たとえ夜を明かすのに幾億の剣戟が必要だとしても【Web版】(書籍版タイトル・幾億もの剣戟が黎明を告げる)

御鷹穂積@書籍7シリーズ&漫画5シリーズ

第一章

ミッドナイト・レイヴン

第1話◇雪白




――この世界は、夜で固定されている。


   ◇


「俺達が生まれるずっとずっと前はな、太陽は平等だったんだ」


 まだ幼い頃の話。ヤクモを肩車した青年は、昔話を聞かせるように言った。それは歴史である筈なのに、言っている青年も実感が湧かないのだろう、言葉はどこか自信なさげ。


「びょうどう?」


 ヤクモは真っ暗闇の空を見上げ、首を傾げる。


「あー、今みたいに、街の外にいる人間は日の目を見ることも出来ないなんてことはなかったらしくて。太陽は世界中を照らしてくれたんだよ。陽の光を浴びることに、資格なんて要らなかった」


 青年の言っていることがよく分からなくて、ヤクモは混乱する。


「んー、とだなぁ。つまり、誰でも太陽の光を浴びてよかったんだよ」


「ヤマト民族でも?」


「そう、ヤマト民族でも」


 黒い毛髪に黒い瞳。他の民族と比べると頼りなげな体格。多少手先が器用で知恵が回るのが特徴と言えば特徴だが、それらも器用貧乏・浅知恵などと揶揄される。それがヤマト民族。


