百鬼夜話
二河白道
前書き
これは、鬼の百物語です。
鬼が一堂に会して語った物語を記しています。
記録したのは、僕の曾祖父です。
曾祖父は無名の物書きで、膨大な原稿を残していました。
曾祖父が最後に暮らした六畳間の押し入れから、はみ出すほど乱雑に積み上げられた原稿のいちばん奥に押し込まれたように、これはありました。
人並みはずれて頭のよかった曾祖父は、それがために周囲の人間が莫迦に見えてしかたなかったようでした。だから、自分の著作が世の中に受け入れられないことに我慢がならなかったようで、いつも何かに、誰かにその怒りをぶつけていました。
それが、却って自分の作品が世間に認められない要因になっているだろうことに気づいていないように見えましたのが、僕には不思議でした。
けれども、どういうわけか僕にだけはやさしく、それで曾祖父の遺品が僕に譲られることになりました。
屑同然に扱われていたこの原稿の他に、七歳の誕生日から百八歳で亡くなる前日まで、曾祖父が毎日書き記しておりました日記も、遺品の中にありました。
それを詳細に読み込んでまいりますと、この鬼の百物語が催された会場に、曾祖父が実際に招待されていたことがわかります。
招待したのは、曾祖父が参加していた句会の同人だったようです。
著名な俳人の主宰するその句会で曾祖父が捻り出す句は、もちろん秀逸で、それは万人が認めるところだったようです。けれども、句会を主宰する俳人は、曾祖父にだけ厳しい評価を下していたようです。
日記の中で曾祖父は、
「どこか鼻持ちならない臭いがする、と評するのは、つまりは門弟の才に対する嫉妬でしかない」
と切り捨てておりました。
そんな曾祖父でしたから、他の門人からも敬遠されていたようです。
ただ、そういう曾祖父に関心を寄せた人があって、その方が、曾祖父を百物語の会に招いた鬼だったことが、日記からうかがえます。
でも、日記の記述から考えますと、それは人に知られてはいけない会だったようにも思います。
もし、そうだとしたら、曾祖父がその場でそれぞれの話を書き取ることは許されなかったのではないかとも思います。
もちろん、曾祖父だからこそ、一夜を通して語られた百物語を後になってすべて書き残すことができたわけですが、許されなかったにも関わらずこれを書き記したのは、曾祖父の物書きとしての執念があったからではないか、と僕は思っています。
その執念が、遺稿を世に出すようにさらに僕を動かしているのではないか、と感じてもいます。けれども、これを世に出したら、僕は無事でいられなくなるかもしれません。いえ、僕だけでなく、この物語を読んだ人も……
そうした事情も御承知くださった上で、どうぞ御披見ください。
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