第6話◇返報

 



 《偽紅鏡グリマー》にはそれぞれ人間としての名とは別に、武器としての銘がある。


 《偽紅鏡グリマー》は己が主と定めた者に銘を呼ばれ、これを認証することで武器と変わる。


「兄さん、行きましょう」


 必ずしも必要というわけではないが、アサヒは武器化の際に手を繋ぎたがる。


 おそらく、二人が心を通わせることとなったきっかけの記憶が関係しているのだろう。


 周囲に笑われながら、ヤクモは迷わずその手をとる。


「あぁ、一緒に」


 そっと、口にする。


「イグナイト――雪色夜切ゆきいろよぎり


 妹の体が輝き、燿の粒子へと変じる。


 それはすぐさま刃の形に収束し、ヤクモの手に収まった。


 片刃の打刀。反りのある刀身は汚れを知らぬ純白で、刃の厚みは驚く程に薄い。

 雪華のごとく美しく、雪片よりなお儚げ。


 そして、ヤクモの毛髪もまた同様に白く染まっていた。


 同調現象。《偽紅鏡グリマー》の身体的特徴の一部が、武器化中|導燈者《イグナイター》に反映されてしまうことがある。


『やっぱ兄さんは白も似合いますね!』


 妹の声が脳内で響く。


 命を燃やして魔力を作ると精神が疲弊するのであって、ただ武器化した場合はその限りではない。


 《導燈者イグナイター》にだけは《偽紅鏡グリマー》の声が聴こえるのだ。


『さぁ、わたし達であのクソ女を負け犬にしてあげましょう!』


「……言葉が汚いよ」


 ネフレンの方も四人の《偽紅鏡グリマー》を纏い終える。


 全身を覆う鎧、長剣と大盾。残る一人は非武器化状態か、あるいは……。


「ハッ、なによその貧弱な武器! 片刃な上に、紙にも劣る薄さ! ゴミにはそれに相応しい道具が与えられるってわけ? そんなものじゃあ、盾以前にアタシの魔力防壁さえ破れないでしょ!」


「過剰に見下した態度をとるのは、恐ろしいから?」


「――な」


「本来このような場に現れるわけがない夜鴉。得体の知れないヤマト民族。夜に耐えきれず模擬太陽を掲げた人類のように、きみは一寸先も見通せぬ未知へ晒されることを恐れ、怯えている」


 挑発ですらない推測だったが、図星だったらしくネフレンは火を噴きかねぬ程に顔を真紅に染め激昂。


「五体満足で帰れると思わないことね、クソガラスッ!」


 大剣を振り下ろす。

 地面に触れると同時、衝撃は大地を砕き波となってヤクモに押し寄せた。


 衝撃の『拡張』――魔法だ。

 回避は可能。


 だが威力が大き過ぎる。

 これでは背後の観客が吹き飛び、大怪我を――。


「決闘に集中なさってください」


 トルマリンの声。

 逡巡、ヤクモは右に跳んで回避。


 衝撃はヤクモの隣の駆け抜け、観客へ到達するより前に見えぬ壁に激突。消失する。


 振り返って確認する必要もなく、そうなったとわかる。


 《無謬公》とは、決して魔力操作を誤ることのないトルマリンの絶対防御を指してつけられた名だ。


 そう。魔力は防壁として展開することが出来る。

 かつて、ヤクモの鍬が魔獣を傷つけられなかったように。


 当然、ネフレンもだ。


「……これは僕ときみの決闘だろう」


「領域守護者ってのは常に全力で戦う者を指すのよ!」


 二度三度と、ネフレンは同じ魔法を繰り返す。


「……領域を守るということは、人を守るということじゃないのか」


 まるで、近づかれたくないみたいに。


「鴉が人を語んなッ!」


「……人間性で鴉に劣る人は、なんと呼べばいい。ネフレン=クリソプレーズでいいのかな」


「……殺してやる」


「やれるものなら、やってみろ……ッ!」


 駆ける。


 前傾姿勢を取り、踏み込むのではなく、次に足を置くべき空間に向けて移動するようなイメージ。


 体勢は四足獣を思わせ、速度は颶風よりなお速く、独特な足運びは相手の視覚を惑わす。


「アハッ、ねぇちょっと、まさか夜鴉は魔法が使えないってのは本当なの!? あーなるほど魔力強化を使っていない! アハハハッ! ちゃんと言えバーカ! 使えないの間違いでしょう!」


