おやすみ、死にたがり

仮名

第1話

 お昼のニュース番組を見ると、都市部の人通りの多い場所から中継を結んでいる途中だった。皆寒そうに防寒具をばっちり着込んで、人の流れがあっちへ行き、こっちへ行き。

 テレビの向こうの世界では息苦しすぎて、きっと酸素ボンベを背負っても息ができないだろう。皆はどうやって息をして、そしてどうやって生きているのだろう。

 色が消えていく。何も感じなくなっていく。だってこの世界に、「私」は存在しないのだから。

 すぐにテレビを消して、朝食なのか昼食なのかよくわからない食事の後片付けをして自室に戻った。


 お年玉を貯めて買ったデスクトップパソコンで、インターネットの海を泳ぐ毎日。この海の中だけは、誰も私の姿を知らない。だからこそ、私の居場所はここだけだと信じていた。

 私を志筑都しづきみやこと知っている人は誰もいない。私のタイムラインに現れるのは大好きな絵師さんや、偶然人と仲良くなった「ルナ」としてしか知らない人のみだ。

 結局、私の世界は狭い六畳の部屋の中で、生きていける社会は広いネットの海だけなのだ。それで、充分だった。



 中学時代は、最低最悪だった。

 いじめが日常を軸として時間が過ぎていく。なにがきっかけなのかわからなかったけど、いつも息を殺してなるべく存在しないものとして生きていた。そうしないと生きていけなかった。

 でも中学時代は引きこもらずに卒業した。義務教育はこれで終わりなのだ。幼稚ないじめなんてなくなるはず。その一心で唇を噛み切る勢いで噛み締めながら、いじめに耐えた。あと、大人は頼りないことを知っていた。こればっかりはどうしようもなかった。

 志望校は地元から電車で一時間弱かかる高校を選んだ。それ以外の志望校も、自宅からは遠いところをわざと選んだ。もちろん、どの学校にもクラスメイトが志望していないことを確認して。


 それが吉と出たのか、入学してからは楽しく過ごしていた。誰も私を無視しないクラスメイトたち。物は飛んでこないし、机に落書きされたり、花瓶が置かれることもない。クラスでは友達ができた。美術部に入って、部活仲間もできた。

 中学の時はなかなか描けなかった水彩画を思いっきり描けるようになって、本当に充実していた。高校という過程を経てから、私はどこへ行こうかと考えていた。


 二年になって二度目の文化祭を終えて、この忙しさはあと一度しかないのかと、のん気に感傷に浸っていた。日直の仕事であるノートを届けに行った。

 職員室のドアを開けて、担任のもとへ行くと知らない制服に身を包んだ女生徒が先生と話していた。編入生かな、と思いながら先生のほうへ歩き出す。その一歩で、変わってしまったのかもしれない。


「先生、日誌です……」


「お、ありがとう志筑さん」


「え、志筑じゃぁん! この学校だったんだぁ。てかイメチェンした? なんか変わったねぇ」


 ひょっこり顔をだしたその顔を見て一瞬で時間が止まった。蓋をした記憶が溢れていく。

 もう忘れていたその声。耳にこびりついて離れない少しハスキーな声。鋭い目。弧を描く薄い唇。思い出より少し長い黒髪。忘れたくても忘れられない、その人物。

 荻原香織おぎわらかおりが、そこにはいた。

 笑いながら私の大切なものを踏みつけては壊していった、いじめグループのリーダー。確か推薦でスポーツの有名校に進学する、とクラスで騒いでいたはずなのに。どうして、どうして……!


 耐えきれない吐き気が胃液を押し上げた。自分では止めることなんてできずに、収まっていたものが全て床に広がっていた。何もかも吐き出して全部真っ黒に染まってしまったような気がした。

 もうダメだ。なにもかも終わりだ。結局私は何も変わっていない。彼女を前にして、きっとまた地獄が始まることを悟った。ドロドロしたこれからの恐怖も一緒に吐き出されていけばいいのに。


 先生に保健室へ連れられた後、お母さんが迎えに来てくれた。仕事から抜けてきてくれたのだろう、仕事に出かけたときの姿のままだった。

 次の日の朝、制服に袖を通す度に吐き気が止まらなかった。むしろそう思った瞬間トイレに駆け込んで、全て戻しきっていた。

 一日休んで様子を見てから、また次の日も、そのまた次の日も、と繰り返すうち、制服に袖を通すことさえやめてしまった。母親がドアの前ですすり泣きながら話しかけられる度に、やっとつき始めた自信が剥がれていくような気がした。

 父親と母親の喧嘩の声は、リビングから私の部屋まで突き抜けてくる。それが怖くて悲しくて、辛くて、毎日ヘッドフォンで耳を塞いで、カギをかけて閉じこもった。

 こうして、私の引きこもり生活はスタートしたのだった。

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