贋作師
うぉーけん
前編
グッドシェパードという男は、遥かな
3Dプリンタで印刷された低級な
グッドシェパードが会合場所に選んだ旧市街地は、近くにある
すえた臭いが痩身を彩るゴスロリドレスにこびりつくのではないかと思い、
無数の歯車からなる相互作用を演繹的推理によって導き出された計算式により駆動する機械の身体を持つリーファは、別段、息吐くという行為に意味はないのだが、それは肉体とともに失われた
細やかな喉を鳴らし、リーファは糖蜜のように甘い声で尋ねる。
「それで、今回は私にどうしろと?
「
「下賤の者たちに、神の座に至る階段が開かれる。でも、軌道エレベータ・カルパブリクシャの門は精鋭たちが十重二十重に防護してるはず。一騎当千の重サイボーグたちでしょう」
漆黒のドレスとは対照的な、骨色の指を立てて疑問を呈すリーファ。
「それに。幸福な生涯が約束されている
むしろ、リーファのチェレンコフ光を思わせる真っ青な視線を投げかけられ、グッドシェパードはわずかにたじろいだようだ。
果たして遥かな天、
そのぶん、グッドシェパードの次の台詞は居丈高なものになった。
「あらゆる可能性は排除されねばならん。
「……はい、はい。わかりました」
「医師の名はエドワード・チャン。逃亡にはボルトンという傭兵がかかわっている。医師を含めて全員を始末しろ」
横柄な物言いに、冷静なリーファもさすがに反発を覚える。グッドシェパードはリーファの心情をあえて無視するかのように、脳内に人相書きを送ってきた。
まだ伸ばしていた指先に、
ダークカラーの油絵具を混ぜたような暗い色。
それは悲哀と哀愁だ。リーファは思う――どうしたの、エドワード・チャン。悲しい目をして。なにか人生に絶望することでもあった?
リーファは手配書をタグ付けしフォルダにしまう。七色の光を放っていた
旧市街のすさんだ暗がりに、グッドシェパードの闇色のスーツが溶けていく。そのボディと同様に蛋白繊維で合成された衣服ごと。携えたメッセージを託し終え、寿命が尽きたからだ。
リーファのあらゆるセンサから、グッドシェパードの気配や音や熱といった存在のあかしが消えていく。人が、どろどろに溶けていく。まるで悪夢のなかだけに訪れる光景だった。
腐敗した汚泥となった肉体は、地面に染み付いた機械油と混じって溶けさらなる悪臭を放った。
最後に囁きだけが残る。
「お前はまだ、自らを
沈黙が降り立った。
リーファは路地に、ひとりで立っている。汚泥に沈んでいる偏光グラスを青い視線で見つめている。神の被造物を生きながらに腐らせる冒涜的な光を疑似した視線でじっと見つめている。
「男の肉体に戻るつもりなんて、ない。ただそれは私が改竄された存在ではない証明、魂の
視線を上げる。金糸の前髪が視界で揺らいだ。黄金のとばりの向こう側に、
汚染された灰色の空に、人工の光を灯す摩天楼が神に楯突くように屹立している。
最先端の建築技術による
だがそれは、地上人を繋ぐ鎖であり
普段、人が意識することは少ない。だが都市の光の奔流すら、与えられたものだった。彼らは
彼らに隷属する者も多ければ、憎む者もまたそれだけ多い。
◇ ◆ ◇
女たちの嬌声。男たちの猥雑さ。嗅いでいるだけで酩酊する種々のアルコール。煙草と薬物の煙たさと、人の体臭と吐瀉物が入り混じった複雑な悪臭。
新市街地と旧市街地の中間地点にある、
あの娘を連れてこなくとよかったとリーファは思う。グッドシェパードから依頼を受けた後、荒事を考慮し彼女を呼んであった。
リーファを支援可能な位置にいる彼女――ゾフィは、ここでは声をかけられまくるに違いない。愛を求める男が相手だと、ゾフィは愛想よく笑うだけで断れない。そういうふうに制御されている。時折リーファをセクサロイドだと勘違いした男が下心丸出して寄ってくるが、自分だけなら冷たい目で見つめればたいがいが引き下がる。
それにしても。視界が鬱陶しい。一般的な視覚制御ソフトウェアだと、歓楽街のあらゆる角度に
バーの傍。壁に背をつけ紙巻煙草を吸っていた男は、顔を上げた。
まだ
リーファが探していた男も、そんな
ウーは眉間に皺を寄せた。迷惑そうな顔だった。
「ある男を探してるんだけど」
「人探しなら
「ボルトン。傭兵。重サイボーグ」
聞きたいことを一方的に尋ねると、ウーは肩を竦める。顎をしゃくる。ついて来い、と言外に示している。素直なのはありがたい。彼らはメンツを重んじる。強引な手段を取って
ウーに導かれ裏路地に入る。背景と一体化するような目立たない扉がある。
