番外編 第3話 あの日から……始まったんだね。
あ~、体に染み渡る。アサリの味噌汁、なんか物凄くいい。
疲れた体が癒される。
神経すり減らして仕事して、疲れ切った体と心にこの温かさが染み込むさまはなんとも言えない。
そしてきっちりと煮込まれた魚の煮つけ、うまい。程い塩辛さと魚の風味がなんともいえない。飯が茶碗一杯では足りない。
家に誰かがいてくれて、温かい飯を用意してくれているこの幸せを、俺はずっと感じることがなかった。繭との生活がこれほどまで俺の心に潤いを与えてくれているとは……。
「美味しい?」
「ああ、うめぇ。ホントにうめぇよ繭」
幸せそうに見つめる繭の瞳が、この胸に響く。
その顔を俺がちらっと見つめると、繭の顔が桜色に染まっていった。
「あのね、……さっきはごめん。お風呂部屋に戻って入るのめんどくさくて借りちゃったんだ」
「あ、いやそれは別に……」
「でもさ、どうして玄関の外で座ってたの? やっぱり気まずかった」
うっ、やっぱり話がそっちに流れたか。
マジぃなぁ。抑える自信がなかったなんて……言えねぇし。
でもここは正直に言うしかねぇのかなぁ。多分引くだろうな。それとも警戒心持つか? ん? 警戒心か、そうだ此奴警戒心薄いんだよなぁ。もっとなんだ男と一緒にいるって言う危機感を持って、と、ダメだ俺は生身の女興味ねぇって言ってるんだ。まぁ実際受け付けねぇけどな。
「ええッとなぁ、今日さ、急遽残業になっちまって、マリナさんが気使ってドリンク剤差し入れてくれたんだけど。そのドリンク剤すげぇ強力なやつで、そのなんだ。まだ効き目残っていて……その」
「まじ! ……反応しちゃったの?」
思わずこくんと頷いてしまった。
「へぇ、浩太さんがねぇ。私の裸で反応したんだ。そうかそうか、反応したんだぁ!」
にヘラとした顔に上乗せで、えヘラという顔になっている繭。
あ、もしかして此奴今俺のこの反応見て、楽しんでるんじゃねぇだろうな。
「えへへへへ。それでかぁ」
あああ、やっぱり此奴なんか楽しんでやがる。
「で、欲情したんだぁ」
ゴホゴゴッ、な、何言ってんだよ此奴。
「し、してねぇよ。俺は生身の女には興味ねぇって言ってんだろうが。まして高校生なんか……」
「ふぅ―ん。そうなんだぁ」
なんか繭の表情がなまめかしくなってきたぞ。そっちが欲情してんじゃねぇのか!
「それで、そのドリンク剤の効き目まだ続行中なの?」
「飯食ったら満たさたんだろうな落ち着いたよ」
「そっかぁ、じゃ襲われる心配はないんだ」にまぁとした顔がなんとも憎らしい。こっちの気も少しは察してくれよ。
「でもさぁあの光景なんか懐かしかったよ。立場は逆だったけどね」
「お前と始めて会った夜の事だろ。俺も正直思い出していたところだったんだ」
そうだあの日、私は越してきて3日目にして、部屋の鍵をなくして入れなくなっていたのだ。
転校初日、学校から帰って真っすぐあの部屋、自分の家に帰って来た。
今までの生活から離別するために。今までの自分から脱するために。
私はこの新たな土地で暮らすことになったのだ。
そして三日目にしてこけた!
部屋の施錠を開けようとして鍵を取り出そうとしたけど、その肝心の鍵が見当たらない。
もしかして落としてしまったのか!!
制服のポケットの中、カバンの中、思いつくところ見れるところは探したが、鍵は出てこなかった。
まさか学校……急いでもう一度学校に戻ったが、たかが知れている学校での私の行動範囲の中では、見つけ出すことは出来なかった。
仕方なくまたアパートに戻り、大家さんの所に行ってみた。入居の時大家さんには挨拶をしていたから場所は分かる。
なんともタイミングが悪かったのか、それとも私はやっぱりこんな運命なのかと思った。
呼び鈴を何度も押したけど、大家さんは出てこなかった……多分留守だったんだろう。
行く先もなく、大家さんが戻るのを待つしかない。また自分の部屋の前で座り込み、後でもう一度大家さんの所に行くつもりだった。
5月の日差しは柔らかく暖かい。
引っ越しを済ませようやく落ち着いた。今までいた施設から出て一人暮らしをする私に不安がないと言えばそれは嘘になる。
ようやく一歩を踏み出せたばかりの私だったから。
暖かい日差しは私の心と体を心地よくしてくれた。次第に睡魔が私を深い眠りへと誘う。
気が付いた時辺りはすでに暗かった。そして寒かった。
「あ、そうだ大家さんの所に……」腕時計を見ると、もうすでに9時近い。こんな遅くに行っては迷惑だろう。「あたたたた」お尻が物凄く痛い。何時間寝ていたんだろう。自分でも分からない。でもこのお尻の痛さは尋常じゃなかった。いくらお尻の肉付きがいいとしてもだ、コンクリートに直に何時間も座っていたらそりゃ痛くもなるだろう。
「ああ、もう今日は駄目だなぁ。明日朝に行くしかないなよなぁ」
もうその時点でカバンの中をもう一度探そうなんて、思いは浮かんでこなかった。
「ま、いいかぁ。今晩はここで過ごそう」
今さらだけど公園のベンチで夜を明かしたことは何度かある。それと変わりはないという気持ちが私を諦めさせた。
でも少し肌寒い。5月と言ってもやっぱり夜は次第に冷えてくる。
「なはは、こりゃ完璧に風邪ひくなァ。ま、仕方がないか。運が良ければひかずに済むかもしれないし」
回りは本当に暗い。真っ暗だ。孤独感が私を包み込んだ。
やっぱり私は一人なんだ。一人っきりなんだ……。ふわっと香るカレーの様な香り。どこかの家で今晩カレーなんだ。何となく心がぎゅっと掴まれるように痛くなる。
「な、なんだろう、どうして私……。泣いているんだろう」
お父さんと二人で暮らしていた頃の事が頭の中で蘇る。あの優しい笑顔のお父さんの顔が今も鮮明にこの想いの中に映りだされる。
「もういないんだよ。もう私には誰もいないんだよ」
だから、私は一人で生きると決めたんだ。
誰にも頼らずに一歩、そして一歩前に進んでいけばいいんだ。
もうあんな生活には戻りたくはない。ううん、戻ってはいけないんだ。
ヒンヤリと、さっきよりも冷たく感じる空気が私を纏った。
その時だった。コツコツと人が歩く音が聞こえて来た。
その音は間違いなくこっちに向かっている。まずいかなぁ……。
そしてその靴音は止まった。
私は膝に顔をうずめてその人の方を見ないようにした。
「おい、そこで何してるんだ」
その人は私にそう話しかけて来た……。
部屋の鍵をなくし、入り口の戸の前でうずくまる私に。
隣に住む山田浩太は話しかけてくれた。
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