第31話 あたしが迎える現実と朝日(ラスティーナ視点)
「…………っ!」
がばりと飛び起きたあたしに、ルーシェがすぐさま反応する。
「おはようございます、お嬢様。……顔色が優れないようですが、もう少しお休みになられますか?」
「ルーシェ……」
顔色が悪い、と彼女は言う。
確かに今のあたしは、妙に身体がだるいというか……疲労感が溜まっていた。
体調が悪いのではない。何か、精神的な疲れが蓄積されている気がする。
そういえば昨晩、あたしとルーシェは洞窟で寝泊まりすると決めていた。
その間、ルーシェはほとんど眠らずに見張り番をしてくれている。
洞窟の外には光が見えていて、既に朝を迎えていることを知らせていた。ならば、これ以上休んでいる暇は無いわ。
だって──
「……レオンの……夢を、見ていたわ。とっても幸せな……あの頃の二人のまま、エルファリアの屋敷で過ごす夢を」
「……左様でございますか」
「夢の中のレオンはね、あたしとずっと一緒に居てくれるって……そう、約束してくれたのよ」
「…………はい」
目が覚めたら全てが元通り、なんてことにはならなかったから。
あたしはレオンに見限られて。
レオンはあたしを置いて、従者を辞めて旅立ってしまった。
それが紛れもない現実なのだと、あまりにも幸福な夢からの落差に思い知らされてしまった。
……レオンの居ない朝って、こんなにも寂しいものだったかしら?
息をすることすらも
……そんな風にしてしまったのは、全部あたしのせいだっていうのにね。
「だけど……あたしは夢じゃなくて、本物のレオンとあのお屋敷に戻らなくちゃいけないの。あたしの思っていたこと、彼の為にやっていたことを、全部伝えなくちゃいけないんだから」
あたしの言葉に、ルーシェは無言で頷いた。
その表情は、相変わらず読めない。
けれども青の女騎士は、それでもあたしと共に行く決意を宿した瞳を向けている。
「……あの夢はきっと、あたしへの罰なんだわ。あたしがもっとレオンと話し合っていれば、あの夢の中みたいな日々がずっと続いていたはずなのに……!」
「お嬢様……」
自分の犯した罪と、書き換えようのない過去。
情けない涙と一緒に、悔しさが込み上げた。
あたしはその苛立ちごとどこかに片付けるように、毛布を丸めて荷物袋の中に押し込んだ。
「お嬢様じゃなくて、ティナって呼びなさいって言ったでしょ! クヨクヨするのはもうお終いっ!」
手の甲で目元を拭い、あたしは勢い良く立ち上がる。
「過去はどうにも変えられない。だけど、この先の未来なら何だって選べるわ! だからあたしはレオンを見付けて、ちゃんと話すの。『あたしの旦那様は、あなた以外には考えられない』ってね!」
そう言うと、ルーシェは小さく笑って腰を上げた。
「それでこそ、自分の敬愛するお嬢様……いえ、ティナです」
「そうでしょう、そうでしょう! さあ、あたしたちは一分一秒だって無駄に出来ないわ。ちゃっちゃと出発の準備を整えて、早くレオンの元へ向かわなくっちゃ!」
「はい、ティナ。全ては、貴女様の御心のままに……」
夢のような夢の時間は終わりを告げて、過酷な現実があたしを待ち受ける。
それでもあたし、ラスティーナ・フォン・エルファリアは前を向く。
きっとその視線の先に、世界で一番愛しい彼の背中があるはずだから……!
*
アリストス聖王国の中心部に位置する白亜の城──フィエルタ城のとある一室。
その部屋には、品のある落ち着いたグリーンで統一された調度品の数々が置かれている。
そこには二人の男が居た。
一人は側近の男。
そしてもう一人が、この部屋の主……。
「ユーリス殿下。先日のエルファリア侯爵家のご令嬢、ラスティーナ・フォン・エルファリア様との縁談についてなのですが……」
アリストス王家の第二王位継承者、ユーリス王子だ。
ユーリスは男ながらに並外れた美貌を持つ、金髪碧眼の青年である。
窓際に立っていたユーリスは、側近の声に応じて優雅な動作で振り返った。
「エルファリア侯爵からの返答は、如何でしたか?」
そう尋ねはしているが、王族からの縁談を断るような者は存在しない。
……あくまでも、普通の人間ならの話であるが。
側近は表情を強張らせ、恐るおそるといった様子で口を開いた。
「はっ、それが……返答にはもうしばらく時間が欲しい、とのことでございます」
「ほう……すぐには首を縦に振りませんでしたか」
それはそれで面白い。
半年前の生誕パーティーを思い返し、自然とユーリスの口端が上がる。
ユーリスが二十歳を迎えた、記念パーティーの場。
彼はほんの束の間ではあったものの、祝いの言葉をラスティーナ自身の口から贈られていた。
その際にユーリスが目にしたのは、今にも儚く溶けてしまいそうな雪の精霊を思わせる少女の笑顔。
触れれば折れてしまいそうな細い腰に、艶やかな白銀の神。サファイアを埋め込んだような煌めく瞳が、ユーリスの心をその一瞬で掴んでしまったのだ。
それからというもの、ユーリスは片時もラスティーナのことを忘れたことが無かった。
「僕からの縁談を受けてから、エルファリア邸に何か動きはありましたか?」
「それが……数日前より、ラスティーナ様の姿を見かけないとの報告が上がっております」
その発言に、ユーリスの片眉がピクリと動く。
ユーリスはここしばらくの間、ラスティーナの様子を窺う為に密偵を放っていたのだ。
彼女の反応を早く知りたい。自分との縁談を快く思ってくれているのか、それとも突然のことで困らせてしまっているのか……。
そんな焦燥に駆られた恋する男の、少々やりすぎな愛の形であるが故だった。
けれども、ラスティーナの姿を見かけないとはどういうことだ?
「……彼女の身に、何があったというのです?」
声のトーンが下がったユーリス。
側近は怯えを押し殺しながら、片膝をついた状態でこう告げた。
「どうやらラスティーナ様は、護衛の騎士と共に屋敷を抜け出してしまわれた……との目撃談があるようなのです」
「護衛の騎士と……?」
まさか僕との縁談が嫌になり、騎士の男を駆け落ちを……?
だから侯爵は返事を先延ばしにして、娘を連れ戻すまでの時間稼ぎをしようとしているのか……?
そこまで考えたところで、ユーリスの顔から甘い微笑みが消え失せる。
「……早急に裏を取りなさい。彼女の足取りが掴めるまで、僕の前に姿を見せることは許しません」
「は、ははっ……! 殿下の仰せのままに……‼︎」
氷のように冷たい声色で告げられた命令に、側近は深々と頭を下げてその場を立ち去った。
再び部屋に一人となったユーリスには、麗しの王子の面影などどこにもない。
青空の広がる窓の向こうに視線をやって、男は呟く。
「ラスティーナ……貴女の隣にあるべき男は、この僕をおいて他にない。必ず貴女を、僕のものにしてみせる……!」
それから間も無くして、王都中に王家直属の密偵達が放たれていった。
ラスティーナは本当に屋敷を飛び出したのか?
護衛の騎士の正体とは?
そして、彼女の真意とは──
その全てを知り得るまで。ユーリスの胸に渦巻く嫉妬の炎は、決して止まることを知らないだろう。
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