さび付いた音を立てながら扉をウーが開く。出入りに備えているのだろう、旧式だが頑丈な防爆扉だ。ぶ厚い金属の塊がどかされると、地下に続く階段が現れる。中からはマトリクス・ゲートの世界を操る電子音が聞こえていた。
階段を下れば、コンピュータに向かう男女が大勢。奥にあるサーバ・ルームは、屈強なサイボーグが直立不動で守りについている。
ウーのあとをついていくと太った女が椅子に悲鳴をあげさせ、ふんぞり返りながら葉巻を吹かしていた。顔役であるアルテミス・ジェーンはリーファを見ると、ウーとは対照的に相好を崩した。
「ずいぶんと顔を見せてなかったね、スイーティ」
ジェーンはリーファの右手をとると、白指を愛おしそうに撫でる。派手な指輪をいくつも嵌めた、ごつごつした指と絡み合わせてくる。
「ゾフィは元気かい?」
「ええ、もちろん。問題なく動いてる」
「そう。また会うのが楽しみだね」
ジェーンはリーファの手を取る。その太い腕に見合うアームレストに座らせると、お気に入りの猫でも撫でるように体のあちこちを触ってくる。きつい香水の匂いが鼻につくが、好きにさせておく。
そうすれば、ジェーンはなにかと便宜を図ってくれる。
もっとも、待機中のゾフィは気に入らないようだけれど。セクハラされる主人をネットワークごしにみて、怒りか嫉妬か、メッセージ・アプリに鬼の着信があった。そうした感情もまた人らしく振舞うために必要な要素だったが、今はとりあえず無視だ。
「ある男を探してるんだけど」
「誰だい」
本題に入る。ジェーンはお喋りを選べば際限なくしゃべり続ける女だったが、仕事に関しては率直な女だった。
「ボルトンという男。サイボーグの傭兵を率いている。最近、大きな買い物をしてないかな」
ジェーンは右手の葉巻を灰皿にねじ込んだ。心当たりがあるようだ。ホログラフィックで表示されるキーボードを叩き、リーファの
ごつい男だ。マッシブさこそが強さであると信じているように。肉体の大部分を機械化している。
「うちの傘下の店を通して、でかい買い物をしてる。実入りのいい仕事でもあったんだろうさ。ガイアノーツ・エレクトリック、
「取引記録は開示してもらえる? できれば、住処を探したいんだけど」
「あんたの頼みならもちろん。義には義を、恩には恩を、血には血を、さ。それにね、この男が払った
笑いながらジェーンが言った。
◇ ◆ ◇
強靭なハニカム構造のボディがあっさりと切り裂かれ、上半身がずるりと落下する。機械油を噴出しながら、下半身がでたらめに動き地面に突っ伏した。爆ぜる火花のなかで、光ファイバーの神経網が風に吹かれた葦のように踊っている。
「くそくそくそ、どっから攻撃してやがる!」
瞬く間に重サイボーグの部下三人を失い、チームを率いるボルトンは激怒していた。
右手に把持した機関砲を撃発。サイボーグすら紙細工のように引き裂く
断末魔の声すらあげず、最後の部下が頭から真っ二つに切り開かれる。
センサに反応はない。
機関部から吐き出された薬莢がからからと音を立て、腐敗したアスファルトに撒き散らされる。右手に感じていた機関砲の鼓動が消沈し、途絶えた。マズルブラストの衝撃は消え失せ、静けさが代わって聴覚センサを覆っていく。
全弾撃ち尽くした。
突然、右手から重さが消えた。機関砲が四つに分割される。次瞬。不可視の斬撃が右腕そのものすら細切れにしていった。肩から先を失い、ボルトンは獣のように吠えた。
ビルの上。天から人影が降ってくる。ボルトンの光学センサは、
だが、人間が空中で静止することなどありえるのだろうか。落下する女はぴたりと動きを止めた。浮いて――ちがう、虚空に立っているのだ。
人が宙に立つなど、ありえないはずだった。
ボルトンは逃げられなかった。幾多の敵を滅ぼした蛮勇さ故にではなく、文字通り指一本すら動かせなかったからだ。何かがチタンボディの身体に絡みつき、動きを封じているのだ。ガイアノーツ・エレクトリック社製の左腕と両脚を最大出力で駆動させても、ぴくりとも反応しなかった。
いや。脳内からの制御信号は正常に送られている。駆動系のレスポンスも異常はない。ただ異様な力で押さえつけられているのだ。
根源的な感情がひやりと脳髄を鷲掴みにする。ひさしく忘れていた感覚。脳と内臓の一部と生殖機能を残し身体を
恐怖。
可視光に切り替えた視界のなか。優雅さすら感じられる歩法で、女が灰の空を歩く。
