八十九 呪老人

 芝居の書割りを生業にしている私のところへその戯作者が訪れるのは、たいてい行き詰まったときに限られていた。

 それが松飾りの取れたころにやってきたから、

「今年は早いな、もう書けなくなったのか」

 と冷やかしたら、

「身体の具合も何となくよくない」

 と、いつにない真面目な顔で応えたけれど、

「飲み過ぎか喰い過ぎか」

「いや」

「だったら悪い夢でも見たか」

 いつもの調子で言ってやったら、

「そうだ」

 と何かに思い当たったように初夢の話をした。

「冷たく暗い海の中を泳ごうとしても手足が動かない。そこへ琵琶を奏でる弁天様の歌声が聞こえてそっちを見ると、七福神の乗る宝船が見えた。これは吉兆と思って手を伸ばすと、寿老人がわしを引き上げてくれた。でも、そのとたんに船が沈み始めて、弁天様は琵琶を抱いて天に飛び去り、雲を呼んで毘沙門天はそれに乗って飛んでいく。恵比寿は釣り竿の鯛に導かれて海に入って鼠に導かれた大黒天は俵に乗って海の上を滑っていく。腹を膨らませた布袋は海に浮かんでその上に福禄寿を乗せていってしまった。わしは残った寿老人にしがみついて助けてくれと懇願した。けれども寿老人は手にした杖でわしの胸を突いて、その痛みで目が覚めた」

 どんな寿老人だったか詳しく聞いて私が絵を描いて見せたら、手を打って戯作者はそうだこれだと言った。

「寿老人と言っても、こいつは呪う老人だ。あんた、誰かに呪いをかけられているかもしれないぞ。何か心当たりはあるか」

 私の言葉に不安な表情を隠さず戯作者は首を振ったが、

「大方,わしの戯作に嫉妬する輩の仕業だろう」

 と、その不安を打ち破るように不愉快な思いを投げつけた。

 私はすぐに七福神の乗る宝船を描いて香を焚き込め、

「ほんとうのところはわからないが、しばらくこれを身につけていれば、少しは厄除になるだろう」

 そう言ってその絵を戯作者に手渡した。

 それで戯作者は元気を取り戻したのか、間もなく『偽宝船呪老人』を書いてこれが当たった。

 しかし、そんなことで呪いが解けるはずはなく、私の渡した絵をなくしたと言って訪れたそのときに、戯作者は心の臓を押さえて死んだ。

 弔いの際、紛失したはずの私の絵を持っていた戯作者の女房が、私に笑みを見せながらそれを棺桶に投げ入れた。


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