第22話◇火花

 


 

 ミヤビは豪気な性格だが、その魔力操作は芸術的なまでに繊細だった。

 着地の衝撃はおそろしく軽やか。


 昇降機から少し離れた地点に降り立つ。


「ガキとはいえ、重いなぁ」


 と言って手を離す。


「あだっ」


 ミヤビのそういった適当さをまだ知らないネフレンは、いきなりのことにそのまま落ちる。


 分かっていたことなので、ヤクモは難なく足から着地。

 鼻を赤くしながらも、ネフレンはすぐに立ち上がる。


 ミヤビの帰還に歓声が上がった。

 領域守護者達だ。


『兄さん、武器化を解いてください』


 妹の要望を汲む。

 ヤクモの身体的変化が元に戻り、アサヒも少女の姿を取り戻した。


「んじゃまぁ、頑張んな」


 ひらひらと手を振って離れていこうとするミヤビに、妹が噛み付く。


「やい雌狐! うちの兄さんにベタベタしないでください!」


 周囲が絶句する。

 《黎明騎士デイブレイカー》に対する口の利き方ではないと思っているのだろう。


 ヤクモとしても、師に対してはもう少し敬意を持って接してほしいのだが……。

 幸いなことに、ミヤビは自分に全力でぶつかってくる相手が嫌いではない。


「雌狐たぁ酷ぇ言いようだなぁ」


「あなたには感謝もしていますが、だからといって兄さんを誑かすのはよしていただきたい! いつもいつもゴキブリのように現れて!」


 悪口のつもりだったのだろうが、師は首を傾げた。


「あぁ? お前ほんとにヤマト民族か? ゴキブリは現れたら嬉しいだろ! なぁヤクモ」


「そうですね……ゴキブリに限らず、虫は栄養です」


 語彙や知識からも推測出来るように、アサヒは高水準の教育を受けていたと思われる。


 四つで追い出されたとはいえ、元は裕福な家にいたのではないか。

 だからこそ、余計に壁外の環境は辛かったろうが……。


 とにかく妹はその時までの価値観を一部引き摺っており、中でも虫を食べることに関しては十年経っても嫌悪感が拭えないようだ。


 どうしても食べなければならない時はボロボロ泣きながら目を瞑って鼻を摘む程だ。 


「ぎゃあ! わたしは兄さんを構成する全ての要素を愛していますが、虫をパクっといけちゃうところだけはぞわわっとします……」


「僕は、アサヒの嫌いなところなんてないけどね……ただ」


「兄さん……!」


 一瞬で腕を絡ませてくる。

 ふふんっ、とミヤビに見せつけるようにしたり顔をしていた。


「うん……ただ、そういうところは対応に困るからどうにかしてほしいかな」


「無理ですっ」


 くくっ、と口許に手を寄せ笑うミヤビ。


「お前その気持ち悪い声どうやって出すんだ? 声帯二個ついてんのか?」


「えぇ実はそうなんですよ。ちなみに兄さん用とその他用です」


「使い分けが豪胆だなぁ」


 けらけらと笑うミヤビは愉快げだ。

 そもそも雑過ぎる嘘だった。


「あたしゃガキにゃあ興味ねぇから安心しな。とは言ってもだ、アサヒ」


「むっ、なんですか」


「とられる方が悪いんだぜ? 他人のちょっかい一つで綻ぶ程度の繋がりってことなんだからよ」


「ふっ、愚かなり雌狐! わたしと兄さんの絆はたとえ魔王でも断ち切れません!」


「なら小せぇことでグダグダ抜かすなよ」


「小さいって言わないでください!」


 突如怒りのボルテージが上がるアサヒ。

 小さいは禁句なのだった。


「あ?」


 ミヤビの視線がアサヒの胸へと落ち、悲しげに逸らされる。


「あぁ……悪かったな」


「ちょっと!? そこだけ素直になられると逆に辛いものがあるんですけど!?」


「強く……生きろよ」


「巨乳の慰めなど要らぬのだが!」


 妹が師匠に噛み付いている間に、《班》のメンバーが近くまで来ていた。


 まだ武装を解いていないスファレ、トルマリン、ラピスだ。


「ヤクモ、アサヒ。ご無事でしたか」


 ほっとした様子のスファレ。


「わたし達の行動だけでなくアカザ様のそれも計算の内だったというなら、きみは恐ろしい存在だ」


 トルマリンは感心したように微笑んでいた。


「それにしても、アカザペアが救助に向かうまでよく持ち堪えたわね。どのように戦ったのか見られなかったのが、とても残念」


 興味深そうにこちらを見つめるラピス。

 三者三様に兄妹の身を案じてくれていたのが分かる。


「少年!」


 誰かが駆け寄ってきた。


 赤茶けた髪をした二十代半ば程の領域守護者だ。

 彼の後ろには何人かの《偽紅鏡グリマー》と《導燈者イグナイター》も。


 居心地が悪そうにネフレンが並んでいるのを見て、あぁ彼女を引き取った《班》かと思い出す。


「無事だったんですね。よかった」


 彼らはまだ壁との距離も近かったし、風紀委の《班》と合流出来るよう道も作った。

 とはいえ、ネフレンを助ける為に置いて行ったのも事実。


 助かっていたことに安心する。


「君のおかげだ。感謝するよ」


 ヤクモは驚いた。


 それはもう、本当に。

 戦闘中はアサヒの影響で髪が白くなる。だから、気づいていないのだと思った。


 自分を引き止めてくれた声も、単に訓練生に対してのものだと思った。

 でも今のヤクモは見るからにヤマト民族だ。


 助けられたことを屈辱に思われるくらいだと考えていたのに。

 いや、彼の《班》にも複雑そうな顔をしている者がいる。


 やはりヤマト民族は嫌われ者。

 でも、それでも。


 やったことを、歪めずに受け止めてくれる人もいる。


「ほら、お前も。まだ感謝の言葉を言ってないんだろう」


 無理やりヤクモの前に押し出されるネフレン。


「うっ……いえ、アタシは」


「彼がいなければ死んでいた。誇りある領域守護者なら、筋は通せ」


「く、ぅっ…………」


 ネフレンはぷるぷる震えている。


 二つに結われた髪の片方を指で弄ったり、拳をぎゅうと握ったりしつつ、最終的にバッと顔を上げる。


 顔全体が赤く、頬はぴくぴくと震え、目尻には羞恥からか涙さえ浮かんでいる。


「あ、あ……あーもう! 助かったわよどうもありがとうこの借りはどこかで返すわアタシは誇り高き領域守護者だものというわけで今日は失礼するわね!」


 一気に言い切ると、逃げるようにその場を去っていく。


「ったく、あいつ。悪いな少年」


 ヤクモは思わず笑ってしまう。


「いえ」


 この世界は、素晴らしくなんてないけれど。

 救いがないという程ではないのかもしれない。


 と、そんなことを思った。



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