第114話◇錯誤
頭が冴えていた。
冴え渡っていた。
クリードが次にどう行動するか分かる。
自分が次にどうすればいいか分かる。
それだけではない。
特級指定が後手に回らざるを得なくなる程の神速。
これは何も、感情の爆発によって引き起こされているわけではない。
魔人と人間の差は非常に多いが、ヤクモはある点に着目した。
まず呼吸。
息を吸い、吐くの繰り返し。
不可欠なもの。だがこれが、戦闘では邪魔だった。
呼吸が乱れればパフォーマンスは低下し、息を吸う瞬間と吐く瞬間は隙きとなってしまう。
赫焉の粒子を絶えず口腔から肺へ送り、また体外へ出すを高速で繰り返す。それによって粒子の動きに巻き込まれた空気が肺に供給・排出されるというわけだ。
だが呼吸という動作そのものは、本来一時停止は出来ても解除は出来ない機能だ。それを精神力で押さえ込むのには限度がある。長くは保たない。
次に瞬き。人が無意識に行う瞼の開閉。無意識故に意識することは難しいが、極短いであっても視界が塞がれていることには変わりない。一瞬が生死を左右する場において隙は刹那でも削るべき。
それだけではない。
粒子を筋繊維代わりとし、攻撃のタイミングで適切な箇所に展開。それによって瞬発力と攻撃の威力を底上げした。
そして、極小の太陽。
『……に……ん』
妹の声がか細くなる。
魂の魔力炉接続による魔力生成の副作用で、精神が疲弊しているのだ。
ヤクモにとって、それは禁忌も同然だった。
妹の命を削って、魔法を使うなど。
愛する者を犠牲にして、力を得るなど。
度し難い愚かしさだ。
だが、同時に分かってもいた。
師やヘリオドール、そうでなくとも救援。
それらがまだ来ていない時点で、それが出来ない状況なのだと。
太陽が消灯時間前に落ちた。
今、都市が終わる危機なのだ。
自分達が勝たねば、天秤は滅びの側に大きく傾く。
そして、あのままの自分達では魔人・クリードに勝つことなど出来ない。
胸と左腕が大きく裂け、目の前の父一人救えないようなざまでは、都市など守れない。
この場で勝利を収めねば、妹も家族も都市も何もかもを失うことになる。
だからヤクモは考え、アサヒはそれを迷わず支持した。
いつだって同じだった。
それまでの自分達では太刀打ち出来ない敵が出て来る。
その度に、ヤクモ達は越えてきたのだ。
敵ではなく、なによりも『それまでの自分達』を超越してきた。
今、この時のように。
未来視にも等しき行動予測――先見。呼吸を代行させる――雪風。運動能力の補助・強化をこなす――
壁内。暗闇。後方には守るべき人々。敗北は滅びへと繋がる。
だから退けない。だから負けられない。
だから勝つしかない。
そこから決着がつくまで、十秒のようにも、永遠のようにも思えた。
クリードはまず篝火の粒子を消そうと考えたようだ。だが無理だ。赫焉の粒子は魔法的――魔法そのものというより、常理に反する奇跡という意味合い――な存在の中では最小なのだ。『これ以上小さくならない』サイズで展開されている。それはつまり、変質はしても破壊はされないということ。既に最小だから、砕けるなどしてそれ以上小さくなるということが無い。ある意味で不壊なのだ。
篝火の機能を停止させようと篝火を壊そうとしても、それは叶わない。
かつてセレナの雷撃で赫焉刀が灼熱され炭化したように、魔法によって変質させるか、武器を破壊するより他に方法は無いのだ。
だがクリードは無闇に魔法は使えない。先見による先読みによって発動と同時に消される可能性がちらつくからだ。魔力防壁や魔力攻撃も同様。
今、彼の視界は漂白されている。
人間が真っ暗闇で一寸先も見通せなくなるように、魔族は太陽下では視界がまともに機能しない。
だが、それだけでクリードを殺し切ることは出来ない。
何故なら、最初に会敵した時はまだ太陽が輝いていた。なのにヤクモは遅れをとり、重傷を負ったのだ。特級指定の中でも、クリードは強者の部類に入ると思われる。セレナの名前が出た時も、命令ではなく約定という言葉を使った。特級ということで建前上は対等に扱っていたが、敬意のようなものは感じなかった。軽視はしていないが、上とも思っていない。彼の方が強いのだ。
だが、それでも視界を封じられるというのは大変な負担の筈。
更には魔法を封じた。太陽光によって魔力炉の活動も停止に追い込んだ。
あるのはもはや、肉体のみ。
彼が回復途中でまだ手首までしか再生していない左腕をヤクモに振るった。攻撃は届かない。だが舞った血液の飛沫が狙いすましたようにヤクモの両目へ迫った。
