第110話◇役目
コウマ=トオミネは息子の指示に従い、ヤマトの老人達の許へ向かった。
異変に気づいて家の外に出てきていた彼らに避難するよう言う。
「夜雲ちゃんは、朝陽ちゃんは……?」
不安げに呟く老人に、コウマは事実を告げてしまう。
「あぁ、そんな……」「わしらを逃がす為か」「二人が何をしたって言うんだ」「でも、逃げないと。このまま此処に居ては、夜雲と朝陽の邪魔になってしまう」「放っておけというのかい?」「何か出来ることが……」「無いから、二人は逃げろと言ったんだろう」
兄妹への心配を口々に言いながらも、老人達はすぐに避難を開始した。
なによりもそれが、息子とそのパートナーの少女の為だと理解したのか。
知らせてくれたことを感謝する彼らに、コウマはなんとか頷きを返す。
感謝するのはこちらの方だ。
ヤクモが傍目からも健やかで強い男に育ったのは、自分などではなく彼ら彼女らのおかげだから。
コウマは思い出す。
まだ幼かった頃のヤクモを。
妻は自分の病が重篤であることを感じ取っており、未来の無い自分よりもヤクモを選んでくれとコウマに懇願した。
そうする方が、正しかったのかもしれない。
だが出来なかった。
どうしても出来なかった。
ヤクモは言った。妻に言っていた。
『大丈夫、父さんがなんとかしてくれるよ』
信頼されていたのだ、自分は。
でも、それに応えられなかった。
ヤクモが壁の外へ移送される日、妻は泣き叫んだ。寝床から転がり落ちながらも、這うようにしてヤクモに手を伸ばし続けた。コウマがそれを止めた。
ヤクモは泣かなかった。
悲しげな顔さえしなかった。
息子は、何かを感じられる程の余裕さえも失ってしまっていた。
『仕方がないよ』
まるで、別の誰かの言葉を真似するような。自分か、タワーの連中の誰かか、近所の誰かが言ったのか。仕方のないことなんだね。仕方がないよ。仕方ない。仕方がない。
自分や妻が言葉を投げかける度に、ヤクモは死んだような目でそう繰り返した。
その時のことは一瞬たりとも忘れたことはない。
息子を失った直後に、傷心も祟って妻が逝き、コウマは一人になった。
死んだように生きる男が、一人生まれた。
ある日のことだ。
街でヤマト民族である領域守護者訓練生の話を耳に挟む回数が増えた。
曰く、壁の外から特別扱いで迎えられた。
曰く、《|黎明騎士(デイブレイカー)》の弟子である。
曰く、《
だが。
彼らは優秀者しか参加出来ない大会予選にエントリーした。
彼らは訓練生の身で任務経験を持つ『白』の第七位を打倒した。
彼らは魔人を討伐した。
彼らは第六位を打倒し、予選準決勝へと駒を進めた。
《|導燈者(イグナイター)》の名は、ヤクモ=トオミネ。
夢でも見ているようだった。
都合のいい夢だ。
息子が生きていただけでなく、領域守護者となって帰ってきた。
そして、そのパートナーの名を見て、コウマは一人泣いた。
アサヒ=
家名。親から継ぐもの。受け継がれていくもの。
捨てることも、出来た筈だった。
彼には家族と呼べる存在が沢山いたのだから、自分を捨てた者を想起させる名など捨てても良かったのに。
ずっと持っていたばかりか、パートナーに分け与えていた。
だから勘違いしてしまったのかもしれない。
喋りかけていいものと、また会話していいものと、勘違いしてしまった。
ヤクモには自分の家族が在り、自分の力がある。
自分一人守れなかった男に用などあるわけもなかった。
でも、コウマにはあったのだ。話したいことが。沢山、あったのだ。
老人たちの避難を確認したコウマの足が止まる。
逃げるべきだろう。
自分など足手まといだ。何の役にも立たない。逃げろと言われた。
逃げるべき、なのに。
何かが飛んできた。
飛来というよりは、転がってきたと言うべきか。
瓦礫などではなく、それは――息子だった。
「……あ、がっ」
胸が斜めに裂け、左腕は付け根から手首まで裂傷が刻まれ、骨が覗いていた。
当然のように、全身は真紅に染まっている。
「……
息子の声に呼応するようにして、純白の粒子が寄り集まり、極細の糸となる。
