腐人権 (短編)
うちやまだあつろう
腐人権 (短編)
暗い部屋に男が一人。大きな椅子に深く腰掛け、彼は人生最後の酒を飲み干した。男は拳銃を手にすると、陽の光の差している窓に目を向けた。
殺風景なコンクリートの森にはスーツ姿の人影はなく、口にマウスピースをつけた死体が闊歩していた。
彼らは腐人。いわゆるゾンビである。
男はその光景を見て諦めたように息を吐くと、自身のこめかみに銃口を当てた。
◇◇◇
「腐人権のニュースばっかりだな。」
朝食を食べながら呟いた。テレビでは、腐人専門家という肩書の爺さんが何やら熱弁している。
「ゾンビどもに人権を、だと?ふざけるんじゃないよ。」
俺がため息交じりに言うと、向かいに座った妻がピクリと反応した。
「あなた、まだそんなこと言ってるの?そんなだから、部下の女の子から『時代遅れ』とか言われちゃうのよ。」
「ゾンビに人権だなんて、馬鹿らしいにもほどがあるじゃないか。この爺さんも胡散臭いったらないね。」
「元は人間なのよ。腐人は殺すなんて前時代的なこと言うんじゃないでしょうね。」
「時代、時代」と馬鹿の一つ覚えのように喚く妻に嫌気がさし、俺は早々に家を出た。
街にはスーツ姿の会社員に混じって、マウスピースをつけたゾンビが徘徊している。マウスピースさえあれば感染の危険は無いというが、この状態で放置するのは気色が悪い。
ところが、最近になってゾンビの人権、腐人権というものが認められるようになってしまった。下手に拘束すれば、腐人権侵害として罰を受けてしまいかねない。
「変な世の中になったもんだな。」
そう言って見上げたビルには、顔立ちの良いゾンビが服を着ている広告が貼られていた。
―――
腐人権が認められてから数年。
「腐人優遇処置法案だと!?ふざけるな!」
俺は思わずテレビに向かって叫んだ。少しはまともになるかと思っていたが、世間はよりおかしな方向へと進み始めている。
腐人優遇処置法案。それは名前通り、これまで過度な迫害を受けていたゾンビに、これからは様々な優遇処置を施すというものだ。
これも、最近発表された「腐人にも知能の発達が確認された」という研究のせいである。
「ゾンビ共を優遇して、何になるってんだ!」
「あ、今の差別発言よ。」
妻はお気に入りの腐人俳優の写真集を見ながら言った。
「ゾンビっていうのは差別表現なのよ。彼らのことは腐人って呼ばなきゃ。」
「差別もクソもあるか!だいたい、何故この化け物を優遇する必要があるんだ。こいつらはまともに会話もできないんだぞ!」
俺の怒声を聞いて、妻は呆れたようにため息をついた。そして、後ろにある棚から一枚の紙を取り出す。
「これ見て頂戴。」
そう言って渡されたその紙に書かれていたのは、腐人となって優遇処置を受けよう、というものだった。
「自らゾンビに成り下がるだと?それなら、俺は死んだ方がマシだ。」
「そう?私は腐人になろうかって考えてるんだけど。」
「なんだと?」
「腐人になれば、老化しないし、寿命で死ぬことも無いし、いろんな優遇が受けられるのよ。それに、知能もゆっくりだけど発達するなら、その内まともに会話できるようにもなるわ。実は、隣の田中さん夫婦も、腐人になられたって…」
俺は声も出なかった。
初めは冗談かと思ったが、この女の目は真剣だ。点けっぱなしにしていたテレビからは、「腐人は人間の究極体である」という爺さんの声が聞こえてくる。
気付けば、俺は家を飛び出していた。
◇◇◇
世界はすっかり変わってしまった。
外を歩けば人に出会うことはなく、代わりにゾンビが唾液を垂らしながら会釈をしてくる。永遠の命を手に入れたゾンビたちは子供を産むことも無く、保育園や幼稚園も次第に数を減らしていった。
そして、妻だった女も、今やどこを闊歩しているのかさえ分からない。
時代という名の大きな波は、俺を飲み込むことなく通り過ぎていった。
まともな人間は、もはや俺しかいない。いや、俺がまともじゃなかったのか。
男は歯をガチガチと鳴らしながら目を瞑ると、ゆっくりと引き金を引いた。
腐人権 (短編) うちやまだあつろう @uchi-atsu
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