八十 のけもの神

 わたくしが長く仕えておりました商家のお嬢様に、のけもの神が憑いていることに迂闊にも気づきませんでした。

 家でわがままを言うのは以前からのことで、外では慎ましく振る舞っているのもこれまで通りでしたから、顔つきが少し変わったかと思いながら、子供から娘に変わりつつあるからだろう、などと勝手な思い込みをしておりました。

 あるとき、お花の稽古に出かけるときにちらとその後ろ姿を見送りましたら、少し離れたところを、お嬢様の半分ほどの背丈の女がぴょんぴょん跳ねているのに気がつきました。

 いつもお嬢様のお稽古のお供をする店の小僧に

「近ごろお嬢様はおきれいになったね」

 と、手の空いたところを見計らって饅頭をやりながら水を向けましたら、

「お花の稽古をしていくらきれいになっても、あれでは徒花だよ」

 と、大人のような口をききましたので、

「徒花とはどういうことだい。教えておくれよ」

 もう一つ饅頭をやって詳しく聞きましたら、他の娘らの先頭に立って反物屋の娘をのけものにして悪口を言いふらしていると言いました。

 どういう経緯でのけもの神がお経様に憑いたのかわかりませんが、放っておいたらその身がのけものにされてしまいます。のけものにされるのが恐くて先に誰かをのけものにしているわけですから、気がついたらのけものにされたくない族ばかりが周りに集まって、いつのまにか世の中からのけものにされている、ということになってしまいます。そんなことに気づかないまま死を迎えてしまった者がまたのけもの神になって己と同じのけものを増やしたくて生きている誰かに取り憑くという話は、私も耳にしたことがあります。

 だからといって、私から何かできるわけではありませんから、そのままにしておりましたら、お嬢様はお稽古の帰りに目つきのよくない者ともつき合うようになって、そのうち、稽古を口実に遊び回るようになりました。二親の小言も耳に入りません。

 そのころには、のけもの神の背丈も伸びて、お嬢様の回りを跳ね飛んでいました。

 母親が、

「何か手立てはないものかね……」

 と、わたくしにこぼしましたから、ひと芝居打つことにしました。

 お嬢様のお稽古のお供をする小僧を、毎日皆でのけものにします。はじめのうちは、他の小僧仲間がこっそり助けていましたが、その者ものけものにしましたら、皆が小僧をのけものにするようになりました。

 これに反発したのが稽古の供にしていたお嬢様で、この小僧を何かとかばいます。これには母親への反発ということもあったようでしたけれど、数日、そんなことを繰り返しておりましたら、娘の気持ちも変わってきたようで、のけもの神は元気をなくして小さくなってついには見えなくなりました。

 そうなって、小僧に饅頭を渡して労をねぎらってやりましたら、

「お嬢様、きれいに花を活けるようになったよ」

 やっぱり大人のように言って、無邪気に饅頭をほおばりました。

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