第4話 夏になる前に episode4

「そういえば、君の名前。教えてよ。いつまでも君じゃヘンだろ」


その時とっさに出たのが「ななみ」その名だった。

本棚にあった漫画に脇役で出てくる女の子の名。


「ななみちゃんかぁ。なんか聞いたことある様な……。まっいいか」

偽名だって言うの疑われるかと思ったけど、それ以上は聞かなかった。


あの人は私を抱きながら「いたければ、いつまでもいてもいいんだよ」て言っていた。でもそれはそんなに長くは続かなかった。

彼は、拾った猫を飼いきれるほどの責任感はなかったのだ。


それが本当に猫だったらどうかは分からないけど、彼が拾ったのは紛れもなく人間で、まだ未成年の女子高生だ。世間一般からすれば、この状態は非常に良くない状態であることはおのずとわかること。


常識のある大人? その常識と言う概念はどこから何を指しているのかは、私自身もいまいち把握と言うか理解できない部分があるけど、まぁこの状態は彼にとってとても不利であるということは、言うまでもないことだ。


「ななみちゃん。ななみちゃん」


彼がその名を呼んでも、自分が呼ばれている感覚はなかった。偽名であるから? それもあるけど、心がどこかに飛んでいるような。自分であって自分でないというそんな感覚が全てを物語っていた。


そんな私に彼は飽き始めた。

気持ちが覚め始めるとその加速はものすごく早く。ほんの数時間で私は彼のところを追い出されてしまった。

あっけないというか、何と言うか。


そしてまた宿無し。公園のベンチで夜を明かすのは、なんか本能的に危険なような気がしている。

人のいるところ眠らない街の眠らないところでうずくまっていた方がまだましであるというのはこの町をさまよって得た知識かもしれない。


それから、何人の男の人の元で夜を明かしたんだろう。

心はとっくに壊れていた。


家にいるよりはまだましかなって思っていたころは、まだましだったんだと今思えばそう思えて来たりもするけど、その時はそんな考えなど持つことすらなった。

心のどこかで誰かに止めてもらいたかったんだろうこんな生活。こんなことを繰り返していても何にもならないって言うことを身をもって感じ始めてきた。


そんな時……。

「ごめんね。ちょっといい?」


身構え、掴まれた腕を振り払おうとしたけど。その手はしっかりと私の腕をつかんで離さなかった。


「逃げないで! あなたを助けに来たの」

私服姿の女性。すっと取り出し私に見せた身分証。

私服女性警察官だった。


「家出中? だよね」

そっと私に耳打ちするように言う。


「あなたの姿ずっと追っていたの。捜索願いが出ているの――――梨積繭なしづみまゆさんね」

自分の名を言われ、素直にコクリとうなずいた。


その時、本当にホッとした。

――――助かった。と、心の中でその気持ちがわき上がっていた。


そのまま補導され、警察署でいろいろ聞かれたけど、何も答えなかった。

答えるにも、まるで言葉を失ったかのように何も考えることが出来ない。頭の中がぽっかりと穴が開いたように空白状態。

他から見る人の目には、私の姿は多分抜け殻。せみの抜け殻のようにしか見えていなかったのかもしれない。病院で検査入院と言う名目で隔離され。

それから私は、児童福祉事務所を通じ、施設に入所することになった。


むろん、あの義理の両親にも連絡は行った。警察で身元引受人としてなぜか二人そろってやってきて、そのあの……。二人の姿を目にしたとき、私は取り乱し、暴れた。

まるで精神異常者のように。嫌精神異常者だった。


あの人たちには引き渡されず、病院に搬送され、隔離された。

そこから少しづつ言葉を取り戻していった。

されど、家に戻ることは、あの人たちと一緒になることだけは拒否し続けた。

本当に嫌だった。


施設に行ってからもいつ、家に戻らされるのかとその恐怖ばかりが募っていた。

「大丈夫だよ。帰りたくないんだよね。だったらここにいればいい」施設の職員さんがそう言ってくれたことが救いになった。


児童福祉事務所の人が何度か面談にきて、話をしたけど、聞かれたことに対してすべて話はしなかった。答えなかった。

そして、私の元に毎日のように足を運んでくれた人。

そう、学校の担任。鷺宮友香さぎのみやともか先生。


先生にだけは、心が開けるようなそんな気がしていた。

先生にだけは、なんか甘えてもいいんだと思え始めた。


もう夏なんかとっくに終わっていた。ううん、秋が過ぎて冬になって。もうじき春がやってこようとしていたころ。

ようやく、前が見れるような気がしてきた。


前を見始めた。


でも、留年は確定していた。――――当たり前か。

そして私はもう時期十八歳になろうとしていた。


春が来て、また夏になる前に。


私はここを巣立たなければいけない。





五月のうららかな日差しがさしはめたころ。私は新たな環境で生活を送ることになった。


そして、――――やらかした!


部屋のカギをなくし、自分の部屋から閉め出され、外で一夜を過ごそうと覚悟をした。

そんな私に声をかけてくれた人がいた。


それが隣に住む住人。山田浩太やまだこうたさんとの出会いだった。

初めはさ、それほどでもなかったんだよきっと。

でもね。そうなちゃったんだから、仕方が無いよね。分かっているんだよ。本気になっちゃいけないって。そういうんじゃないんだって。


人に甘えてもいいんだって言うことを、私はあの家を出てから知った。体験した。

家出と放浪は何も与えなかった訳じゃなかった。


それでも心は深く傷ついていたのは本当の事。

その傷ついた心を、浩太さんは優しく見守ってくれた。

なんだか少し年の離れた、お兄さん的な感じを持っていたのは事実だ。


ただの共有生活。

冷蔵庫がない私に自分の冷蔵庫を使ってもいいといってくれた浩太さん。

でもね、それってどういうことなのか知って言っていたの?

多分浩太さんはなにも考えて。私にその代償を求めようなんて、これっぽちも思っていなかったんだよね。

ただの善意。それだけだった。


本当に優しい思いやりのある人。そんな彼が抱える過去の記憶と心に背負う深い傷。

そんな傷を私は自分の傷と共に感じてしまった。

お互いに自分ではもうどうしようもできなくなったこの傷をお互いに触れることをためらい、その傷があるからこそ、お互い引き寄せられたんだと思う。


浩太さんは、学生の頃に付き合っていた彼女と別れた。その時の心の傷がトラウマとなり、女性に対し、拒否反応をするようになった。


少し妬けちゃうけど、それほどまでも、その彼女さんの事を愛していたんだよね。

私だったら、こんなに優しくて、温かい人を捨てたりなんかしない。


……できることなら、一生……。



そして、明らかになる浩太さんを捨てた彼女の存在。

本当はね。


浩太さんの事をものすごく。


ううん、愛しているから彼女は、彼の前からその存在を消したんだということを。


私は知った。


それが私もよく知る人だったとは……。




ガチャ。三和土で靴を脱ぐ音がする。


「おかえり浩太さん」

「おう、ただいま。繭」

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