30.和泉式部の動向に興味津々な香

 そう、この夏から秋は、梛にとって近しい人々の死が相次いだ。


「御匣殿が……」


 知らせを受けた梛は驚いた。

 中関白家の四の君、御匣殿は最近では帝の寵愛を受けていた。

 また姉の残した内親王達の母代にもなっていた。何処か亡くなった姉と似た容貌や、母代として甲斐甲斐しく姪達の世話をする優しさを持つ彼女に、いつしか帝も惹かれていったのだろう。

 その結果として彼女は懐妊した。

 正式な地位にあってのことではないし、と中関白家では苦しそうな彼女をそっと宿下がりさせていた。

 ところが六月初め、急に様態が悪くなり、内裏に残した内親王のことを気に掛けながら亡くなったという。



 そして八月。今度は中君である東宮の淑景舎女御が亡くなった。

 この死に関しては、様々な憶測が飛び交った。何しろ彼女は口や鼻からいきなり血を吹き出して、あっという間に息絶えたとのことである。

 御匣殿の死には単純に悲しい可哀想と思えた梛も、こちらにはぞっとした。

 無論その事情は公式に発表された訳ではない。前々から梛の「お友達」である経房や行成からの情報である。


「格別なご病気をお持ちでなかったとすれば……」


 彼等は言葉を濁した。

 毒を盛られたのではないか。そんな懸念は梛にもあった。だがそれをそう簡単に口にする訳にもいかない。


「姫君では、お家にお残りなのは三の君さまだけですね」


 松野は大きくため息をつく。梛はうなづく。

 中関白家の三の君は、元々帥宮の北の方だった。

 帥宮はすぐ上の兄である弾正宮と共に、やや軽薄であるという評判がある。その彼をしても、どうにも手に負えない、と離婚された女性である。

 人々が漢詩を作って披露する時には批評をするなど、母の高階貴子譲りの才はあった様である。

 だがそんな美点を行動の異常さは大きく上回っていた。

 来客時に御簾を高々と上げ、しかも胸乳も露わにしていた。宮が大学寮の学生達を招いて詩作の会を開いた折り、彼女は屏風の上から砂金をばらまいて取らせた。

 そんな話が数々、人々の口から口へと広がっていた。

 宮も女房も皆、気恥ずかしくてどうしようもなかったという。さすがにそんなことが続いては離婚されても仕方がなかっただろう。

 現在は東宮女御の妹に当たるひとを正妻にしているという。  

 ところが。



「聞きましたか梛さま!」


 翌年の夏のある日、香から文があった。



「和泉式部というひとは無論梛さまもご存じだと思います。

 この方のところに、何でも最近帥宮さまが通われているそうです!」 



 さすがにそれには梛も驚いた。香にしては耳が早い、とも思ったが。

 仲の良かった兄の死を悲しむ和泉式部をなぐさめるつもりだったとか、そもそも目をつけていて、この時期に乗じて、とか様々な憶測が飛んでいる。

 香はどうやらこの二人の恋愛をひどく面白がっている様だった。女童や下仕えをも使って、できるだけ情報を得ようとしていた。

 それからというもの、新たな動きがあったと聞くと、即座に梛に短い文を送ってくる。


「何か凄く楽しがっている……」


 文を見ては梛はため息をつく。悪趣味、と言えば簡単なのだが。


「お止めになりませんのですか?」

「私が何か言ったところで、あのひとはしたいと思ったことはするわ」

「それだけですか?」


 松野は呆れ半分、からかい半分の顔で梛を見る。


「それだけって何よ」

「結構梛さまも楽しんでいらっしゃるでしょう?」


 図星を指されると、反論はし難い。



「あのひとの元へは、度々お文が届けられている様です。

 さすがにいくら何でも宮様となると、そうそうお忍び歩きもできない様ですね。具平親王さまはそういうことをする様な軽はずみな方ではなかったので、実際にお目に掛かったことがないのです。

 梛さまは思いませんか? 物語には、実際にあった出来事の方が本当らしさが出るって。だから私、この方々の動きがとても気になって気になって。

 この先帥宮さまは果たしてあのひとをどうなさるおつもりなのでしょう。お側に置くおつもりなのでしょうか。 

 もしお側に置かれるのでしたら、その時奥方さまはどうなさるのでしょう。

 平気な顔をしていらっしゃるのでしょうか。少なくとも、『うつほ』のそれぞれの奥方達の様なことはできないでしょうね。

 『かげろうの日記』の方の様な気持ちの方が現実的でしょう。私はそういう本当の姿をできるだけ見たいんです」



 更に貪欲になったものだ、と梛はほとほと感心する。悪趣味もここまで行くとある意味見事だ。

 そして冬に差し掛かった頃、実に嬉しそうな文が舞い込んだ。



「ついに式部の君を宮様はお迎えするおつもりの様です。お通い始めて半年、ようやくこのお二人の仲はしっかりとしたものになったということですね。

 けどその直前に、何でも宮様は別の女の元に送る歌を和泉式部さんに書かせたってことですよ。

 何てことでしょうね。帥宮様は軽々しいというお噂ですが、式部の君の心を玩んでいるんでしょうか。

 私だったら嫌です。亡くなった夫にだってそんなこと絶対させませんでした。私の書いたものは私のものですもの。私の許し無しで何かさせたりするものですか。

 その帥宮様も、さすがに式部の君の本当の気持ちを汲んだのでしょうね…… 梛さま、私思うのですが、和泉式部さんは巷で噂されている様な方じゃない様な気がします。

 私の女童は、幸運なことに目にすることができたそうで。たいそう綺麗な方と申しておりました。

 ただそれだけじゃ足りなかったので問いただしたところ『夢見るようなまなざしの方でした』とのこと。素敵じゃないですか。

 ただ割と簡単に、来た文にはさっと歌を返してしまう様ですね。きっとそれだけ簡単に歌が詠めるからでしょうが…… 

 とても羨ましいです」



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