番外編 第2話 あの日から……始まったんだね。

「あ、あうぅ……」

な、なんだ。繭は声にならない声を出して、固まったまま俺の顔を見つめていた。


「……ただいま」

「……うん、おかえり」


それからゆっくりと脱衣所の戸が閉まった。


俺の心臓はなぜか物凄く早く動いていた。多分こうして二人で見合ったのはほんの2分。いや、2分もかけていない。……かけていないとはどういう意味で言っているのかは俺も今は分からん。


ただ扉が閉まってから急激に俺の体がまた熱くなってきているのを感じる。

あはははは。……落ち着けよ俺。


まぁ少し深呼吸しようぜ! 自分にそう言い聞かせ大きく深呼吸をする。

そして自分に語り掛けるように


「なぁ俺ってさぁ、生身の女の体は受け付けねぇんじゃねぇのか……。繭は生身だぞ。2次元のキャラじゃねぇぞ」


独り言をまるで念仏を唱えているかのように、ブツブツと口にしていた。

でもなんだこのドキドキ感は。


そ、それにだ繭はまだ高校生だぞ。高校生の裸に何ときめいているんだ。

そんなことを想いながらも、しっかりと繭の裸を俺は目に浮かべていた。


落ち着かねぇ……なんでだ。繭の裸見たのこれが初めてじゃねぇだろ。ほら、彼奴が熱出した時、着替えさせてやった時に、やも得ず……あれは俺が見たくてやった訳じゃねぇし、仕方がねぇ状態だったんだから。そう、今も……、これは事故だ。見たくて見た訳じゃねぇんだ。


でも、ああああああ! ダメだ頭から繭の裸が離れねぇ。


もうじき多分、繭は脱衣所から出てくる。何かは着てくるだろうけど、大丈夫か俺。


……俺の理性持つか。んっ? 持つかってどういう意味なんだ。繭を押し倒してしまうのか。マジぃんじゃねぇか。


でも何でこんなにもドキドキとしてんだ。


もしかしてまだあのドリンク効いてんのか? そう言えば「朝まで」何とかって書いてあったよな。

こりゃ、効いてんな。まだあのドリンクバリバリ効いてんな。


これで繭と会ったら俺……なんだか自信ねぇ。生身の女ダメなんだけど、今回はそんなこと言ってられねぇ様な気がする。


カタンと脱衣所から音がした。


もうじき繭が出てくるかもしれない。そう思うと居た堪れなくなって俺は急いで三和土でサンダルを履いて外に出てドアを閉めた。


はぁはぁ……ああ、うううううう。そのまま扉の横の壁に背を乗せ座り込んだ。


パタンと戸が閉まる音が聞こえてくる。

繭が脱衣所から出たんだろう。


…………し、静かだ。


今の季節は外にいてもさほど寒くはない。

いっそうの事、朝までここで過ごすべきかもしれない。そうすればきっとあのドリンクの効き目もなくなって、そのなんだ、さっきの事も「びっくりしたなぁ」なんて言って終わっちまうんじゃねぇのか。


そうだ、そうしよう……。うん、俺は今日はここから動かねぇ。


「はぁ―」と、ため息をつきながらふと空を見上げた。

ここでも今日は珍しく星が綺麗に見えた。


何となくこの星たちを見ていると、今まで激しく鼓動していた心臓が落ち着き始めた。


少しは落ち着いてきたかなぁ。


部屋からは一向に何も音がしない。もしかして繭、俺の部屋で寝ちまったか?

まぁ、それならそれでいいんだけど……。


そう言えば繭と始めて出会った時の事思い出すなぁ。


なんだか今の俺と同じみたいだったよな。まぁここにいる理由は違うけどな。

あの頃は村木部長からすげぇしごかれていたんだよなぁ。


パワハラだ! なんて俺は思っていたけど、村木部長が仙台に転勤になって初めて俺の事いつも見守ってくれていたんだってこと知ったら、なんだか俺ってホント馬鹿みてぇにちっぽけな人間だったて思えたよな。


それなのに長野とやけ酒飲んで部長の愚痴ばかり言って、挙句の果てに飲んで食ったもん全部吐き出したんだったよな。


そんで少し酔いがさめてきた状態でここに来てみたら、繭が座っていた。

始め遠くから見たらゴミ袋でもおきっぱにしてんのかと思ったんだよな。


近づいてみて初めて人だと分かってちょっとびっくりした。


んで、それからが大変だったんだよ。


訊いてみたら、部屋の鍵失くしたって言うじゃねぇか。3日前にとなりに越して来たのが女子高生だっていうのはホント意外だったけどな。


まだ5月の初めの頃だったから夜は冷えてきていた。まだ冬服の制服。たしか前の学校の制服だったな。それでもここでこうしているのは辛い。


話しかけたらすげぇ不愛想で、声もちいせぇし体丸めてさ。まるであれはネコだよな。


そんでもって警戒心丸出し。


いかにも俺が彼奴を取って食おうとしているとばかり思っているような感じだった。


まぁ、俺はそんな気は毛頭なかったんだけどな。


毛布貸してやってさ、それでも気になってほっとけなくて……一晩泊めた。


「私になんかしたら舌噛んで死んでやるから」

「おう、上等じゃねぇじゃねぇか。お前には指一本触れねぇよ」


なんて事ここで言っておきながら、俺の百合ゲーにはまって午前0時過ぎてからだよな。いきなり彼奴から「私とセックスしない?」なんて言ってきやがった。


実際何もなかった……うん、あんときの俺は偉い! 褒めてやるぜ。と、言いてぇけど、実際無理だったろうな。


でも今日はちょいと違う。あのドリンクの効き目はまさに狂凄だ。

まったくマリナさんもなんてもんよこすんだよ。


その時スマホからメッセージの着信音が鳴った。

繭からだった。


「外出てるの?」

「ま、そ、そうだな」


「買い物?」

「んにゃ違う」


「ほへ? じゃどこにいるの?」

「……近く」


「近くって?」

「玄関の外」


「はぃ? 何でそんなとこ」


そして玄関の戸がゆっくりと開いた。


「あ、本当にいた」

「ヤァ!」


「ヤァ、じゃないでしょ。風邪ひくよ。何で入らないの? もしかしてさっきので……?」


「ええッとこれにはいろいろと事情があって……その、なんだ身の安全のためにこうしてるんだ」


「身の安全の為って、どういう事なの?」

「ええッと話せばちょいとややこしんだけど」


「ふぅ―ン。ま、そんなのいいから入りなよ。て、言ってもここは浩太さんの部屋なんだから。家主がこんなところでうずくまっていちゃいけないでしょ」


「ははは、それもそうだな」


「でもさぁなんか思い出しちゃうね。私と浩太さんが初めて出会った時の事」

「まぁな、俺も今思い出していたよ」


「そっかぁ……」繭はにヘラとあの締まりのない顔をしていた。


「あのさ、舌噛んで死んでやる。なんてもう言わねぇよな」

「馬鹿! もうそんなこと言う必要があるの?」


その問いに俺は答えられなかった。


「今おかずとお味噌汁温めるから、ちょっと待っててね」



繭が台所で、動く姿を遠目で見つめ。俺は……。


繭がいてくれることへの感謝と……自然と安らぐ自分がいることに改めて気が付いていた。

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