第22話 回想の渓谷(二)

 商談をまとめるとその日は村長の隣家に泊まるよう案内された。なんでも村長の弟の家にあたるらしい。家長は高地の部族らしい、良く日に焼けた肌をしていたが、優しそうな瞳をした中年の男性だった。


「どうも、ユングヴィと申します。お世話になります」

「ようこそ、青い空の下、よくお越し下さいました。狭いところですが、ご自分の家だと思ってくつろいでください」


 狭いところと言うが、この辺りの家では大きな方だった。壁のごつごつした詰み石は剥き出しで、風が入るところは例のコケのような植物でふさがれている。豪華な調度品とかはなく、石の灰色と植物のくすんだ緑色を基調として室内は寒々しく思えるが、それはこの家に限ったことではなく、この集落全体に言えることだった。


「旅のお方はこれからどうなさるので?」

「しばらく村で商売をさせていただきます。お許しは先ほど村長よりいただきました。その後は、そうですね、東の方に旅をしようかと思っております」


 村長に一番良い塩の板を売り、商売の許可を得た。あれくらいの質の塩は、家畜の良い滋養になることだろう。後はしばらくこの村に滞在して、塩を売りつつ旅に必要な食糧や道具を買い、次の場所へ行くつもりだった。


「家畜の肥えはいかがですか?」

「この辺りは今年は良好です。今年は雨も良い。ですが、山の向こうは夏に冷え込み、また飛蝗ばったの害や野盗により混乱していると聞きます」


 夕飯として地元で採れた白い芋を蒸したものと例のクルットーが出された。クルットーは良く味わって食べるとほのかな脂の甘味があり、美味しい。その席で家の主とその親族らしき3人の男性に囲まれ、ヤギのミルクから作った匂いの強烈な酒を飲み交わしながら世間話をする。誰か知り合いの豪商に情報を売り、困窮している地域に雑穀や干し草の余剰分を運ばせれば商売になるだろうか、などと考える。旅をして世間話から得た情報も時として貴重な商材だ。そんなことをしているうちに夜が更けていき、与えられた離れの部屋で眠った。



   ◇



 どれくらい時間が経っただろうか。ふと目が覚めると朝のようだった。家を形作る詰み石のわずかな隙間からうっすらと静かな冷気を伴った青い光が差し込んでいる。朝といっても夜明け前なのだろう。昨夜は酒の匂いで鈍感になっていたが、部屋の埃っぽい匂いが鼻につく。


 がらんとした部屋の扉になっている二枚の仕切り板をどかして外に出る。東の方の山の頂上が燃えるような緋色になっているが、天頂は未だ濃い藍色だ。日の出までにはもう少し時間がかかるだろう。天頂より西側の空ではまだ幾つかの銀星が輝いている。ざっと視線を落とすと同じような作りの長方形の石とコケの小屋が並んでいる。お世話になっている村長の弟は少し離れたところにある大きな家に住んでいる。この辺りの家々にはその親族が住んでいるらしい。彼らの家畜だろうか。どこからかやってきたヤギが三頭ほど隣家の裏で草を食んでいる。そのまま視線を東側に移すと、人がいた。


「ねえ」


 人がしゃべった。


 驚いた。


 よく見るとまだ幼さの残る少女だった。背丈はユングヴィの首くらいまでしかない。灰色の長袍ローブを頭からかぶっており、まだ暗さの残る夜明け前の空の下では、アオルシ族の日に焼けた顔は細かいところまで見ることができなかった。だが、その頭巾のように頭を覆う布の影から浮かび上がるように見える目、そしてその中央に鎮座した青い瞳、まるで森の奥にある静かな湖の深い水底のような色の瞳がほのかに輝いているように見えた。そう、輝いていた。彼女の意志の力で。


「貴方、異国の人でしょ?」


 少女の言葉にユングヴィはうなずいた。少女が何を言おうとしているのだろうと思いながら。次の瞬間、腕を少女にがしっと掴まれる。この辺りの女性は通常、誰とも分からない男性に気安く触れはしない。