 彼女はこれみよがしに嘲笑。


「それで健気に、プッ、筋力を鍛えてたんだ? まるで農夫ね! ほんと、哀れな害鳥ッ!」


 ネフレンの余裕はそこで途切れた。


 彼女の魔法はただの一度も少年を捉えることなく、気づけばヤクモが眼前に迫っていたからだ。


「きみに勝つのに、魔法は要らない」


「……っ!? ほ、ざ、く――なぁッ!」


 空間が揺らいだ。


 魔力防壁。


 ほぼ無色、透明度が高く、自由な形状をとれる防御壁だ。使用者の魔法や攻撃は通過し、それ以外のあらゆる攻撃を阻む。


 込められた魔力量分に限る、という条件つきだがヤマト民族相手には問題にならない。


 なにせ、魔力がほとんど無いのだから。


 だが。


「――は?」


 半球状に広がっていた魔力防壁は一瞬で掻き消え、少年の足は止まらなかった。


「あら」「へぇ」


 会長と副会長の感心したような声が小さく聞こえる。

 ネフレンには分かっていないようだが、実力者はすぐに理解したようだ。


 この世に完全なものなんてない。

 壊れないものがないように。短所のない人間などいないように。


 あらゆるものは、欠点や綻びと無縁ではいられない。


 不完全な人の用いる魔法もまた、完全には届かない。


 魔力防壁の完成度は魔力操作能力に依存する。


 トルマリンがその能力で《無謬公》と称されているように、全ての者が同じ魔力防壁を展開出来るわけではない。


 魔力の濃淡とでもいうべきか、魔力量は大抵不均一なのだ。


 魔力が厚いところもあれば薄いところもある。

 魔力の柔らかいところがあれば硬いところもある。

 魔力に伸縮するところがあれば不動なところもある。

 魔力防壁として申し分ない箇所があれば、魔力防壁として心許ない箇所がある。


 石を積み上げた小さな塔があるとしよう。

 叩いてみたが壊れない。


 でも、もし石の一つに過剰に力が寄っていたら?

 その石を外すだけで塔全体が崩れることもあるのではないか?


 それと同じだ。

 ほぼ無色、ほぼ透明。


 だが、ヤクモには分かる。


 当たり前だ。

 暗闇の中、十年魔族と戦ってきた。


 十年、生き残ってきたのだ。

 こんな明るい場所でなら、魔力防壁が反射する光、透過する光で全容を掴める。


 魔力を操作出来なくても、経験で感知出来る。

 だから分かるのだ。


 一番脆い場所が。そこを突けば連鎖的に亀裂が広がり、防壁が維持できなくなるという箇所が。


 あとはそこを、斬るだけ。


「有り得ないッ!! こんなこと、起こるわけがっ、わ、わたしの魔力防壁が、夜鴉ごときに――」


 あぁ、そうなのだろう。


 魔力で上回る以外に魔力防壁を突破する術は無い。


 そういうものなのだ、この世界の常識では。

 故に、この場でトオミネ兄妹以外の全てにとってその結果は常識の埒外。


 理解の及ばぬ、起こり得ないナニカ。


囀るなよ、、、、ネフレン、、、、クリソプレーズ、、、、、、、


 先程投げられた言葉を、彼女に返す。

 腰に溜めた刃を閃かせる。


とても、、、――不愉快だから、、、、、、さ」


「ふざっ――」


 怯えたように振り回された大剣がヤクモの刃と接触し、半ばから断ち切れた。

 武器化状態で破壊された《偽紅鏡グリマー》は人間に戻る。


 そして、対応する痛みは――《導燈者イグナイター》に還る。

 半身を切り裂かれた痛みが、ネフレンを襲った。


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