第1話 なぜ勇者の物語は始まったのか

 嵐の夜更け。轟く雷鳴が物語の始まりを告げる。

 真っ暗な部屋の中で、ゆっくりと立ち上がる怪物を稲光が捉えた。怪物の名はヴァンパイア。魔王『リッチー』に仕え、人間の生き血を糧とし老衰死することのない命を携えた吸血鬼。

 今宵の目覚め。それはつまり、勇者の冒険が始ることを意味している。


「チビスケよ! チビスケはおらぬか!」

「お呼びでしょうか、ヴァンパイア様」


 暗闇の奥から声が聞こえ、ゆっくりとロウソクの灯りが迫ってきた。小さな燭台を片手に、ヴァンパイアの目の前に姿を現したのは『チビスケ』ことチビスケルトン。この城では使用人のような存在で、他にも何百体と働いている。勤勉であり忠実な彼らは、魔王軍の中で最も低い身分ながらも欠かすことのできない存在なのである。

 簡単に再会の挨拶を交わしたあと、ヴァンパイアは少しばかり驚いた表情を見せた。確認したところ、封印されていた期間はおよそ十年だったとチビスケから報告を受けたからだ。チビスケも総出で確認作業にあたったが、間違いないという。


「……まぁいい。リッチー様も目覚めているのだよな?」

「ええ。確認しております」

「そうか。じゃあ我が輩はこれからリッチー様の所へ行ってくる」


 ヴァンパイアは自室を出て螺旋階段を上がり、最上階にあるリッチーの部屋へと向かった。

 静寂に包まれた廊下に響くノックの音が不気味に聞こえる。


「リッチー様、ヴァンパイアでございます。入ってもよろしいでしょうか」

「どーぞー」


 不気味な模様が描かれた両開きの扉を開けるヴァンパイア。目の前に現れたのがヴァンパイア達を束ねる魔王軍の長であり、この城の主でもあるリッチーだ。禍々しいローブを身にまとい、チビスケの何倍もの大きさの身体から発せられる瘴気のようなものを吸い込んだ人間はそれだけで死に至る者もいるという。『魔王』と名乗るだけあって、この世界において絶対的な存在なのである。

 封印が解かれて間もないものの、既に忙しそうな様子のリッチー。長い骨の指を器用に動かしてパソコンのキーボードを打っている。


「やあ、ヴァンプ君。久しぶりだね。君が魔王軍の幹部になってからの初仕事がこれから始まるよ」

「は、リッチー様。ご迷惑をお掛けすることが多々あるかとは思いますが、全力で全うする所存でございます……ところでリッチー様は今、何をやっておられるのでしょうか」

「ん? 何って……オフィスソフト使って原稿書いてるんだよ」

「オフィ……?」

「まぁ人間達の技術の結晶とでも言うべきか」

「我が輩の部屋には明かりひとつ無かったのに……何の原稿を書かれているのですか?」


 これから勇者がやってくる時に備え、セリフを噛んだり忘れたりしないようにするための『カンペ』だという。

 リッチーもヴァンパイアに質問を返した。なぜこヴァンパイアはリッチーの部屋にやってきたのか。しかし答えはリッチーは既にわかっていたようだった。ヴァンパイアは、勇者をどのような手段で退かせるのか、確認したかったようだ。


「なんならば、リッチー様の手を汚さず私目が勇者の首をひと太刀――」

「いやいやいやいや、我々が勝ってどうするの」

「へ?」


 目が点になるヴァンパイア。無理もない。誰だって敵対するものには負けたくないものだ。それをあえて「負けろ」というのだから、驚くのも当然の反応である。

 前回魔王軍の封印が解かれていた時、ヴァンパイアは裏方の仕事を務めていた。そのため知らなかったようだ。これは魔王軍が勝つのではなく、勇者が勝つシナリオを描かねばならないのだ、ということを。勇者が有利に冒険を進めるよう、これからやってくる時に『黄泉がえり』というスキルを付与するつもりだとリッチーは言った。


「『黄泉がえり』というスキルは勇者がやられた際、定められた地点からやり直しできるからね。ちなみにその『定められた地点』とは、自宅か宿屋で最後に就寝したところになる」

