五十 弔い
近所の海苔屋のばばあが死んだときの話だ。
たいして広くもないばばあの家に、近くの寺から読経にやってきたのが、評判の生臭坊主で、これが昼間から一杯やっていたんだろう。赤い顔で酒臭い息を吐きながら、それでもむにゃむにゃそれらしい経を唱え終わって集まったわしらに説教を垂れている最中に、棺桶からばばあが立ち上がりやがった。
傑作だったのは、後ろにばばあが立っていることに気づかねえまま説教を垂れていた生臭坊主が、通夜に訪れていた客が指さしてはじめてばばあに気がついたときの顔だ。
海苔屋のばばあは、口と目ん玉と鼻の穴をおんなじくらいにおっぴろげて、腰を抜かした坊主の頭を鷲掴みにした。それでも坊主は坊主と見えて大声でお経を唱えながら、手にした数珠を振り回したあげく、
「悪霊退散、怨敵退散、きえー!」
などと南無阿弥陀仏とは何の関わりもない呪文を死にものぐるいで繰り返したけれど、海苔屋のばばあはそんな坊主の頭を鷲掴みにしたまんま、にっちゃり笑って、その頭に噛みついた。
これにはさすがの生臭坊主も肝を潰して奇声を発すると、白目を剥いて口から泡を吹き出しながら卒倒してしまいやがった。
それでばばあがまた舌を見せて笑ったからたまらない。
固唾を飲んで見ていた通夜客が、わっといっせいにばばあの家から逃げ出したのを確かめてから、おれはばばあの前に立ちはだかって、
「取り憑いたのは、狐か狸か悪霊か」
一喝してその頬に拳骨を一つ喰らわしてやったら、たちまち犬のような獣の鳴き声が響いて、海苔屋のばばあの襟首の辺りから、煙のようなものが抜けていった。
それでもばばあは生臭坊主の頭を掴んで離さず仁王のように立っているから、まだ何かあるのかと思って、おれが生臭坊主の頬を叩いたら、野郎、はっと夢から覚めたように目を開けた。
「海苔屋のばばあから預かって、返してねえもんがあるんじゃねえのか」
と言ったら、
「知らない知らない」
生臭坊主はばばあに頭を掴まれたまま小刻みに首を振って震えるばかり。
一計を案じておれは坊主の頭を掴んだばばあの手をゆっくりはずし、坊主にばばあを背負わせた。驚いて坊主はこれを振り落とそうとするけれど、別におれが手を出さなくても、ばばあは坊主の背中から離れない。結句、坊主はばばあを背負ったまんま夜道を寺に帰るしかない。
おれもついていって本堂やら庫裡やら一緒に回ってみたけれど、ばばあが何に執着しているのかわからない。最後は一つひとつ墓を暴くしかないと腹を括っところで、坊主は何か思い当たることがあったらしく、自室に入って箪笥の一番下の引き出しの奥から一枚の絵を引っ張りだした。それは、裸になって背中を向ける女の寝姿で、ちらりとこちらに向けた横顔が、どうやら若いころの海苔屋のばばあに似ている。
「さてはこれか」
問うたら海苔屋のばばあが坊主の背中から力なく落ちたので、おれは坊主にきつく口止めをしてその絵を燃やさせた上で、懇ろに供養させた。
それから怪しいことは起こらなくなったが、坊主に弔いを頼む者はいなくなった。
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