づくりに欠かせない栄養を、壁外の集落という環境でなんとか確保出来たからこそ、ヤクモの血の滲むような努力は実を結ぶことが出来た。
それでもまだ、体の節々が痛む。肌には擦過傷や治りかけの切り傷が多く残っていた。
前述の通り、治癒魔法は体力を消耗する。ヤクモを
虚脱感が凄まじく、細かい痛みも気にはなるが、命に別状は無い。
妹を安心させるように微笑む。
「アサヒこそ大丈夫なの?」
魂の魔力炉接続による後遺症のようなものが無いか、ヤクモの方こそ気が気でない。
「問題無しですよ」
命を削って魔力に換えるという割には、妹に変化は見られない。
だが、表に出ていないだけということもある。どちらかというと、精神に問題が生じている可能性の方が高かった。
「本当に? 隠し事は無しにしよう」
「痛みを我慢して笑ってる兄さんがそれを言いますか」
「……分かった。正直全身がヒリヒリするし、ジンジンするよ。風邪っぽいし眠い。でも大丈夫だよ。アサヒは?」
アサヒは淡く微笑した。
「兄さんが倒れた後のことですけど、まぁ二日くらい頭痛がしましたね」
ずきり、と胸が痛む。
「ただ、医師によると障害が残るようなことはないそうです。症例自体少ないので、過去の資料を探すと言ってくれました」
「……もう二度と使わないよ、約束する」
「え、ダメですよ。二人がピンチの時は、使うと約束してください」
妹はあっけらかんと言った。
アサヒはこういう子だった。
というより、今のはヤクモが愚かだったのだ。
こちらが向こうを思うのと同じくらい、向こうもこちらを思っているという当たり前のことを失念していた。
だから言うべきは。
「そんなことが起きないくらい、強くなるよ」
「一緒に頑張りましょう。でも必要な時は使って下さい。頭痛くらい大丈夫です! 兄さんが撫でてくれればたちまち治りますから!」
ふんす、と鼻息荒く力説するアサヒに、苦笑する。
ただ、とてもではないが楽観出来なかった。
――十秒かそこらの発動で、二日の頭痛?
反動として重すぎる。
人類が魂の魔力炉接続を用いなくなったのは、模擬太陽によって魔力炉の稼働が叶ったからと聞いていた。
《|偽紅鏡(グリマー)》の魂を削る必要はなくなった、というわけだ。
だがよく考えれば、それはおかしい。
だって、領域守護者は――正確には主に『白』だが――壁の外、暗闇の中で戦う。
模擬太陽で魔力炉を稼働させても、闇に出れば活動は止まる。
つまり、既に作った分で戦うしかない。
ほとんどの《
魂の魔力炉接続を廃止した理由は他にあるのだ。
おそらく、武器の耐用寿命を著しく損なうなどの弊害が認められたのだろう。
心と体の調子が武器の性能に影響を及ぼすのであれば、いわゆる廃人のような状態になった《|偽紅鏡(グリマー)》は武器として運用出来るレベルを維持出来ない。
戦闘中に魂の魔力炉接続を行うことは、戦闘中に武器を失う可能性を抱えた諸刃の剣でもあったのではないか。
そのような不安定な機能であれば、使われなくなるのも頷ける。
――頼ってはいけない、こんな力。
戒めるように、拳を握る。
「兄さん?」
気づけば立ち止まっていた。
妹のくりっとした瞳が、上目遣いにこちらを見上げている。
「あぁ、ごめん」
「考え事ですか?」
「うん。どうすればもっと強くなれるかな、って」
陳腐な言葉かもしれないが、切実な思いだった。
クリードを討伐出来たのは、己の命を無視し、妹の魂を削った戦法によるもの。
自分達の実力は《|黎明騎士(デイブレイカー)》の中で最下層に位置するだろう。
驕らず、それでいて卑下せず上を目指さねば。
黎明を告げる騎士に相応しき者となる為に。
「そうですか、てっきり可愛すぎる妹のことを考えていたのかと」
「いつもはね」
「そうでしょうそうでしょう」
軽口に軽口で返すと、本気で受け取ったのかとても満足げに頷かれてしまう。
嘘というわけでもないので、ヤクモはそっとしておいた。
「おい、聞いてるこっちが恥ずかしくなんだろうが。さっさとこっち来い」
階下から師の声が聞こえる。
どうやら待っていたらしい。
気恥ずかしさを誤魔化すように咳払いし、妹と揃って下まで行く。
牢屋だった。
階段を下ると扉が有り、直線の廊下が続く。それを挟み込むように牢が並んでいる。
ある牢の前にミヤビが立っている。チヨは武器化されていた。
アサヒを展開すべきか逡巡するより先に、師が空いてる方の手を横に振る。
不要、ということだろう。
「よぅ、よく無事だったな。さすがはあたしの弟子」
「師匠のご指導のおかげです」
「それを本気で言ってるあたりが、お前さんらしいねぇ。頭を撫でてやりてぇが、此処じゃあなぁ。後のお楽しみってことにしとくか」
「兄さんに触れさせるとお思いですか?」
「何言ってんだアサヒ。お前も撫でられるんだぜ?」
「お断りです」
「拒否権はねぇ。っと、時間がねぇんだった。おいセレン」
「……セレナだって言ったよねぇ。ドブス」
そう、この為にヤクモは呼ばれたのだ。
「まぁいいや。やぁっと来てくれたんだね? セレナのご主人様が、さ」
その声からは、当然忠誠心なんてものは感じられない。どちらかと言えば、悪戯心だろう。
生物として劣っている人類に従う自分の行動を、楽しんでいる節さえあった。
牢の前まで行く。
ピンクの髪と瞳をした、有角の人型生命体。
魔人の少女・セレナが笑顔でヤクモを迎える。
「待ちくたびれたよヤクモくん。もっとよく顔を見せてくれるかなぁ?」
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