「な、なるほど……勇者を倒してしまうと永遠とその時の出来事がループしてしまうということですね。それでは、勇者がやってきたらどういたしましょうか」


 リッチーが話した段取りはこうだ。まず勇者が魔王城と繋がる橋を渡ろうとする瞬間に今リッチーが作成した原稿を読み上げる。そして読み終わったと同時に橋を爆発させて渡れないようにする。もちろんその時点ではまだ勇者にダメージを与えないように。ヴァンパイアは音響担当とのことだ。

 ちょうど説明をし終わったタイミングで、一体のチビスケが慌てふためいた様子で報告しに来た。


「リッチー様! ヴァンパイア様! 今、勇者が近くまでやってきているとの情報が!」

「よし、じゃあ音響機材が揃っているPA室に行こうか。そこからちょうど勇者がやってくるのも見えるはずだよ」

「かしこまりました」


 ヴァンパイアとリッチーは駆け足でPA室に入る。リッチーはヴァンパイアに、機器の確認をするよう指示をした。スピーカーが城内放送ではなく城外放送になっているか。勇者本人の心に直接話しかけられているようなエフェクトがかかっているか。BGMとしてドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』の第4楽章を流すように。しかしリッチーが話始めたらBGMの音量は下げるように。その指示の細かさが想像以上だったのか、ヴァンパイアは当惑の色を見せた。


「お、勇者が見えてきたぞ。本番だ。マイクのスイッチとBGMをオンにしてくれ」


 リッチーに促されマイクとBGMをオンにしたのと同時に、勇者が魔王城に繋がる橋の前で立ち止まっているのが見えた。年齢は16から17と言ったところだろうか。セミロングのブロンドヘアーを靡かせ、青い瞳に憎しみを込めて城を見つめている。リッチーは原稿を取り出し、先ほどの会話とは全く異なった声色、口調でマイクに向かって話し始めた。


『フハハハハ! よく来たな勇者よ。この世界は再び我々魔王軍が牛耳った。よってもう間もなく、全世界が闇に染まるであろう。≪7色の徽章≫が砕かれた今、我々魔王軍の封印は解かれたのだ。防ぎたければこの世界にちりばめられた徽章のかけらを集めてくるが良い。7色のかけらすべてが揃った時、貴様は闇を葬る力を手に入れよう』


「よし、マイクを一旦OFFに」


 マイクにその指示が入らぬよう、ひそひそ声でリッチーは言った。


「お見事ですリッチー様!」

「なかなか良い原稿だったろう? あとはこのスイッチを……ポチッとな」


 宣戦布告が思った通りにできたからか、リッチーは上機嫌で手に持っていた起爆スイッチを押した。それと同時に大きな爆発音が起こり、勇者の目の前にあった橋が崩れ落ちた。勇者は驚いて後ずさりし、また魔王城を見上げる。リッチーはその間に、両手の人差し指を勇者に向けた。紫色のモヤが現われ、勇者の周りを囲む。やがてそのモヤは勇者に取り込まれるように消えていったが、勇者にはそれが見えていなかったのか、ずっと魔王城を見上げていた。


「よし、これでスキル付与も完了だ。じゃあヴァンプ君、もう一度マイクをONにして」

「あ、ハイ」


『これでもうここから城には入れまい。城に入り我を倒したければ6つの徽章を集め、反対側の橋から渡ってくることだな。最後のひとつはこの城の中だ……まぁ、ここまでたどり着ければ、の話だがな! フハハハハ!』


「もう一度マイクOFF!」


 脅しもさすがだがさりげなく説明を入れてサポートするところもまた心憎い、と称賛するヴァンパイア。リッチーは満足げに頷いていた。

 目の前で橋を破壊された勇者は、もと来た道を引き返していった。これで勇者が魔王城に入るためには、遠回りせざるを得ない状況となった。


「ところで今さらですが、勇者はなぜこんなにも早く魔王城にたどり着けたのですか?」

「勇者が生まれ育った”はじまりの街”ワーナーが、この魔王城の隣だからだよ。勇者は”はじまりの街”出身と相場が決まっているからね」

「相場って、アナタ……」


 この世界は環状型である。時計を例としてこの魔王城が12時の位置だとすると、勇者がやってきた”はじまりの街”ワーナーは1時の位置にあたる。橋自体は1時と11時を結んでいるが、1時を結ぶ方だけをリッチーは破壊した。そうすれば勇者は、1時から始まり3時、6時、9時と経由しなければ魔王城までやってこられない。円の中心は穴。崖が奈落の底に続いている。もちろん飛び越えてショートカットできるような大きさではない。この世界での移動手段は陸路のみだ。飛行手段としてワイバーンに乗るというのもあるが、ワイバーンを操ることが出来るのは魔物だけだ。

