7話 道化の花(前編)
時は少し巻き戻り、まだ肌寒い3月の中旬。
まだあどけなさが残っている15歳の少女、ルキーナ・トレイボルブランコ=ヴィーゲンリートは今日も屋敷の掃除をしていた。
ルキーナがいる街。
それは、アルキュミア王国の王都パラケルスス。
高い円環の壁に覆われ、空を突き刺すような茶色い鉄の建物や、巧妙なカラクリが蠢く工場などの建物が並んでいる。
そして、通称『霧の街』と呼ばれている。
その理由は、多くのものが蒸気機関で動いていることと、元は高地を切り開いて作られた街だからだろう。
おかげで、霧が晴れたとしても太陽が見える日は少ない。
「ルキーナ!ねえ、遊ぼうよ!まずは質問タイム〜」
傍に10歳前後の少年が駆け寄ってきた。彼はここの屋敷の主人の孫だ。
「どうされましたか?お坊ちゃま」
「ルキーナはどうして働いているの?」
ルキーナは優しく少年の頭を撫でながら桃のように儚く薄い唇を上げて笑った。
「わたくしの家は、酪農を営んでいますが、それだけでは食べていけないので、長女のわたくしが代表で働くことにしたんです」
「ええー!ねえねえ、じゃあルキーナはここにずっとここにいるよね?ね?」
少年はルキーナのドレスをの端を掴み、セレストブルーの双眸でこちらを見つめる。
「お坊ちゃま……申し訳ございません。あと、20日程で実家に帰ることになったのです」
「なんで?ヤダ!みんなみんな居なくなっていくじゃん
乳母のアメリアだって、執事長のゼパスだって……大好きだったのに……どうしてやめたの?」
戦争の徴兵によって、お屋敷の使用人の数は年々少なくなっている。
「おぼっちゃま。覚えておいてください……人生は別れの連続です。別れるつもりがなくても別れてしまう……それが人生です」
「じゃあ、ルキーナもお別れ経験したことあるの?」
「………親友を戦争で……」
ルキーナは目を瞑りながら、そう静かな声で言った。
「でも、覚えておいてくださいお坊ちゃま」
そう言いながら、ルキーナは近くにあったピアノの蓋を開ける。
そして、いつもつけている黒のレースの手袋を外した。
「ルキーナの手……茶色でボロボロで汚い」
ルキーナは、それに対して何も言わずに微笑むと、鍵盤の上をなぞるように曲を弾き始めた。
「あ、ボクが好きな英雄のポロネーズだ!」
「これもまた覚えておいてください。
別れたとしてもその人と過ごした日々は消えません……曲、匂い……その人に縁のものを見る度に、その人と記憶の中ですが会えるのです……」
それでも寂しいし、苦しいことはあるけどね。って言葉は飲み込んだ。
白と黒の鍵盤の上を指は
激しくけれど重厚な音が重なり、美しい旋律として部屋の中を響かせる。
少年はうっとりと魅入った顔で聞き入っている。
ルキーナはその様子を微笑ましく、また祈るような気持ちで弾いていた。
夜、ルキーナは全ての仕事が終わり自室に戻ると、撃たれたての鳥のようにベッドに倒れ込む。
小さな窓からは霧は晴れ、糸のような三日月が霞んで見える。
「……に会いたいなぁ……」
月を掴むような仕草をする。
指と指の隙間から月光が漏れ、薬指にはめてある指輪がまるで彫られている月と星と同じように光る。
ルキーナは目を瞑る。
そしてふと、実家から飛び出して来た時のことを思い出した。
「お姉ちゃん!」
1つ年が離れた妹が、悲しみと寂しさと怒りのような瞳でこちらを見ている。
蜂蜜色の透き通った硝子玉のような瞳の奥にある赤と青の感情。
「ねえ、お姉ちゃん!お母さんを憎まないでね!お母さんは確かに厳しいけど、お姉ちゃんのこと考えているんだから!……心配しているんだからぁ……」
知ってるさ。知ってる……そんなことずっと前から知ってる。
でも、ルキーナは自由に何者にも縛られたくなかった。
当時のルキーナにとって、母は口うるさい存在であり、それを押し付ける存在だった。
だからルキーナは母が嫌いだった。
そっと目を開いたら、目からは水滴が流れ落ち、朝露のように頬に流れ落ち布団を濡らした。
いつの間にか寝ていたらしい。
部屋には朝日が差し込み明るく照らしている。
「眠い……でも、起きなきゃ……」
抱いていたうさぎのぬいぐるみをそっと置き、いつも着ているメイド服に着替え始めた。