 彼らには、この世界における人としての立場が無い。人権は半ば剥奪されていると言っていい。

 なにせ、人類の生き残りに貢献出来ない。


 ヤマト民族は生来、魔力を作る機能が低いから。


 その世界の空には、太陽が無かった。月明かりが無かった。星々の煌めきが無かった。

 在るのは夜だけ。


「太陽は、どこへ行っちゃったの?」


「太陽は隠された、、、、んだ。太陽だけじゃないけどな。もう数百年も前のことなんだと」


 そう教えてくれた優しい青年も、もういない。


 かつて、人は世界の半分以上を支配する種族だったらしい。

 そして残りは、魔族の支配下。


 人類は陽光を浴びることで魔力を生み出し、魔族は夜闇に浸ることで魔力を生み出す性質だった。


 争いは激化し、力は拮抗していた。

 だがある時、均衡が崩れる。


 魔族の王が、天空と地を遮る魔法を発動したのだ。


 如何なる方法を用いたかは定かになっていないが、それによって世界は夜で固定された。


「昔はさ、季節が四つもあって、太陽は世界を照らして、月や星ってのが夜でも光ってたらしい」


 世界が夜で固定されれば必然、魔族は常に魔力に溢れ、人は魔力の確保に苦心した。


 状況は一変し、人類は滅亡へ大きく傾くことになる。

 次々と同胞が狩られる中、人類はどうにかそれを生み出すことに成功。


 生命力を魔力へと変換する技術。魂という不可視の器官を、魔力を生み出す臓器と接続する手段。


 しかしこれもまた問題があった。

 命を魔力に変えると、精神を大きく疲弊し魔法が使えないのだ。


 魔力があっても、使う精神が機能しないのでは意味が無い。

 滅びを目前にした人類にはもう、平時に発揮されていた倫理観は残っていなかった。あるいは苦しみの中、実行するしか無かったのか。


「人の意思ってのは凄いよな。光が消えちまっても、諦めなかった」


 どちらにしろ、その実験は行われた。

 魂の魔力炉接続により、魔力の生成までは叶う。


 変換時、接続者の精神が正しく機能しないという弊害がある。

 では、接続者の代わりに魔法を行使する者がいればいい。


 魔力を生む接続者と、更にそこへ接続し魔法を使う者を用意するという発想。

 そこまでならまだいい。


 だが、二人一組の思想も現実的ではなかった。

 魔力を生む者は精神が疲弊して、まともに動けない。


 戦場で、動けない者は足手まとい以外の何でもない。

 だから、人の発想は更に飛んだ。


 ならば接続者を持ち運べる、、、、、ようにすればいい、、、、、、、、


 単に携帯するのではなく、武器として運用出来れば無駄もない。

 そうして、接続者は更に武器へ変じる機構を組み込まれた。


 生きた武器の登場により、人は戦うことが出来るようになった。

 それでも、充分ではなかった。


「んで、今があるってことなんだけどさ。って、お前にはまだ早いか」


 人は事実上の敗北を迎え、どうにか建設の間に合った城塞都市へ逃げ込んだ。

 当時は三十確認されていた都市も、現在人の活動が認められるのは――七都市のみ。


 人は緩やかに、滅びへと向かっている。

 それに歯止めをかけているのは二つ。


 前述の接続者――《偽紅鏡グリマー》と、その遣い手である《導燈者イグナイター》。

 そして、現存する都市全てに配備された――模擬太陽。


 莫大な数の接続者の犠牲の果てに、人々は太陽を創り出した。


 その太陽が――都市内に限ってではあるが――かつての日中に相当する時間帯に夜を払い、人々に魔力を与える。


 そして、生み出された魔力を、人々は税として納める。

 納められた魔力で、また模擬太陽を稼働させる。


 日中は模擬太陽、夜間は《偽紅鏡グリマー》《導燈者イグナイター》含めた領域守護者によって、人類領域は守護されていると言っていい。

 時間稼ぎの、まやかしの朝と夜を繰り返し、人々は息を繋いでいる。


 だが、その輪の中に入れない者達もいた。


 例えばそう、魔力税を納められない者。


 定められた魔力を供出することの出来ない人間は、都市で暮すことを許されない。

 強制退去が執行され、壁の外へ放り捨てられる。


 見殺しにするのは体面が悪いのか、時折死なない程度の食料が提供されるが、それだけ。


 模擬太陽の光さえ届かない真の闇で、人類を滅ぼそうと壁まで迫る魔族に怯えながら生きることになる。


 追い出されるのは先天的な疾患を抱えた者か傷病人、そして――ヤマト民族。


 致命的なことに、ヤマト民族の魔力炉性能はあらゆる民族の中でも最低値を記録していた。


 彼らは迫害されていた。


 黒は夜を連想させ、夜は魔族を連想させる。人並みの魔力も生み出せず、だからといって他に役立つわけでもない。領域外に放り出されたあとでさえ、人類に寄生して卑しく生き繋ぐ。


 残飯を貪る不吉な夜鴉よがらす

 

 遠峰夜雲トオミネヤクモは、ヤマト民族だった。


 生まれた時から闇しか知らず、日々を生きるのも比喩抜きで命がけだった。

 領域守護者は、領域の外を守護してはくれないらしかった。


 家族は、同じように追い出されたヤマト民族だけ。血の繋がりはなくとも、彼らだけが家族。


 いつも頭を撫でてくれた女性が喰われ、よく肩車してくれた男性が喰われ、食べられる草や虫について教えてくれた老人も、遊び相手をしてくれたお姉さんも、みんな、みんな。


 ある日喰われて、いなくなる。

 村落の人々はヤクモにとって大切な家族で、けれど失うことを避けられなかった。

 

 彼女に逢うまでは。


 漆黒の世界にも、天気は存在する。


 その童女は、雪の色をした髪を垂らしていた。


 そしてその童女は、夜の闇を固めたような瞳をしていた。


 ヤマト民族を蔑視するこの世界において極めて珍しい存在――ヤマト民族と他民族の混血。

 ヤクモの村落に放り出された童女を、みんなは家族として受け入れた。


 だが童女は、家族を「汚らわしい夜鴉」と言い捨てた。


 とてもとても腹が立ったけれど、それまで壁の中の常識で生きていたならば、仕方がない。

 ゆっくりと、仲良くなればいい。


 そんな時間が、許されるかは別として。

 実際、許されなかった。


 魔族の群れに村落が襲われる。


 家族は絆が強い。若い男が率先して女子供、老人を守ろうとする。でももう若い男はいなかった。若い女もいなかった。子供はヤクモと童女だけだった。老人しか残っていなかった。


 みんな、食べられてしまったから。


 ヤクモはまだ五歳だった。

 怖かったけれど、とても怖かったけれど、震えが止まらなくて、呼吸が苦しくて、歩くことさえままならなかったけれど、鍬を手に取った。


 だって、ヤクモが戦わなければどうする。

 童女が襲われそうになっていた。


 四足獣タイプの魔族に鍬を振り下ろす。

 刃床は獣の身に触れるより前の空間で阻まれ、柄から圧し折れた。


 通常の武器は魔族に通用しない。

 そんなこと、知っていたけれど。


「逃げて!」


 ヤクモは童女に向かって叫んだ。


 いつも仏頂面で、喋りかけられることさえ鬱陶しそうにしていた童女。

 ヤクモとそう歳の変わらない女の子は――恐怖に涙していた。


 ヤクモが助けに来たことが、理解できないという顔をした。

 何もおかしくなんてないのに。家族を守るのは当たり前のことだ。


 ずっとそう守られてきたヤクモだからこそ、当たり前のようにそれが出来た。

 折れて木の棒となったそれを構える。


「……なんで」と、呟く声が聞こえた。


 ヤクモは笑う。今にも体を噛み千切られて死ぬかもしれない中、気丈に笑う。


「兄ちゃんが妹を守るのは、当たり前のことだよ」


 都市から弾かれた人間は、人としての尊厳すら剥奪される。

 だからせめて弾かれた者達同士で尊重し合わなければ、もう人ではいられない。 


 ヤクモの言葉に、童女・アサヒは。


「……ばかなやつ」


 冷たくそう呟き、そして――ヤクモの手を握った。

 逃げることなく、温かい手で。


「……わたしのを、唱えて」


 どういうわけか、分かった。


 アサヒ、ではない。

 名ではなく、銘。


 その刃は、彼女の毛髪と同じく――雪色をしていた。


 避けられぬを避け、抗えぬに抗い、斬れぬを斬る。

 雪の色をした、夜を斬る白刃。


 人並み以下の魔力炉しか持たぬ《導燈者イグナイター》と、一つたりとも魔法を保有していない《偽紅鏡グリマー》。


 地上で最も無能な守護者がそこに誕生した。


 その時は、何者も知る由もなかった。

 最弱の剣士が、やがて夜を切り開くことになるなどとは。

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