番外編 第9話 これだからオタクって……。
「いただきま――す!!」
ジュゥ――、とお肉が焼ける音がなぜか気持ちを高揚させる。
肉だ! 繭は得売品の肉だと言っていたが、んー見た目はすき焼き用の牛肉そのものだ。
程よく肉に火が通ったところで割り下を入れると醤油の香ばしい香りが、鼻を抜け食欲を増進させる。
卵をといで、いざ! 肉へ。
割り下が絡んだ牛肉を溶き卵にくぐらせ、熱々のご飯の上にいったんおいてから口の中に。とろりとした濃厚な卵の風味と、香ばしくそして程よくたれの味が染み込んだ牛肉が口の中で咀嚼するたびに味が広がっていく。
あああ、幸せだぁ。
まさかここですき焼きなんて食えるとは思ってもいなかった。
季節はこれから夏に向かう季節だ。
だが、すき焼きは季節なんか関係なく行ける鍋だと俺は思う。
どうして今日繭がすき焼きを作って待ってくれていたのか。多分この前一緒に買い物に行った時に買った万能鍋を使いたかったのかもしれない。
鍋の時期も終わり、特価品コーナーでこの卓上万能鍋が売り出されているのを見つけ、購入した。
買ってきたその日に「ねぇねぇ、浩太さんあの鍋で何作ろうか?」とい、俺に訊いてきたくらいだ。彼奴の頭の中にはいろんなレシピが膨らんでいたんだろう。
そこに牛肉の特売があって迷わずすき焼きと言う料理に行きついたのかもしれない。
それにしてもうまいなぁ……。しみじみと幸せと言う思いを噛みしめられる味だ。
「はぁ―、ほんと美味しい。なんだか悪いなぁ。私まで急にご馳走になちゃって」
「いいのいいのだってさぁ、お肉3パックもあるし、こういうのって人数多い方が美味しく感じるでしょ」
「ありがとうね繭ちゃん。ああ、なんか私も繭ちゃんみたいな人、傍にいてくれたらほんと嬉しいなぁ」
「おいおい、今度は繭に鞍替えか? さっきまで言っていたのは何だったんだ?」
「ん? だってさぁ、先輩こうやって美味しいすき焼き作って待ってくれたりするタイプじゃないでしょ。ああ、なんかこう物凄く満たされちゃうんだよねぇ。仕事から帰って来て、お風呂に入ってさっぱりしてから、美味しい料理が食べられる。ねぇねぇ、繭ちゃん……私の所で一緒に暮らさない? 私繭ちゃんだったらめいいっぱい愛してあげちゃうから」
「ほへ? それって……私どんな意味で愛されるんでしょうか?」
「んっもうその先は言わせないでよ、恥ずかしいじゃない。先輩の前だし……」
「ごへっ!」思わずむせてしまった。
おいおい水瀬、お前本当にそ場の雰囲気に流れやすいタイプだよな。
なんか帰りのときに俺に言っていた意味ありげな言葉が全て、否定されているような気がするんだけど……。まっ、いいかぁ。
でも、ふと俺の脳裏に生まれる思い。
繭とのこういう生活はいつまで続けることが出来るんだろうか。
もしかしたらある日突然、繭は俺の前からその姿を消し去り離れて行ってしまうんじゃないのか。しかし、それは……。
そうだよな、俺と繭の関係は、そんな関係じゃないんだ。
繭はまだ高校生なんだ。これからいろんな経験を積んで自分の進むべく道を見つけて歩き出さないといけないんだ。
それを……止めさせる権限なんて、俺にはないんだから……。
「どうしたの浩太さん。ぼ―としちゃって」
「あ、いやなんでもねぇ」
「ところでさぁ、今日買って来たゲームって、もしかしてまた百合ゲーだったりするの?」
「おお、繭さんよくぞ聞いてくれた! 今回はすごいぞう。なにせ業界じゃ発売前から相当話題になっていたゲームだからな」
「そうそう、私なんかあのコスプレ特典がどうしても欲しくてたまんなかったんだけど、誰かさんにあたっちゃったし……それがショックだった」
「あ、それを言うなら俺だってそうだ! 俺はヒロインのフィギアが欲しかったんだよ。それをなんだ、俺の次にくじやった奴があてちまいやがった……。それがすげぇ悔しんだけどな」