部屋の鏡にはシロツメクサの髪飾りに、麦畑色のツインテールの髪型をした少女があどけない道化のような顔で写っている。
ルキーナはそれを見て口角を上げると、部屋のドアを閉めた。
キッチンに行くと、トマトスープの香りとサワークリームの匂いが鼻をふんわりとくすぐる。
ああ、懐かしいという感情と家に帰りたいという感情に襲われる。
「おはようさん。ルキーナちゃん」
自分よりも少し年上で鼻のそばかすが特徴の使用人が声をかけてきた。
「ああ、おはようございます!今日はトマトスープなんですね!」
「そうなんだ!旦那様の要望でね。ほら、最後にサワークリームを入れてくれないか?」
ルキーナは冷蔵庫からサワークリームの缶を取り出すと、蓋をそっと開けて一掬いして、鍋の中に入れる。
アルキュミアの料理はサワークリームを入れるのが定番だ。
ルキーナは鍋に入れた後、そのままサワークリームをまた一掬いしてパンに塗りたくる。
「何を作っているんだい?」
召使いは不思議そうな顔をしながら、スープをお皿によそる。
煮込んでいる時よりも、トマトの香りがよりハッキリと鼻をくすぐり、それが何故だか心地よい。
ヴィーゲンリートは何も言わずに、ただ花のようにニッコリと笑いながら、慣れた手つきで缶切りを使ってツナ缶開ける。
スライスオニオンとレタス、ツナ、スライストマトを交互に並べ、サワークリームと胡椒を混ぜたペーストを具の上に塗りたくり、上からパンを乗っける。
「旦那様へ……差し入れのサンドイッチです。ここ最近よくお腹空いたと言っていたので……喜んでくださるといいのですが……」
召使いはそばかすだらけの頬を上げ、「大丈夫さ」と言うと、サンドイッチを皿ごとトレンチに乗せ、ホールの方へ歩いて行った。
ルキーナも小鳥のような足取りで、後ろに付いて行った。
ホールには、この家の主人の家族がずらりと座っている。
少し不気味なのは皆あまり表情がない事だ。
この前ニコニコ微笑んでいたお坊ちゃまも、今日は王都の天気のように沈んでる。
「だ、旦那様……本日の朝食はいかがでしょうか……?」
食べ終わりの頃、ルキーナは1番上座に座ってる軍服を着たハゲタカのような初老の男性に話しかける。
「ああ、まあ……美味いよ」
男性は強い目力でルキーナと朝食を見る。
その目は疲れきっていて、あまり食には興味無さそうで、食べれればなんでもいいと言いたげだった。
まあ、戦場生活が続くと食に対して関心が無くなざるを得ないので仕方がないとはいえ、この反応は少し気分が下がる。
「ああ、でもこのサンドイッチは俺好みだなぁ……」
何か懐かしいものを見るように、サンドイッチが乗っていた皿を見る。
そういえば旦那様の今は亡き母は、サワークリームが沢山使われてる料理が有名な土地出身だと聞いた。
もしかしたら、母の手料理を思い出したのかもしれない。
「旦那様!そちらわたくしが作りました」
「美味かった。ご苦労さま」
男性は仏頂面であっさりと言うと、「ご馳走様」とだけ言うと席を立ち、執務室に戻った。
ルキーナは嬉しくてニヤケそうなのを抑えながら、お辞儀をしたままその様子を見送った。
「
それから数日後のとある夜。
ルキーナは屋敷から離れた、古びた公衆電話ボックスにいた。
そして、受話器越しに小声で流暢なレヴァン語で話し始める。
『
受話器先の男性である地獄花は少し荒っぽい言い方だ。
別になんとも思ってない。いつもの事だしむしろそれ以外の口調だと落ち着かない。
「
「
ルキーナは続けて喋り続ける。
電話先からは慌ただしい生活音と子供の喋り声のようなものが聞こえる。
「8月20日に『血の土曜日』の計画に関与したアルキュミア軍参謀、カシミール・モーガン=ペトログラード氏がマギ王国に亡命するそうです」
「現在ペトログラード氏は新たなる作戦を考えているみたいです」
「もし、情報が本当ならば……」
「
『……そうか……シロツメクサ!その……『新たな作戦』というのをもう少し探れないか?』
地獄花が静かな声で言う。
本来の彼の声だ。低くもなく、高くもなく厳しそうで、でも優しさが少し含んでいるような……そんな声。
「はい!それと……同じく作戦に参加していた中佐である、アル=ハッサバードの