「お願い!私をここから助けて!このままじゃ殺されるの!」


 ああ、はいはい、こういうのは旅をしていると時折ある。


 問題はなぜそう思うのか、その原因だ。よくあるのは借金で首が回らないとか、刑罰をくらうことになっているとか、世間をご存じない方が恋人と駆け落ちしたいとかだ。部族によっては我々エルフの容姿はよほど美しく見えるらしい。村の宿に投宿したその日に、村の娘に「貴方はどこかの王子様でしょう、結婚して私をお城に連れてって!」と迫られ苦笑したこともあった。既に気持ちの底にめたものが溜まりつつあるが、最後までこの少女の話を聞いてみることにした。


「一体なんでだい? 殺されるなら、大人なり、村のえらい人なりに助けてもらうよう、まずはもと……」

「聞いて!」


 ああ、もう


 少女はこちらの話を聞くのがまどろこしかったのだろう。自ら話し始めた。それによれば、少女は多くの兄弟姉妹と友に育ったが、特に一番上の姉と仲が良かったらしい。だが、彼女が十一の時に姉は隣の部族へと嫁に行くと家族の中で孤立してしまう。特に母親からは小さい頃より厄介者扱いを受け、他の兄弟姉妹と散々比べられたらしい。


「女の子にとって大事なことはどこかに嫁いで結納をもらってくることだ、あいつらったらそれしか私に言わないのよ! あ、あと姉はあれができる、妹はこれができる、それなのにお前はほんとに出来が悪いって!って、ほんと、母さんもそればかり!」


 ユングヴィはうんうんと少女の話に相槌を打った。なぜ彼女が厄介者扱いを受けた、あるいはそう感じたのか、聞いてみたかったがそれどころではない。しばらく、彼女の負の感情が間欠泉のように噴出し続ける。ただ、それを黙って聞いた。彼女が敬愛していた姉は結婚後ほどなくして亡くなったらしい。


「ほんとに信じられない! 信じられない! 私に姉さんの旦那の後妻になれっていうのよ! 絶対……ぜったいにいやっ! だからここから逃げてやろうと思ったの」


 この手の話に安易に乗るわけにはいかない。かわいそうだと思うケースもあるが、子供が見えている世界は狭い。各国や部族、あるいは村落ごとに理不尽はあるものだが、その理不尽には集団のおきてや宗教、経済事情など複雑な事情が絡みあっていることが多く、外部の旅人が簡単に手を差し伸べられるものではない。

 それに、騒ぎを起こせば商売先を一つ失うことになる。部外者の商人を受け入れてくれるところばかりではないのだ。


「ちょっと聞いてるの!? ここ大事なとこなのよ!」


 こちらの頭が少女の話からそれているのを察してか、問い詰めるように語気を荒げる。どうしよう、この少女、哀願に来たはずが攻撃的だ。


「ああ、聞いているよ。せっかくお嫁に行った、君のお姉さんが不幸にも病気になってしまったんだったね」

「姉さんはとっても素敵な人だったの! 私より料理や裁縫が上手で、姉さんが作ったマンティはほんっとに美味しいし、見た目もすっごいきれいなの!」


 それからしばらく、少女の姉自慢が続いた。切羽詰まっていたはずだが、やはりこの少女は何かにかずれている。なお、マンティとは確か、肉や野菜を穀物から作った皮で包んだ料理だ。焼いたり蒸したりして食べる。私見だが、東方で食べられている「饅頭まんじゅう」と共通祖先を持つものだろう。


「姉さんが羊の世話をしていて転落して死んだって聞いた時、絶対あり得ないって思ったの。姉さんはいつも身のこなしが軽やかで、羊の世話も上手だったし、時には弓矢で狩りをするくらい活発な人で……」


 この少女は慕っていた姉の死に衝撃を受けただけでなく、姉の夫を怪しみ、姉の扱いがひどかったのではないかと不信感を抱いていた。伝え聞いた話では姉にはひどいあざがあり、夫に暴力を振るわれていたらしい。


