第39話 俺と竜娘と心の整理

 ……身体が、重い。

 自分は今、深い眠りから目覚めようとしている。

 ゆっくりと浮上していく意識とは裏腹に、もっとこのまま微睡まどろみに身を任せていたいと……そんな気持ちが、自然と湧き上がってくる。


 ……でも、何か。

 俺は、何か大事なことをしていた途中だったような。

 そんな気がしてならないのだ。


「んん……」


 起きなくては。

 すぐに、目を開けなくては。

 そうしなければ、何かを取りこぼしてしまいそうな、焦りがあった。

 ピッタリと張り付いたように重い目蓋を、どうにかしてこじ開ける。するとそこには、見覚えのあるような無いような、いまいちよく分からない天井が広がっていた。


「……朝、か?」


 重い身体を無理矢理起こして、周囲を見渡す。

 窓から差し込む光は、少なくとも今が日中であることを示している。

 そして俺が寝かされていたのは、見知らぬ寝室だったらしい……が、窓から見える景色で理解した。

 ここは多分、ルルゥカ村の民家。それも俺の家ではなく、村長さんの家なのだろう。

 しかし、どうして俺は村長さんの家のベッドに寝かされていたんだ?

 おまけに、鉛のように重い身体と、クラクラする頭。まるで、一度に大量の魔力を消費した反動のような感覚が──


「……っ、そうだ! 俺は確か、雨の中で青いドラゴン達を止めようとして……それで……!」


 土砂降りの雨と、青い鱗を持つドラゴンの群れ。

 それが、俺の見た最後の光景だったはずだ。なのに……そこから先の記憶が、どうにも曖昧で思い出せない。

 確か……そう。俺の契約する四大属性の精霊達と意識を繋ぎ合わせて、古代の転移魔法を発動させた。

 それによって、村を押し流さんとする膨大な量の水を海へと転移させて、ドラゴン達の企みを阻止してやった……はず、だ。


「その後は……何が、どうなって……?」


 村長さんの家が無事なら、他の村人達も無事で済んだのだろう。

 そうでなければ、こんな風に家が残っているはずがない。俺がドラゴン達の大規模な水魔法を阻止したからこそ、この村は今も存続しているのだろうから。

 するとその時、部屋のドアがそっと開かれた。

 部屋を訪れたのは、


「セーラ……! 良かった、無事だったんだな!」

「レオ、ン……レオンが、目を覚ましてる……⁉︎」


 ベッドの淵に腰掛けている俺を見て、大きく目を見開いた赤髪の少女──真の姿は、紅蓮の鱗を持つ高位存在のドラゴン族の生き残り。

 俺が守ろうとした少女、セーラだった。




 *




 俺が意識を取り戻したのだと知ったセーラは、いきなり泣き出しながら俺に飛び付いて来た。

 何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝罪の言葉を繰り返す彼女に、俺の方こそ申し訳無さを感じてしまう。

 あれだけ格好付けて大魔法を古代魔法で制したくせに、どうやら俺は、情け無くもその場でぶっ倒れてしまったらしい。

 お前は何度女の子の前でぶっ倒れれば気が済むのかと言われてしまいそうだが、激痛と吐血の果ての気絶だったり、急な魔力消費に身体が追い付かなかったりの気絶では仕方が無いのだ。気合いと根性で堪えようにも、物事には限度というのもがある。

 とにかく俺は、四大精霊を通じて放った転移魔法の反動で倒れ、その後駆け付けたセーラによって助けられたんだそうだ。

 ひとまず俺の無事を確認したセーラは、目を真っ赤に腫らしながら答えてくれた。


「レオン。君はもう、かれこれ丸三日も眠り続けていたのだ」

「三日も……? だがまあ、それならこれだけ身体が重いのも納得いくな……」

「ああ、ジュリやジーナ達と交代で世話をしていたよ。何せ君は……いや、まあそれは良いのだ。というか、君は本来そういった砕けた言葉遣いをするのだな」

「あっ……」


 セーラに指摘されて、目が覚めてからずっと敬語で話していなかったのを自覚した。

 いやまあ、それを言うならセーラだって随分態度が安定しない子だとは思うんだがな?