「1ヶ月後の4月6日に開催される誕生日パーティでや《殺》ります」
地獄花はしばらく黙ったあと、一言眠たそうな声で『私は残念だが不在だなあ……よい報告を待ってる』と呟いた。
実は、ルキーナ・トレイボルブランコ=ヴィーゲンリートはレヴァン側のスパイだ。
コードネームは『シロツメクサ』
一部からは「道化の花」と呼ばれている。銃器の扱いと情報収集力に長けてるスパイだ。
季節は春に近づいていく。
街の高級住宅地の付近にそびえ立っているこの国の英雄ハーイ=ジョージの鼻についていた氷柱は溶けて、下に水溜まりが出来ている。
子供たちはそれを見て「ヘーイ鼻水小僧〜!」と叫んでいるのを、買い物帰りのルキーナは微笑ましそうに見つめていた。
「何ボヤボヤしてるの?ルキーナ」
後ろからポンと軽く肩を叩かれる。
振り向くと、ショートカットでウェーブがかかったオレンジ色の髪に、サビアブルーの瞳、頭には黒のリボンをつけた女性がいた。
「ガブリエラさん!」
近所に住んでいる姉のような親しい存在の人だ。
顔が広く、現在の職を紹介してくれたのもガブリエラだった。
「ごきげんようMissルキーナ」
高級蜂蜜のように甘く蕩けそう声。
ブランドバッグの中にはアルキュミアの五つ星ホテル『
「うわー!今から出勤ですか?」
「いや、違うわ。今から帰るのよ。
大変だな……という目線を送ると、ガブリエラは「案外そうでも無いわ」といい笑った。
「あ、そうだわ!せっかくだから今からお茶しない?」
ガブリエラはいつも通っているカフェを親指で指さした。
「ああ、すみません……今買い物帰りなので……あ、今日って何日でしたっけ……最近日数数えるのが億劫で……」
ルキーナ足で地面に胎内にいる赤子のようなマークを描きながら言った。
「6日よ!4月6日!近所のスーパーのたまご特売の日!安いは正義!」
「ありがとうございます……なら8時頃なら空いています。……というか、たまご特売とかどうでもいいんですけど……」
「あら、大切なことよ?たまごがあればなんでも出来る。プリンにオムレツ……スクランブルエッグ!これさえあれば毎日過ごせるわよ」
「じゃあ、8時頃にいつもの場所集合ね!楽しみだわ〜!」
ガブリエラは上品さを残しつつ嬉しそうにクスクスと微笑んだ。
「席はステンドグラスがある西側に座りたいですね……おすすめの赤ワインでじっくり煮込んだ林檎のコンポートも注文したいな……」
「いいね!それなら裏ドアの近くがおすすめだよ!私は蕩ける赤ワインの蜂蜜牛タン煮込みを食べようかしら……」
「あ、そういえばも私の友人も誘っていいですか?」
「ああ、あの子ね!いいわよ!面白いし……」
それからお互いに顔を合わせて「楽しみですね〜!」といい笑った。
ガブリエラ=アヴェもレヴァンのスパイだ。
コードネームは『
カフェの会話は先日地獄花に報告した暗殺の最終確認だ。
ルキーナは、パーティが行われているハッサバード邸に偽造した参加券で入る。
それからガブリエラは得意の
それから、
6日の夜。窓から月光がさしている。
ルキーナは、いつものメイド服から白いワンピースドレスへと着替える。
今日でここでの仕事は終わる為、部屋は備え付けのベッドと鏡以外何も無い。
お気に入りのシロツメクサと、リボンがついた花かんむりを被った時だった。部屋ドアをノックされた。
「ルキーナさん!お手紙が……」
同僚のメイドが白い封筒を渡す。
ルキーナは、あれ?こんな時に手紙をくれる人っていたっけ?と思いながら、裏を見ると差出人には母の名前が書かれていた。
メイドが居なくなった後に、懐からジッポを取り出し、炙ると
心当たりと言えば1つ。
自分の上司の苗字だ。滅多に名乗らない為先程まで忘れていたが。
「……こっちに手紙寄越さないでって言ったのに……その前に速達って……」
ルキーナはペーパーナイフで封を切ると、少し汚れた紙にたった一言『西部戦線異状アリ』とだけ書かれていた。紙のふちは少し赤く染まっている。
たったそれだけで、何があったのか分かってしまった。
全身の血の気が引いてくのが分かる。
最悪だ。なぜ今届く?安否は?すぐ戻りたくなるじゃない……
ルキーナは一瞬、このまま任務を放り出そうと考えたが、それを邪魔するようにしばらく前にある人と交わした会話を思い出した。
