特別編 第6話 ありがとう。 ACT 6

「浩太さん……大丈夫?」

「ん、」

見上げるように繭は俺の顔を覗き込んだ。


「ああ、なんとかな」それしか今は言えねぇ。

「俺よりお前の方こそ大丈夫なのか?」

スッと前を向き、繭はゆっくりとした口調で言う。


「大丈夫って言ったら、たぶん嘘になるけど。でも、一杯泣いたから。泣けるだけ泣いたから……。空に昇る煙見ていたら、少しスッキリしたかもしれない」


そう言いながら、繭の頬に伝わる一筋の涙。

いいよな。泣けるって。

泣きたくたって、涙を見せる訳にはいかない。

泣いちゃいけねぇんだよ。俺は……。


「いいよ。」

「なんだよ」

「いいんだよ浩太さん」

「だから何がいいんだよ」


「泣いても」


ギクッと肩が唸った。

「なに言ってんだ。俺が泣いてどうする」

「どうするって、どうもしないよ。泣きたい時は、泣けばいいと思う。ただそれだけ」

「それだけって。でも俺は泣かねぇ」


「恥ずかしいの?」

「そうじゃねぇ」

「だったら我慢しなくたって」

気が緩みそうになるのをぐっと腹に力を入れて堪えた。


「お前こそまだ泣き足りねぇんじゃねぇのか」

「多分ね。時間が経てば治まるって言うもんじゃないと思うし。でも私は泣いたよ。自分に正直に泣けたよ。浩太さんはずっと堪えているんだよね」

「堪えてなんか……いねぇよ」語尾の声がかすれていた。


それから繭は口を閉ざした。

家のドアの前で繭は一言。

「疲れたね」そう言って自分の部屋のドアを開けた。


「こっちこねぇのか」

三和土を見つめながら「少し一人でいたいから。夕飯はもう少ししたら作りに行くよ」

「無理しなくてもいいぞ」

「ううん。夕食はちゃんと食べようよ」

「そうだな」

「それじゃ」そう言い残しドアを閉めた。


俺も自分の部屋のドアをゆっくりと開けた。シンと静まりかえった部屋が俺を向かえた。

ふと脳裏に友香と一緒にいた、あのおんぼろアパートの部屋の画像が駆け巡った。

今より狭くて、少し暗い感じがする部屋の中。

夏場は本当に暑かったな。

今思えばよくあんな狭いところで二人一緒にいられたもんだ。


友香。

なぁ、友香。お前俺といて幸せだったのか?


あのなんとも言えない、優しくゆっくりと安心感を宿させる笑顔。

そんな笑顔を友香はいつも俺に見せてくれていた。


思い出させるなよ。今さら……思い出させるなよ。

トイレのドアを開き。気が付けば俺はしゃがみこんで泣いていた。

何か栓の様なものが抜けた感じがする。

腹の中で溜まっていた何かが一気に押し上げてくる。


もう涙か鼻水か訳分らねぇくらい、俺の顔はぐちゃぐちゃだった。

「友香……友香……」

時折漏れるその名に反応するように、涙が溢れ出てくる。 


泣けてるな。

俺、ようやく泣けてるんだ。


友香と再び出会う事が出来た時。俺の心はかき乱された。

あの時、友香の躰の事。真実を知った時、自分を呪った。何故俺は諦めたのかと。

あの時俺は諦めるべきじゃなかったんだ。無理やりでも、それでもし友香から本当に嫌われたのならまだましだったんだ。

後悔と言う言葉しか浮かんでこない。


「馬鹿だよな。俺って。お前の言うように本当に馬鹿だった」

何腐ってたんだよ。

自分勝手になんでも決めやがって。我儘だ! 我儘すぎんだよお前は。


最後の最後まで……我儘なんだよ!!


「ごめんね。我儘で。だから最後に私の我儘も訊いてくれると嬉しんだけどね。ううん、これは絶対に聞き入れてもらわないと困るんだけど」

「なんだよ。どんな我儘なんだ。お前の我儘なんか大した事ねぇだろ。なんでも聞き入れてやるさ」


「そぉお。なら安心して旅立てるね」

にっこりとやせ細った友香がベッドの上で言う。


「馬鹿なこと言うんじゃねぇよ」

「ううん、そうなんだもの仕方がないよ」

顔を天井に向け、俺を見ない様にして友香は言った。



「私を……嫌いになって」



「て、もう嫌いになってるよね。あんなことしたんだもの。嫌われて当然よね。謝ったって許してもらえないくらいにね。でも許してもらいたいなんて思ってもいないからね。そこんとこ誤解しないでよ……浩太」


それが友香とかわした俺と、友香との二人っきりの最後の会話だった。


出来るかよ。出来る訳ねぇだろ。

俺も馬鹿だけど、お前こそ本当の馬鹿だ。

どうして俺たちって素直になれなかったんだろうな。

呆れちまう。

でももう本当に終わっちまったんだ。


終わっちまった。


泣いたよ。思いっきり。

泣けた。ようやく俺は腹の底から泣くことが出来た。

この数年感の空白を埋め尽くすことが出来るくらい。本気で俺は泣いた。


数日後。

俺と繭は改めて、友香の実家に赴いた。


相変わらず庭には沢山の花たちが咲き乱れていた。

「この花たちの世話はお母さんが」

「そうねぇ、私ももう年だから友香の様に隅々までとはいかないけどね」

「そうですか。でも喜んでくれていると思いますよ。本当に友香は花が好きだったから」


「うん、そうね」

そう言いながら見事に背を伸ばし、大輪の花をつけた向日葵を見つめ。

「この向日葵。もう何代目になるのかしらねぇ」

「何代目って?」

「確か、あなたと一緒に向日葵畑に行った時に、買って来た種から育てたのよ」


あの時の……。


友香と一緒に行った向日葵畑。いきなり向日葵が見たいと言い出して一緒に行ったんだった。

まだ時期が少し早かった。向日葵の大輪はまだ蕾で開いてはいなかったんだ。


「ああ、残念。黄色のじゅうたんが見られると思っていたんだけどなぁ」

「仕方がねぇだろ。もう少しかかるみてぇだ。我儘言うんじゃねぇの」

「はぁい」

意外と花の事になると素直じゃねぇか。


実際俺も期待外れだった。

でも風に揺れる向日葵の蕾は、今でも開きたいというのを我慢しているかのように膨らんでいた。

その向日葵たちに囲まれて。


俺は友香に言った。


「また、何度でも来れるだろ。……俺たち」

「そうだね。浩太」


「お母さん。また来てもいいですか? 出来れば俺も少しこの花たちの世話手伝いたいです」

「無理しなくたっていいのよ」

「いや、やりたいんです。この向日葵だけは絶やしたくないんです」


大きく咲き誇った向日葵の花を見つめ。

「なんだかこの向日葵を見ていると、友香がずっと見ていてくれてるような気がするんです」

「そう、ありがとう浩太さん」



向日葵の花言葉は。

「私はあなただけを見つめる」


その言葉の様に青空の中、真っすぐに俺を見つめる向日葵の花。


忘れねぇ。しっかりと受け止めてやるよ。

ただ一つ謝んねぇといけねぇな。友香。


「私を嫌いになって」


その願いは守れねぇな。ごめんな友香。


そして……『ありがとう』


俺の最愛の恋人だった人へ。

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