特別編 第4話 ありがとう。 ACT 4

「マジぃ。マジやばい」

家についてすぐに着替えたものの、やっぱり体は冷え切っていた。


風呂にも入った。

寝る前にひとゲーム。いつもはストレス解消に向っていたゲームにも気が向かない。


「疲れているんだ。そうだ俺は疲れてんだ。なにせあんなに頑張ったんだから」

なぜか自分に言い聞かせている。


ごろんと布団に身を投げ出すように横たわる。天井を見つめると歪んで見える。

相当まいっているんだ俺は。

やっぱりあの会社もうバックレるしかねぇな。このままいたら俺真面目に死んじまう。人生ここで、こんな事で終わらせたくなんかねぇし。


それにしても寒い。

今日は外はそんなにも寒くはない。天気もいい。されど、俺の躰はブルブルと震えている。


熱? 上がってんのか。

だとしたらこれはまずいぞ。体温計なんていうもんはねぇから、どんだけ上がってんのかわかんねぇ。

だけどもし、熱が上がっているとしたら多分これは尋常ねぇくらい上がってんだろうなきっと。


あははは、やっぱ俺終わっちまうのか。

一人寂しく、この築40年のおんぼろアパートの一室で孤独死。

死後数日、発見されて、ハイそれで終わり。


あはははははははは。

もう笑うしかねぇな。


あ―――――だんだんと意識が薄れていく。物すげぇ苦しい。体中がいてぇ。

終わりだな……。


そのまま気を失うように俺は瞼を閉じた。


どれくらいの時間が経ったんだろう。

まだ生きていたんだ。いや、もうおっちんでいるのかもしれねぇな。天国で目覚めるのはお約束? いやいや、俺見てぇな人間は地獄行き何だろうけど。

でも、まだこの世に残ってる感があるという事は生きている。


なんかいい香りがする。

懐かしい、何だろう……。

幼い頃、たまに香るこの匂い。

そんなうっすらと残る記憶が俺を目覚めさせた。


「う、う――――ん、っ」

ゆっくりと瞼を開けると、ぼやける画像の中に人の影が映る。


誰だろう……。何となく映るシルエットで女性であるような感じがする。

姉貴か? 違うな。

なんか姉貴と言う感じの雰囲気じゃない。


じゃぁいったい誰なんだ。


この俺の部屋に女が来ることなんてねぇ。付き合っている女なんかいねんだから。

こんなオタク部屋に女なんて呼べねぇ。入った瞬間に引きまくるだろう。

じゃぁいったい誰なんだ……?

駄目だ頭がまだいてぇ。考えることを拒否されてしまう。


「あ、気が付いた」

どこかで訊いた事のある声が耳に入る。


誰だったろうか。

「良かったよ。少しは良くなってきたんだね」

んっ?

この声、朝に訊いた声の様な気がするけど……まさかなぁ。


ぼやけた眼が次第に鮮明な画像に戻りつつある。

「えっ! 嘘だろ。どうして」

思わずあんだけ言う事の効かない躰が反射的に動き出す。むくっと上半身が起き上がる。


「な、何で居るんだ……あなたが」

グラッと目眩が俺を襲う。また倒れるように俺は布団に沈んだ。


「んっもう、そんな急に起き上がったら駄目だよ。まだ熱下がっていないんだから」

「熱って……」

「記憶無いの?」

「記憶って……そのなんだ。俺、どうしちゃったんだ」


「ああ、やっぱり。そうなんだ。何も覚えていないんだ。―――――わ、私の初めてを奪っておきながら」


「初めてって……何を」

「そ、そんな事私の口からなんて言えないわよ。だって……恥ずかしいんだもの」


恥ずかしいって。ま、まさか俺。彼女と、そのなんだ一線を越えたというのか?

ゴクリと唾を飲み込もうとしたが、カピカピに乾いた口の中は唾すら出ていない。


「ンもうそんなにあせんないでよ。ごめん、嘘よ。あの後どうしても気になって、燈子とうこにあなたの家の住所調べてもらったの」


「俺の住所って、どうやって」


「さぁどうやってでしょ。それは分かんないけど、でも彼女はあなたの家の住所を教えてくれた。まったくもう、鍵も締めないで、不用心なんだから。でもおかげで入ることできたんだけどね、よかったよ。ホントあなた死にかけていたもんね」



まだ頭の中がぼう―としている。

「何か食べれる? 御粥作ったんだけど」

そうかこの懐かしい香は、御粥の香りだったのか。


「う、うん。でも、その前に水を一杯もらえると助かる」

「分かった」

彼女はそう言ってコップにミネラルウォーターを注ぎ俺の横に座り、そっと手に持つコップを俺に手渡した。

その時触れた彼女の手は少し冷たく感じた。


これっがきっかけ? と言えばそうなのかもしれない。

鷺宮友香さぎのみやともかと、俺との接点。

今思えば、よくもまぁこんな変人オタクと付き合おうなんて、奇特な気持ちになれたものだと思う。

それが不思議だ。




「どうしたのよ。いきなりそんなに見つめられるとなんだか恥ずかしいよ」

「ご、ごめん」

なんか急激に顔が熱くなる。


こんなのは最近はほとんどなくなっている。あの初々しさと言うのか、あの頃はまだお互いに、何かを探り合いながら付き合っていた。


「ところでお前が今決めた予定って何なんだ」

「う――――んっとね」

友香は窓から青く済み切った空を眺めながら言う。


「私、向日葵が見たい」


「向日葵?」

「うん向日葵」

「向日葵だったらお前の家に庭にも植えているんじゃないのか」


「そうだけど、ひまわり畑に行ってみたい」


にっこりとほほ笑むその顔は今まで見たことの無い様な優しい顔だった。

こんなにも柔らかな表情をする友香を見るのは、本当に久し振りだ。

そんな顔をされちまうと、嫌とは言えなくなる。


「しょうがねぇなぁ。行くか」

「やったぁ! 浩太、大好き!」

そう言いながら友香は俺に抱き着いてきた。


友香の髪から優しく甘い香りが俺の洟から抜ける。

温かかった。

心が。とても温かかった。


友香といるこの時間が、俺にとって一番の時間だと、馴れ合い過ぎた俺たちの心に戻り、遠のく。

まるで砂浜に打ち上げられる波の様に、いつまでも続くものだと信じている。


「それじゃぁ準備するね」

部屋干ししていた洗濯物を取り込む。その中には友香の下着も一緒に干されている。


ふと前に友香が何気なく言っていた言葉を、俺はその姿を目にしながら思い出していた。




「女の子の下着は……もう一人の自分なのよ」


と、言うこの意味をいまだに俺は理解できてはいない。

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