第62話 一歩前進。そして……二歩後退 ACT1

「ところで、バイトは夏休みの間だけ?」


「ほへ?」


パフェを食べるのに夢中になりすぎていて、マネジャーさんから何気なく質問されたことに変な声で返してしまった。


「あ、すみません。まだそこまでは考えていなかったです」

「そっかぁ、継続長期と」

「ほへ? ……長期?」


「志望の動機はと、『制服が可愛いから』……ほぅ。特技、『特別なし』……うむむ。バイト経験、『なし』う――ん」


マネジャーさんはちょっと悩みながら

「ねぇ梨積さん、ニコッと笑顔作ってみてくれる」

「え、笑顔ですか?」

「そう笑顔」


笑顔ねぇ、ニコッとした笑顔……うむむむ。故意に作ろうとすればどうすればいいのかが良く分からないよ。


こ、こんな感じかなぁ。

にヘラと顔の筋肉を緩ませて、ちょっと口角を上げてみた。


その私の顔を見て、マネジャーさんは

「ぷっ! ははははは……」と笑っていた。

えええ! そんなにひどい顔してたのかなぁ。


「ごめんごめん。もういいよ。ありがとうね」

「そんなに変でしたか?」


「いや、なんていうか。梨積さん美人だから一気にイメージが崩れちゃったんだよ。でも可愛いよそのにヘラとした笑顔も」


これは褒められているのかそれとも……、ああ、無理なのかなぁ。

でも、このマネジャーさんは悪い人じゃない見たい。出来ればこんな人と一緒に働いてみたいなぁ。


半分諦めモードでいた私に。


「パフェ、どうだった?」

「はい、とても美味しかったです。ご馳走になりましてありがとうございます」

ニコッとほほ笑んでお礼を言った。


「そっかぁ、美味しかったかぁ。それは良かった」


その笑顔をしっかりと見て。すっと私の方に手を伸ばした。


「私、マネジャー店長の杜木村燈子ときむらとうこと言います。この仕事はいろんな面で大変ですけど、一緒にこのお店を盛り上げてくれますか?」


「えっ! これって……」


「うん、梨積さんがよければ一緒に頑張りましょう」

採用してくれたんだ。


彼女の手を握り「ありがとうございます。不束者ふつつかものですけど、よろしくお願いいたします」


「ぷっ! 不束者ってなんかなんか結婚しに行くみたいね。でもあながち間違いの使い方ではないわよね。そんなに堅苦しくしなくても大丈夫よ」


ほほ笑んだその笑みは、やっぱり先生にどことなく似ていた。


「初めはこっちのカフェの方から始めてもらいたいんだけど、大丈夫かなぁ?」

「はい、大丈夫です。よろしくお願いいたします」


「それと一応大丈夫だと思うけど、これが雇用契約書です。梨積さんは未成年になりますので、深夜帯の勤務はないです。と言っても営業時間は午後9時までだからね。そこは大丈夫ですか?」


「はい大丈夫です」


その雇用契約書を見ると保証人の欄があった。

保証人……普通は親とかが記載するんだろうけど、私には……。


「あのぉ、この保証人って親じゃなくても大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だけど、何かあるの?」


「今私一人暮らしで、そのぉ……私の親離れているんです。知人でも大丈夫でしょうか」

「まぁ身元がしっかりしていれば大丈夫だけど」

「……そうですか。わかりました」

それ以上は彼女も私もそれに触れることはなかった。


お店を出ると、空に広がっていた雲はすっかりどこかに行っていた。

強い日差しが私の肌を刺す。


思いがけず、勢いでアルバイトが決まってしまった。

でもあの店で働けることに心が嬉しいといっているような気がする。


「よし、頑張るぞぉ!」

意気込みは十分だ。でも気がかりなのはあの保証人の欄だ。


こういう時は誰に相談したらいいんだろうか?


あの義理の親に連絡はしたくない。いや連絡はしてはいけない。

そうなれば、福祉課の担当さんかなぁ。

でも今日は休日だから、担当さんも休みだろうし。あ、それに学校のバイト申請も出さないと。


うー、勢いで決まったけど、なんだか問題がありありの様な気がする。

それでも私は、あの店で働きたかった。

何か新しい自分に出会いそうな、そして新たな時間の流れが始まった様なそんな気がするからだ。


夏休みまであと1週間。


アルバイトは夏休みが始まってからだ。その前までには何とかこの問題を解決しないといけない。


アパートに着き、自分の部屋の戸の鍵を開けた。

むあぁッとした空気が私を包み込んだ。


すぐにベランダのサッシを全開にした。中に籠っていたよどんだ空気が一気に外に流れ出て行くのが分かる。

でも入ってくる外の空気も暑い。


「浩太さんたち今日は何時くらいに帰ってくるんだろう」


ふとそんなことを考えながら、私はフローリングの床にぺたんと座り込んだ。


「はぁ、なんだかちょっと疲れた」


ふわっとベランダから、風が入り込んできた。

その風に誘われるように私の瞼は次第に閉じて行った。


「繭ちゃん、今日のプリント一緒にやろう」

先生が来てくれたんだぁ。

いつものあの笑顔が私に安心感を与えてくれる。


「……」


「なぁみみ。気持ちいか……。お前のおっぱい大きくて張りがあっていいなぁ」


「ユキ、可愛いよ」

何人もの男の人の影が、私の体を包み込んだ。


黒い影。誰が誰だか分からない。

私の肌を、体をその黒い影はとっかえひっかえ包み込んだ。


気持ちよくなんかない。


いろんな名前が浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。


そのたびに黒い影は私の体を丸ごと包み込んでいた。

自分の体の中に違和感のある物が入り込んでいく感じ。


黒い影はみんな言う。

「気持ちいいか」と。


次第に感覚が麻痺していっているのが分かる。


これは行為だ。

なんでもない。単なる行為なんだ。

私には捧げる物はこの体しかなかった。



「嫌だ! 助けて……誰か助けて!!」

「繭、何言ってんだ、何騒いでんだよ」

「嫌だ、来ないで、触らないで」

私は思いっきりその男の頬をぶった。


「なにするんだ此奴。こんなことをする子は、お仕置きが必要だな」

両手を攫まれ、何かで私の両手は縛られた。


着ていたシャツは引き裂かれ、ブラをもぎ取られた。


「意外と育ちいいんだな。そそられるじゃねぇか」


その男の手が私の肌に触れたその瞬間、今まで感じたことの無いほどの嫌悪感と憎悪が走り、鳥肌が全身を覆った。


私は叫んだ! 「やめて!!」と。でもその声はどこにも届かなかった。

かすかに聞こえてくる女の声。


「顔は打っちゃだめよ。痣なんか出来たら、すぐに問題になるから」

「わかってるさ、この体に教え込ませてやるよ。女の快楽をな」


私は叫んだ、ありったけの声を張り上げて。


声がかすれもう声すら出なくなった時。いきなり、下腹部に強烈な痛みを感じた。


その時私の中の何かが壊れた。


もう声も出ない。力も入らなくなった。

痛みと何かが押し込まれる感覚しかしない。次第にその感覚もなくなっていった……。



「繭、繭……」


遠くで私を呼ぶ声が聞こえていた。

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