20.男君の政敵を考えてみよう

 その上でね、と中宮さまは続けられた。


「この姫君は、どういう扱いになるのかしら?」


 扱い? と皆顔を見合わせた。


「だってそうでしょう? 引き取られたといっても、この姫は結局盗まれた様なものよね」

「そう言えば」


 一人がぽん、と手を打つ。


「盗まれて、その後ちゃんとその父君に話をするのか、まだこの話では書いてありません」

「そうよ、それ次第で、この姫の境遇はずいぶん変わってくるわ」


 そう確かに。『幸せになった』という話だったので、そこまで気を回せなかった。いや、香自身、そこまで考えているのだろうか。


「少納言いい? ちゃんと書き留めている?」

「は、はい」


 梛は手にした細い筆と紙をあらためて持ち直した。さらさら、と慌てて今までの中宮や周囲の皆の発言を思い出し、書き付ける。


「妻が居て、この先亡くなってしまうんですよね」

「呪い殺される……!」

「でも、つまり、それは今はどうでもいいことなんですよね、中宮さま」


 ええ、と発言した女房に中宮は自分の意は伝わった、とばかりに微笑む。再び意見は活発になる。


「時の大臣の姫君との間に、子供はできるけど妻は居ない。妻を新たに持つことはできるけど、大臣の家とのつながりは持ったまま……」

「ある意味男君にとっては都合のいい話ですね、これからまた新しい妻を持とうと、持たずに通う所だけでも構わない……」

「でもこの時、呪い殺したのはやっぱり男君と関係している女性なのでしょう? この方が正妻になるということはないのでしょうか?」

「私が男君だったら嫌ですわ」


 一人がそう手を振る。


「そうそう、皆、男君の気持ちになって考えてみましょうよ。女君の顔のことばかりでなくてね」


 ほほほ、とそこで皆は笑い崩れる。

 やがて、小柄な一人がおずおずと口を開いた。


「男君には、あの、この方を邪魔に思う人は居ないのでしょうか」

「政敵」


 誰かの口からその言葉が漏れる。口にするとそれは重い。


「ただの恋物語というならばどっちでもいいとは思うのですが……」


 梛は口を挟む。


「この作者はどう? 『国譲り』は好き?」

「好きではなさげですが……」

「私は」


 中宮さまは首を軽く傾げられる。


「恋物語であっても、主人公が一度苦難に遭うというのは面白いと思うの。最後には幸せになるとしても、一度苦難があった後の方が余計に素晴らしいのではなくって?」

「では中宮さまは、この男君には政敵があると」


 それには中宮は黙って答えなかった。


「『うつほ』では皇后の宮が最たる政敵ですわね、あて宮にとっては……」

「そう言えば、仲忠にとってはそうではないですわ」

「仲忠は直接には政権争いには関わっていないと言ってもいいですわね」

「もし先ほどおっしゃられた様に、この男君が源氏だとしたなら、やはり…… 藤原氏」


 最後はさすがに小声になる。中宮は黙ってうなづいた。そして質問を。


「その理由は?」


 ええと、と皆顔を見合わせる。


「『うつほ』では東宮争いでした」


 あ、と一人が声をあげる。


「東宮にとって、その男君が邪魔者だった」

「東宮ご自身でなくてもいいですわ。後ろ盾になられている方々…… それが藤原氏で…… 大臣家ですわね、きっと」

「そうすると、少なくとも、それは男君の婿入りした所ではないということですわね」


 そうよそうよ、と皆次第に話に熱が入ってくる。


「同じくらいに強い大臣家の一つが東宮を後ろ盾している……」

「いえ、その場合、その大臣家から東宮の母君が出てらっしゃるのかも」

「少納言さん、その作者の方は、『うつほ』の皇后の宮の様な方を書きそうですか?」

「いえそれは無いと思います」


 皆が梛の方を向く。


「それはなぁぜ?」


 中宮も問いかけてくる。


「この作者は、この皇后の宮がことに嫌いでございますから。下品だと、そういう類全般が嫌いでございます」


 まぁ、と中宮さまは扇を頬にお当てになる。


「では『落窪』の少将の雨の夜の通いなども嫌なのでしょうねえ」

「『落窪』についてはさほどに書いてきたことは無いのですが、雨の夜や、典薬介のあの下りなど、口にも出したくないのではなさげでした」

「まああのあたりは、ねえ……」


 皆も苦笑する。「落窪」で継母の策略に使われた老人は、姫君を手に入れようとするのだが、その途中に腹を下してしまう。

 その描写が実に露骨なのである。面白おかしく話すにしても、どうもためらわれる程に。


「『うつほ』にしても、彼女は『俊陰』から一気に『楼の上』につなげてしまえばいい、と言っているくらいです。綺麗な言葉が好きなのです」

「仲忠と涼を比べたりはしないの?」


 隣の女房がひょい、と梛の顔をのぞき込んだ。


「そもそも男君ばかりずいぶんと並べられて、女性の印象が薄いことをひどく嘆いていました。だから自分は、女君をもっと書きたいと」

「あら、それは面白いわね」

「でも、素敵な男君が沢山出ると面白いですよ、私達女にしてみれば」

「そうですよ。綺羅きらしい公達が並んで駒比べとか、想像しただけでも素晴らしいですわ」

「目の保養ですものね」

「少納言、その作者は男嫌いなの?」

 中宮も興味を持って問いかけてくる。

「……どうでしょう。今、文を交わす相手は居る様ですが……」


 梛はそうぼかした。

 だが香がどうやら次第に結婚に傾きだしていることは確かだった。



 そして次の年の春、香は都に戻ってきた。

 ―――藤原宣孝の妻問いに応えるために。

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