「でね、姉さんのこともつらかったけど、今度は姉さんの代わりに私がその人の奥さんになれって、そう父さんが言ったの! 相手の男が裕福らしいけどあんまりよ!」


 最後の方は言葉の発音に少女の怒りがにじみ出ていた。心なしか、青い瞳の輝きが波立つ湖面のように乱れたように見えた。


「わ、私、そんなの絶対に嫌! なんで姉さんにひどいことしたやつんとこに嫁がなきゃいけないの!」


 彼女の話の主題が再度繰り返される。


 ここから逃げたい理由は、望まぬ結婚か……


「お願い! 私、このままこの村で言われた通りに生きて死んで……姉さんみたいにになりたくない! だって、だって姉さん、あんなに素敵な人だったのに!」


 たいていこのことでは心を動かされないつもりであったが、少し哀れに感じた。望まない相手との結婚なんてのはどこでもある話だ。そもそも結婚が家と家とをつなぐ互助協定のようなものである以上、個人の好みで行うものではない。結婚に好みがどうのこうのと言えるのは、王侯や富豪がめかけを持つ場合くらいだろう。それともいつの日か、婚姻が当人同士の都合だけで行われるような日が来るのだろうか。

 だが、いずれにせよ、よりによって慕っていた姉を大事にできなかった男のところに嫁がされるのはあんまりだとも思った。おそらく、少女の父としては金持ちのその男との縁戚関係が切れないようにしたいのだろう。そういうふうにしないと生きていけない世界は確かにある。


 それにしても、見ず知らずの異国の男にいきなり頼むことか、これは?


「これでわかったでしょ? お願いだから、私を連れてここから逃げさせて!」

「お嬢さん、よーく考えて、冷静になって」


 これまでの短時間の会話から、少女の話を遮るように大きめの声ではっきりと言った。少女の背後では空の明るさが増し、藍色の天頂が茜色に染め上げられていく。


「私は旅の者、君たちの見知らぬ者だよ。そんな者に連れ出してとお願いするのは非常識だし、例え、私が君を連れ出してあげたとして、私が悪いやつだったらどうするんだい? 戻ることもできないし、ひどい目に遭うかもしれないのだよ?」

「大丈夫よ!」

「なんでそう言い切れるんだい?」


 少女はなぜか胸を張って答えた。


「貴方は大丈夫。私には分かるの。ちょっと癖があるけどいい人よ。私には分かるんだから!……っていうか、あれだけ私の心の内を話したのだからもっと私に同情の言葉をかけてもいいんじゃない!?」

「はあ……」


 これには参った。この少女はどうやら理屈が通じない性分らしい。


「私が君に暴力を振るったり、奴隷商人に売り飛ばす可能性は考慮しないのかい?」

「それはないわね、顔を雰囲気で分かるわ」


 高評価はうれしい限りだが、躊躇ちゅうちょなく断言された。


「君が慣れない旅の途中で病気になって故郷が恋しくなったり、怪我をして二度と自力で生活できない体になったりといった可能性は考慮しないのかい?」

「その危険性は故郷にいても異国にいても同じでしょう? 先のことなんて分からないじゃない」

 

 うーん、ある種の人生の捉え方としてはそうなのかもしれないが……


 結論から言えば、この少女のことを無視することができる。そして、ユングヴィがこれまで積み重ねた商売や信頼を考えればそれが一番「無難」だ。だが、この少女の意志の光が強烈に宿った青い瞳を見ていると、なぜか話を聞き、理解してやりたくなるものがあった。


「君の希望に沿って君を連れ出すと私はここの人々と商売できなくなる。例え、君に正義があっても私は恨まれるだろう。それでも、君は私に連れ出せと言うのかい?」

「そうよ! ごめんなさい……こんな言い方して……私は貴方に迷惑をかけてでも自分の運命をじ曲げたいのよ!」


 悪びれることもなく言い切った。少し感心した。この歳でそこまで「傲慢ごうまん」になろうとすることに。だが、やはりこの少女には精一杯の虚勢だったのだろう。その態度は次の瞬間穏やかに崩れた。


「……そうね、貴方には迷惑なのよね、私のお願いは。それは……当然のことよね……」


 少女の青い瞳の輝きが陰る。少しずつ空が明るくなり、少女の表情がはっきりと分かるようになってきた。その顔には自嘲じちょうの色が浮かんでいた。

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