「……もし、君の任務中に僕に何かあったとしても、任務はきちんと遂行させてね」
「君は……君なら絶対任務を放り出すでしょ?それだけはダメだよ?仕事なんだから……何事も無かったようにきちんと遂行させるんだ」
「うわ、……どうして分かったの?」
「……君ならそうすると思ったから。だからそうしないように釘を刺しておく……約束だよ?」
さっきから噛んでいる唇から血の味が少しする。
決意は決まった。この決断に後悔はない。
ルキーナは黒い革手袋をはめ、愛用銃を持つと「これでいいんだ」と呟いた。
お互いに約束した。きっとあの人ならあの約束を破らない。
私だけが約束を破るわけにはいかない。
ルキーナは約束を守るため、宝石をひっくりかえしたような星空の下で、いつもの場所へ行くために金色の髪を揺らしながらかけて行った。
教会の噴水の前で、エマとガブリエラとルキーナそれぞれ合流すると、任務場所へ向かう。
しばらく歩くと大きな家の前に辿り着いた。
それぞれ顔を見合わせて頷くと、まずヴィーゲンリートが門を開き、ある言葉を口にした。
「
その瞬間、ルキーナの目が黄金色に変わった。
「きちんと視てよねその千里眼で!」
屋敷の中の大広間では、働き蟻のように使用人が忙しく動いており、参加者は優雅にパーティを楽しんでいる。
元の目の色に戻ったルキーナは、にっこりと笑うと、パーティの参加券を取り出し、二手に別れて屋敷の中へ入っていった。
中に入ると、想像以上に人が居たせいなのか、エマは少し驚いたような表情で「うわぁ……人混み凄いー」と小さな声で呟いた。
「……エマ……しばらくゆっくりしようか?」
「そうだねーわたし、ベリーケーキ食べようかなー!」
「ベリーケーキ美味しいよね……」
2人はベリーケーキを頬張りながら、脱走経路を目視で確認していた。
まず西側の寝室付近にあるステンドグラスの下に小さな穴がある。
その奥に取っ手があるので、それを掴むと裏の道が見えてくる。
そこから外へ繋がっているのでそこから脱出する計画だ。
「やあ、僕の誕生日パーティに来てくれてありがとう」
目の前に近づいてきた優男。
標的であるアル=ハッサーバードだ。
性格はヘラヘラしていて女好きで単純。
しかし、計算高くずる賢い。
く
ついでに、ハッサーバードはイケメンで優しそうな見た目とは裏腹に、赤ちゃんプレイが好きらしく、ガブリエラの情報によると、先日も愛人を呼んで行為をやっていたらしい。
「ハッサーバード様。お初にお目にかかります。ハーディニア家のルキーナ・トレンボルブランコ=ヴィーゲンリートと申します
ハッサーバード様……先日のノルマンディ島のご活躍新聞で拝見させて頂きました!とても素晴らしく……本当に尊敬します!」
ルキーナは美しいカーテシーをしながらそう言う。
「はは〜嬉しいな!ありがと〜!」
ハッサーバードは偽物の笑顔で笑う。
どうやらあまりルキーナには興味を持たなかったようだ。
「あ、そこの三つ編み君なんて名前?その瑠璃色々の瞳が凄く綺麗だね。どう?俺と一緒にお茶しない?」
ハッサーバードはエマを指さす。
どうやらエマの方に興味を持ったみたいだ。ルキーナの目から見ればエマは青緑髪で赤い目だ。
エマは他人の記憶や認知を改ざん、削除する魔法を持っている。
おそらく、それを利用してエマ・トレイシー=ハミルトンはアマデウス人ではなく、アルキュミア人だという認知を、ここにいるほぼ全員にさせたのだろう。
理由は、アルキュミアでもアマデウス人は差別的な扱いを受けているせいで、任務が円滑に行えないからだろう。
「エマ・トレイシー=ハミルトンです!よろしくお願いします!」
エマはにっこりと笑う。ルキーナにとってはアマデウス人の笑顔に、目の前の男にとってはアルキュミア人の笑顔に見えるのだろう。
能力とは違い、他人に干渉できる魔法とは改めて凄いものだと思いながらルキーナは目を細めた。
窓の外を見ると霧がかかっていた。
これから上手く成功するといいんだけれども……と、思いながらルキーナは静かに2人の様子を見つめていた。
。
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