「露払い」
赫焉の粒子が代わりに血を受け、一瞬で散る。
ヤクモは止まらない。
しかし一瞬、たった一瞬だけ眼前に白が展開され、クリードの全体像がぼやけた。
手首から先が再生し、ヤクモの首へと迫っていた。
その腕、肘から先が落ちる。
「――――ッ」
「遅いと言った」
もう視えている。無数の枝分かれしている、彼の行動の可能性全てが。
その全てに対抗出来るよう赫焉を展開している。
後はもう、適宜それを展開すればいいだけ。
『……い……さ……』
妹の声が聴こえない。掠れている。
ごめん。ごめんよ。ヤクモは申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。
自分が強くなる為に、最も頼りになる相棒の声を消してしまっている。彼女の声があるから、ヤクモはいつも頑張れるのに。重要な見落としもなく、速やかに行動出来るのに。
でも、あと少しなんだ。
あと、少し。
彼の首に刀を振るう。クリードは剣でそれを防ごうとしたが、その時には刀は半ばから折れていた。
ヤクモの背後から槍状の魔力攻撃が迫る。背後だけではない、上と左右からもだ。さすがは強者、既に見抜いたらしい。予測とは計算だ。計算は脳で行う。ならば簡単だ。行動予測とそれを反映した動きは極限の集中があっても実行が極めて困難なものだ。
だから、負担を掛ければいい。計算にかかる要素を膨大にすることで、ヤクモの脳に負荷を掛け、計算に綻びを生じさせようとしているのだ。
だがその考えは既に遅い。
計算は完了しているのだ。狂いようが無い。
彼の攻撃は展開と同時に散る。
雪色夜切が吸い込まれるようにして彼の首へ伸びる。
彼は再び足元に魔力を展開し、それによって逃れようとしたがそれはもう視た。
アサヒが生成した魔力を彼の足元へ漂わせていた。魔力同士は干渉し、先にいるものを押しのけるにはより強大な魔力をぶつける他ない。
彼の展開した魔力は、アサヒが魂を賭して生み出した魔力以下だった。
ぐつぐつ。
何の音だろう。
まるで、何かが煮え立っているような。
『……にい、さん』
妹の、声が。声が、聞こえて。何を、何を言おうとしているのだろう。彼女のことだ。この局面で伝えようとするなら、とても大事なことの筈で。
あぁ、でもあと一瞬待っておくれ。
今、魔人の首を刎ねるから。
壁に穴を開け、父を殺した魔人を殺すから。
――『夜を照らす、白い雲。そんな日に生まれたから、夜雲と名付けたの』
――『それにな、まず父さんが光ってことで太陽だろ? 母さんが空だ。んでもって、お前は雲』
両親の言葉が思い起こされる。
ヤクモはそれが、とても嬉しかったのだ。
夜を照らすだなんて、そんな希望の象徴みたいな名前で誇らしくなった。両親と繋がりのある名前が嬉しかった。
だから捨てられなかった。
「知ってるか、この世界では――夜の雲でも輝く時があるんだ」
クリードは最後まで想定の上限で動いた。
魔力を最小規模で無数に展開したのだ。自身の首を守るように。
最小だから、綻びも無い。
粒子を見たことによって発想を得た彼は、この局面でそれを再現したのだ。
決して切れない防壁。刹那を数百に刻んだような極小の間に展開されたそれに、ヤクモの剣は折れるか弾かれる筈だった。今からの対応は間に合わない。
そしてその一瞬あれば、彼はヤクモの心臓を残った右腕か折れた剣で貫けるだろう。
そこまで緊迫した状況だった。
だから、ヤクモの勝ちだった。
「
クリードは驚く――こともなく、ゆっくりと唇を緩めていた。
「オレの
父の名前。
理解する。
父はヤクモの為に命を捨てた。いや、息子の未来に繋いだのだ。あのまま戦っていればヤクモは負けていた。確実に。父の稼いだ時間と父の喪失が、ヤクモを勝利へと導いた。
あの時、クリードは父を戦士と認め、手ずから、全力で屠った。
息子の為の時間稼ぎと知りながら、それを尊重したのだ。
そして今、それによってヤクモ達は勝利する。
あの日の会話を思い出す。
先程の言葉の続きを口にする。
「雲の上に、太陽があったんだ」
だから、夜でも白い雲が輝けた。
絶対、そうなんだ。
非実在化した雪色夜切が魔力粒子の群れを通り越し、彼の首に到達した瞬間に実在化する。
「忌々しい輝きだ」
クリードの最期の言葉は、とても満足げに放たれた。
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