 ここでひとつ、ヴァンパイアに疑問が生まれた。徽章のかけらが揃わないと魔王軍を封印できないのであれば、わざわざ橋を爆破させなくても各地を回るのでは、ということだ。


「そうだね。ただ野良の魔物のレベルがちょうど順を追うように強くなっていくんだ。ワーナー付近が弱くて、魔王城近くになるにつれ強くなるっていう」

「……あれ、でもさっきリッチー様は勇者に『徽章のかけらが揃った時、闇を葬る力を手に入る』みたいなことおっしゃっていませんでしたっけ」


 ヴァンパイアの言う通り、たしかにリッチーは「闇を葬る力を手に入れる」と言った。しかし魔王軍を倒すのに徽章は関係ないのだという。勇者が狙うのは魔王の『討伐』ではなく徽章の力による『封印』である。自身の強さは、徽章を集めるうえでの副産物ということらしい。つまるところ、「徽章を集めていくうちに気づいたらレベルアップしていました」ということのようだ。


「あ、厳密に言えばかけらが揃った時、闇を葬る力を『既に手に入れている』が正しいか」

「随分とリアリティのある冒険ですね……」


 リッチーは決して、星が描かれた球を集めれば龍が出てきて願いを叶えてくれたり、黄金の古代アイテムを集めれば王様の記憶が蘇ったりだなんてことは起こらないと言った。ヴァンパイアはいかにも「ファンタジーじゃないのかよ!」と言いたげな表情だ。眉間にしわを寄せ、しかめっ面でリッチーの顔を見上げている。


「では封印が解かれたというのは?」

「そこがちょっと僕も気がかりなのよね」


 誰が徽章を破壊したのか。魔王軍は封印されていたためもちろん破壊などできない。人間も普通の感覚ならば、敵対する者を解き放つようなことはしない。したがって、考えられる原因は2点。何らかしらの事故によって徽章が砕けてしまったか、またはあえて砕いた黒幕がいる可能性だ。また、破壊された徽章のかけらが目覚めたリッチーの目の前にあったことも謎を深める要因となった。いずれにせよ悪いイメージがついている魔王軍の封印が解かれて自由になったということは、誰かしらがまた封印しに来る運命なのだとリッチーは言う。

 ふたりは今後の段取りを確認した。とはいえ、内容はほとんどヴァンパイアが主体で事を進めていくように、とのことだった。その言葉を受けヴァンパイアはこれから中ボスクラスの魔物に徽章のかけらを持たせ、各地のレベルに合わせて配置していくつもりだとリッチーに説明した。


「……もちろん緊急時に備えて一部の者は城内待機で。あとはスパイ要員も送っておきましょう」

「ん~~~デキる男は違うね~~~」



★☆★☆


 突然、ヴァンパイアとリッチーは全身に何かが駆け巡ったような感覚に襲われた。


「あれ、この感覚は……」

「さっき僕が付与したスキル、『黄泉がえり』における巻き戻り地点が設定されたんだろう。このタイミングだと、どこかの街の宿屋ではなく自宅での就寝かな」


 いわゆる「セーブ&ロード」のような効果の「セーブ」の部分に、ヴァンパイアは若干の不便さを感じていたようだ。自宅ならまだしも、宿屋に泊まらなければ巻き戻り地点が設定されないのであれば宿泊用のゴールドが必要となる。さらにはその回数に比例して費用がかさむことも懸念され、いくら敵だとはいえそれはシビアすぎるのではないか、というのがヴァンパイアの考えだった。しかしリッチーはそれを一蹴した。魔王軍の戦闘部隊にゴールドを多めに持たせることで調整ができるであろうし、そもそも勇者自身がそのようなスキルを付与されていること自体知らないからだ。ヴァンパイアは少し考えた後、納得した。勇者の今後の冒険に影響してきそうだ。


「あ、リッチー様、このままもう少しPA室を使ってもよろしいでしょうか」

「どーぞー」


 ヴァンパイアはマイクに向かって話し始めた。


『あー業務連絡、業務連絡。戦闘部隊は至急、大広間まで集合せよ。繰り返す。戦闘部隊は至急、大広間まで集合せよ』

「あっ、ヴァンプ君それ」


 部屋を立ち去ろうとしていたリッチーが振り返って言った。


「それ、城外放送のままだよ」

「あっ」

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