「うんうん、そうなんだよね」水瀬さんも真剣な顔をして腕組をしながらうなずいていた。
「でさぁ、浩太さんは何当たったの?」
「メインヒロインのコス衣装」
「で、水瀬さんは?」
「メインヒロインのフィギア」
俺と水瀬は二人で声をそろえて「あ!」と声に出した。
「なぁんだそれじゃ二人とも交換すればいいんじゃないの?」
「あはは、そうだな。水瀬いいのか?」
「先輩こそいいんですか? せっかく一等当たったのに」
「いやいや、俺はその方がいい。いや断然いい!」
「それじゃ商談成立だね」
まったくこの人たちはこういう事になると、ほんと子供なんだからと、にヘラとした顔で繭は俺たちを見つめていた。
なんともまぁそれに関しては、俺たちは何も言い返せないのが事実。でもお目当てのものがゲットできたから、その思いの方が強くてそんなことどうでもいい。
ああ、オタクの性分は社会的地位も権限も、まして威厳も何も飛び越えてしまうところが恐ろしい。
「さぁてと腹もいっぱいになったし、俺、風呂にでも入ってさっぱりしてくるか」
「うんうん、そうして来なよ浩太さん」
「繭、お前はどうする? こっちで入っていくか?」
「あ、私はいいよ。学校から帰ってきてからすぐに入ったから」
「そうか、じゃ風呂行ってくる」
そのまま浩太さんは風呂場の脱衣所に入って扉を閉めた。
「あ、そうだ浩太さんの着替え、ええッとスエットとパンツと、浩太さんお風呂上りはシャツ着ないからこれでいいと……」
「うむむむ、繭ちゃんほんとまるで、先輩の奥さんみたい」
「えっ! そうぉ。そうかなぁ……えへへへ」と、にヘラとした締まりのない顔がもっと締まりがなくなっているような感じになる、その繭の顔を見つめながら。
「ああ、なんか私が入り込める隙なんかやっぱり無いのかなぁ」
「ほへっ!」と、水瀬の意味ありげな愚痴を軽く聞き流す繭。んー、俺、風呂入っていてよかったよ。今の会話の中に俺がいたらきっと何か求められたんだろうからな。
「でもさぁ、私繭ちゃんのことも好きなんだよ」
「んっ? その好きって言うのは、友達としてですかねぇ」
「……多分それ以上かもしれないけど……」
「ええッと、それは有菜が私に言う好きと言う意味に近いことなんですかねぇ」
「ああ、そう言えば有菜ちゃん、宣言してたもんね。繭ちゃんを私は愛してますって!」
「でしたねぇ……」
水瀬さんは優しく私の髪を撫でながら「私さぁ、そっちも経験済みなんだけど……抵抗はないわよ」
その時の水瀬の声は、俺は訊かない方が良かったんだろう。ものすげぇ色っぽかったらしい。
あの繭がゾクッときたらしい。
「水瀬さん私のスエットきつくないですか……胸のあたり」
「うんちょっとね……」
「なら脱ぎますか?」
「はぃ……もしかして欲情しちゃったのぉ?」
「うん、水瀬さんこれ着てみてください」
スッと、今日くじで当てて来たコスプレ衣装を差し出した。
「マジ?」
「うん、マジで。でもって浩太さんに見せつけたら、どうんな反応するか見てみたくないですか?」
「うわぁ! 繭ちゃん先輩を驚かせようって魂胆なのね」
「うんうん、もしかしたら水瀬さんに襲い掛かるかも……。その時は私自分の部屋に退避しますから後はご自由に!」
と、繭はちょっと意地悪のつもりで言ったみたいなんだけど、水瀬は何を勘違いと言うか、これは彼奴の性格なんだろう。もうノリノリでコス衣装に着替えて俺が風呂から出てくるのを待つ準備に取り掛かった。
ふんふんっ。
「あぁ―風呂はやっぱり気持ちいい!」
風呂から出た俺の運命はさて如何に……。
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