漆黒のゴスロリドレス、その末端が風になびく。皮膚のほとんどを覆う衣服の先端から覗き見えるのは、対照的な青白い肌。頭部の両サイドで編んだツインテールは金の鱗粉を思わせ光の残滓を虚空に漂わす。流麗な曲線美を描く、洗練された肉体。
ひどく美しい女だった。完璧なまでに造形された美は、かえって非人間的な印象を与えるほどに。
ブーツで大気を踏みしめ、女が歩を止める。
廃ビルが落とす影のなか。チェレンコフ光のように蒼い視線に見下され、ボルトンは否応なく死を知覚する。
「エドワード・チャンという医師について、知っていることを話せ」
魂を鷲掴みにされる錯覚。陶酔せずにはいられないほどの美声だった。
それでも、終わりの予感が上回る。くそったれ。ボルトンは声に出さず悪態をついた。やっぱりあの医者がらみか。あの医者を軌道エレベータの地上部分から連れ出し、連中に引き合わせる依頼はたしかに受けた。危険だが人生を三回はやり直せるほどの金に目が眩んだ結果がこれだ。
おかげで名うての傭兵として知られたチームが、こうもあっさりと壊滅させられるとは。
「し、知らねえよそんな名前」
「お前たちが受け取った
「くそったれ」
今度は口に出して悪態をつく。
死ぬのはごめんだ。依頼主を裏切ることになるが、秘密を隠していたのはあっちが先だ。カナリアのように歌っちまうのはしかたない、命をあがなうためには必要なことだ。
怯えを口に滲ませボルトンは口を開く。
「引き渡した」
「誰に?」
「知らねえ」
音もなく女が眼前に降り立った。目が合った。女のひさしのように長い睫毛が眼球に淡い影を作っている。影に浮かぶ燐光めいた双眸。あまりにも罪深い瞳に暴露し、ボルトンは確信と同時に息を呑む。
初めは
間違いない。この女、
大破壊以前の技術、
女が左手を差し出した。しなやかな指が可憐に踊る。目玉をカメラに置き換えた光学センサがきしむ。何かが入り込んでくる。チタン合金の頭蓋、その内側にある柔らかいものに触れる感触。ボルトンは悲鳴をあげた。痛覚が存在しないはずの脳が、痛みを感じたのだ。異様な感覚にボルトンは身震いする。
「直接、脳に聞いてもいいんだけど」
「本当だよ! DBブロックで会った連中だ。重サイボーグの一団だが、ありゃあ反軌道連合に属するアメノハバ
「信じてあげる」
拘束が解かれた。女が右手を払うと、全身の戒めが無くなっていた。四肢の力が抜け、ボルトンはへたり込む。女が踵を返す。血と機械油に塗れたアスファルトを、平然と女は歩って行く。ブーツの軽やかな運びが簡素な音を立て路地に木霊する。
安堵のため息をつくと、深く吐いた息が恐怖とともに外に漏れ、代わって別の感情が湧いてくる。恥辱と怒り。ボルトンは単純な男だった。やられたらやり返す。そうやって生き延びてきたのだ。
女は、こちらに背を向けて油断している。
左腕をサイドアームの大口径ハンドガンに伸ばす。ごくさり気ない動作で、古式ゆかしい革張りの財布を取り出すような自然な仕草でハンドガンを引き抜く。
脳内の
引き金を押し込む。発砲音。手首に小気味よい反動。
「ウソだろ」
呆然と漏らす。弾丸は、女に到達することはなかった。両者の中間地点、空中で停止している。まるで蜘蛛の糸に絡み取られた虫のように。
その瞬間、プラズマ化した弾頭が着弾。熱と衝撃によりボルトンを木っ端のように撃ち砕いた。
◇ ◆ ◇
『差し出がましいまねをしました、
『いや、いいよ』
リーファは脳内に直接響く声に答える。暗号通信で詫びる従者、ゾフィをねぎらう。レールガンによる狙撃で、ゾフィが的を外したことはなかったし、発砲の権限は彼女に持たせている。どうせ殺せと言われていたのだ、問題はない。
背後で砕け散った重サイボーグの男の結末など、もはやどうでもよかった。
『聞いてたと思うけど。DB区画の記録を追える? 小規模の核分裂炉を持っているアメノハバは金持ち企業だ。そのアメノハバの暗部が動いてるのなら、監視カメラや公的な通行記録は対策済みだと思う。それ以外の手段で彼らを追跡してほしい』
『かしこまりました』
三千メートル先にいるゾフィに命じ、リーファは現場を去った。
あとは、マトリクス・ゲートの中の仕事だ。電子の意志であるアルゴリズムは演算し、演繹し、あちこちに分散する呟きや痕跡を拾い集め、関連情報を結びつけ、相互に評価し合い、答えを紡ぎ出す。
ゾフィからの報せは、ものの一〇分もかからなかった。
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