「申し訳ありません。いきなりの無礼、どうかお許しを」

「いや、私は先程までの話し方の君の方が、自然体で接してもらえている気がして嬉しいぞ⁉︎ だからその……私にも、ジーナと接するような言葉遣いで話してもらって構わない!」

「そ、そうですか……? あ、いや。じゃあその、せっかくなのでそうさせてもらいま……もらうよ」

「あ、ああ……! 宜しく頼む!」


 俺が普段の口調になると、セーラは分かりやすいぐらいに嬉しそうに頷いてくれた。

 もしかして、ジーナちゃんと自分への態度の違いが気になっていたのだろうか? それなら彼女には、疎外感を与えてしまったはずだ。

 何せ彼女は……『セーラ』として村で出会う以前から、俺に好意的な相手だったらしいからな。


「そ、それで、だな……。ええと、例の青き竜……蒼海族は、私を出せと要求していたのだな……?」

「ああ。紅蓮の姫を出せと、そう言っていた」


 そこで一旦話を戻して、もう三日前になるという青いドラゴン達の襲撃を思い出していく。


「……なあ、セーラ。もしかすると君は……」


 南からやって来た、青いドラゴン達。

 そちらの方角といえば、セーラの故郷があったという場所の一致する。

 そこまで言われて、セーラは何とも言えない表情でこう言った。


「……君の予想は、当たりだよ。私は蒼海族といがみ合う、紅蓮族の姫──竜人族の女だ」

「そして……西の森で出会った、あの赤いドラゴンも君だったんだよな……?」


 セーラは俯きがちに、こくりと頷く。

 彼女はベッドの上で上半身を起こす俺の手元に視線を落としながら、小さく言葉を返した。


「……私の故郷は、あの青きドラゴン達に蹂躙された。一族の同胞達は、私という紅蓮族の未来を残す為に犠牲となってしまった。その先で私は力尽き、墜落するようにして何とかあの森へ身を隠すことが出来たのだ」


 そこから先は、俺の知る出来事と一致する。

 俺は西の森で出会った赤いドラゴン……傷付いたセーラに薬草とポーションを使い、傷を癒した。

 その間に、俺から一方的に聞かせた他愛もない世間話をしたり、二人でただ黙って、森の音に耳を傾けて過ごしたり……。

 そうして俺達は、いつしか心地良い距離感を築く関係となって、別れの日が訪れた。


「レオン。私は君のお陰で、あれだけ酷かった傷も全て癒すことが出来た。割れた鱗すらも再生する程の、とんでもない治療薬に救われたのだ。……今の私があるのは、君のお陰に他ならない。改めて礼を言わせてもらいたい」

「いや、良いんだよセーラ。俺は俺のやりたいようにやっただけだからさ」

「でも……それでも、君は私の恩人だ!」


 そう宣言したセーラは、必死な表情で俺の顔を見た。


「前に言っただろう? 私にはもう、行くあてが無い。傷を癒し、君と離れたあの後……結局私は、ここに戻って来てしまった。人間の……君という名の、優しい人間の住む村へと……!」

「セーラ……」


 すると彼女は、俺の右手を取ってこう言った。


「君は命の恩人で、故郷の全てを失った私にとって、唯一心を許せる相手だった。故に私は……君を紅蓮族の血を残すに値する、ただ一人のつがいだと決めたのだ……!」


 一族で唯一の生き残り。

 同族達の必死の抵抗の末、彼女だけが何とか生かされた理由。

 それこそが、彼女から俺への逆プロポーズの理由……信頼出来る相手と、紅蓮族の竜人の子孫を残す為だったのだ。

 ……けれども俺は、その気持ちに応えることは出来ない。

 きっとセーラは、俺を愛してくれるだろう。

 しっかり者のように見えてちょっと抜けていて、頼れる真面目な女の子。

 でも……それでも。俺の心の中には、ずっとずっとラスティーナが居る。世界で一番大好きだった、初恋の女の子が。


「……ごめん、セーラ」

「あぁっ……!」


 ……彼女の幸せを祈りたい。

 けれども彼女を捨てると選んだ俺に、誰かとの幸福を得る資格なんて無い。

 俺はその意思を貫く為に、セーラの手をそっと振り払った。

 再び目に涙を溜める、赤髪の少女。


「……俺は、君の気持ちには応えられない。多分、死ぬまでずっと。だからどうか……君は、俺以外の誰かと幸せになってくれ」

「…………せめて……せめて理由を、聞かせてはくれないか」


 震える声で、セーラが問う。

 俺はグッと奥歯を噛み締めてから、重い口を開いた。


「……忘れられない、大切な人が居るんだ。絶対に結ばれることのない……」

「そ、それなら……!」

「それでも! ……それでも俺は、彼女以外に恋が出来ない。その気持ちがずっと胸にこびり付いている限り、俺はセーラの恋人にはなれないよ……」


 声が消え入りそうになりながらも、そう言い切った。

 すると彼女は、唇をきゅっと引き締めた。

 しかし、しばらくの沈黙の後。


「……それほどまでに、君に愛されているのだな……その少女は。それだけで……その子はきっと、とんでもない幸せ者だ」


 セーラは一筋の涙を流しながら、あまりにも綺麗な笑顔を浮かべてそう告げたのだった。

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