そして、傷を縫うように奔った。
「――――ッ」
歯を食いしばり、苦痛を堪えるヤクモ。
「や、夜雲……」
間抜けな声で、コウマはヤクモに駆け寄る。
「……な、んで」
ヤクモは有り得ないものを見たという顔でこちらを見る。
それから自分の傷の痛みよりもよっぽど苦しげに顔を歪め、叫ぶ。
「に、逃げろって……! 言ったじゃないかっ!」
――あぁ、そうか。
自分の足が止まった理由が分かる。
息子が負けると知っていたとか、そういうことではない。
「逃げ遅れた愚か者か。貴様の命には興味が無い。失せろ」
いつの間にか、魔人が眼前に立っていた。
「……否、先程も見た個体だな。ヤマトときている。貴様も戦士か?」
視線だけで。
コウマは腰を抜かし、ガクガクと震える身体を制御出来なくなった。
呼吸さえままならなくなり、涙と鼻水と唾液が止まらなくなる。
「オレとしたことが、くだらん期待を掛けたな」
嘲ることさえせず、ただ失望が寄越された。
同時、圧が収まる。
魔人はコウマへの興味を失ったのだ。
「ほう、器用と言うべきか。形態変化によって傷を縫うとはな。面白いが、まだ立てないようだな」
当たり前だった。
胸と腕が大きく裂け、出血も酷い。
《
瀕死の重傷の中で、自分の傷を縫うなんてとてもではないが常人には不可能。出来たとしても、即座に戦闘に戻るなど出来るわけが無い。
それなのに、ヤクモは立ち上がろうとしていた。
剣を杖のようにして、立ち上がる。
「目の色が変わったな。このヤマトは、貴様のなんだ。虚偽を口にすれば、この男は殺す」
ヤクモは一瞬だけこちらを見た。
「……父親だ」
「血縁か。まぁいい。貴様が死ねばこの男も死ぬ。それを意識することで貴様の戦意が燃えるというのであれば、生かしておくとしよう」
ヤクモはもう、こちらを見ない。
警戒を怠らず敵を見据えたまま、なんとか言った。
「今度こそ、逃げて」
縫合が充分でないまま動き出したからか、血が漏れたり、吹き出したりしている。
だが魔人は構うまいと殺意を漲らせた。
青白い顔で、それでもヤクモが刀を握るのは。
不甲斐ない、父親失格の男を、それでも守る為だ。
「大丈夫だよ、僕がなんとかするから」
『大丈夫、父さんがなんとかしてくれるよ』
「――――」
五歳という、まだまだ幼い時期に、ヤクモは知ってしまったのだ。
自分でなんとかする他ないのだと。
生きるのも、戦うのも、守るのも。他人任せには出来ないのだと。
それを突きつけたのは、自分だ。
「失せろ人間、オレの戦いを邪魔すれば命は無い」
魔人にさえ急かされる。
ガタガタと震えながら、コウマは立ち上がった。
そして、
木板は魔人に触れるより前に折れてしまう。
「――な」
「……邪魔立てすれば死ぬと、警告した筈だぞ」
自分は死ぬだろう。
あぁ、だが一秒でも長く時間を稼ごう。
せめてヤクモが傷を縫い終わるまで。
折れた木板を構えるコウマを見て。
魔人が、顔色を変えた。
「そうか……理解した」
そして、こちらに微笑みかける。
「先程の非礼を詫びるぞ、人間。オレを見てなお戦意を熾す強さに敬意を表し、敵と認めよう」
腑抜けに興味は無いが、立ち向かう者には敬意を以って接する。
人類の敵というには、目の前の魔人は武人気質のように思えた。
だが、いいことだ。
この短い会話の間にも、純白の糸は奔っている。
コウマの意図を悟っているから糸を奔らせ、だがそれを心が受け入れれられなかったのか、ヤクモが叫ぶ。
「やめろッ……! お前の相手は僕達だろうッ!」
「止めてみせろサムライ。オレは何者からの挑戦も受け付ける。それだけの気概がある者は好ましい。――さぁ、ヤマトの戦士よ。貴様の名はなんだ」
「……コウマ=トオミネ」
「我が名はクリード。コウマよ、貴様のことは息子が為にオレに挑んだ戦士として記憶しよう」
変な話だが、それは光栄なことのように思えた。
魔人の殺意が降ってくる。
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