初夏のまにまに

幸 石木

初夏のまにまに

「桜はどこやぁぁ!?」


 スマホ画面の向こうで千恵が叫んだ。耳がいてえ。

 俺はイヤホンを外してスピーカーに切り替える。


「何してんのやぁ! ぼさっとせんで、はよ桜を探すんや! 生き残りを探すんや聡ぃ!」


 千恵のやかましい声が俺のいる山に広がって、けど振り返るような人はいない。

 まるでゴーストタウンならぬゴーストマウンテン。人っ子一人いない。

 コロナの影響って思うでしょ?

 ここ俺んちの裏山なんだよね。俺んちの私有地。だから元からこんな感じ。


「桜は散っても死んじゃいねーよ……ほら、これ桜の木だぞ?」


 そう言ってスマホを目の前の木に向けた。

 俺はひとり桜の木の下にいる。ピンクの花びらはすっかり落ちて足元にも見えない。緑一色。


「桜は咲いてるから桜なんや! 咲いてない桜なんてただの木や! 木! 死んだも同然! 映す価値なし!!」


 さっきから画面で喚いてるうるさい女が香野千恵。よく似合うショートヘアをピンク色に染めている。腐れ縁の幼馴染だ。


 俺は小学生の時に爺さんの住むこのド田舎に引っ越した。

 他の友達とはお別れになったものの、千恵だけはたびたび連絡をよこしてきたので疎遠になることはなかった。


 今は俺も千恵も大学生。

 お互い恋人ができることなく今に至っている。


「生きてる桜を探すんや! 今年の花見を完了するんや!」


 千恵は世間が自粛ムードになってから外に出ていないらしい。

 買い物は親に任せ、家でずっとゴロゴロしている。


「夢のヒキニート生活最高や!!」と言っていたのもひと月以上前の話。


「そ、外に出たい。聡ぃ。ひまや。…やから飲むで!」と言い出してから、この一週間は毎日俺とネット飲みしている。こいつは20才になったばかりだと言うのに、もうすっかりお酒好きになってしまった。


 そして俺はいま、千恵の花見をしたいという願いを叶えるために、桜を探して緑一色の山の中を長時間歩き回っているというわけだ。

 けどもう全然見つかる気がしていない。足も痛くて少し重い。


「はいはい。ちゃんと探してやるから静かにしてろ」


 こんなワガママ女に付き合える男は俺くらいだろうな。

 なんて言うと、こいつ千恵のこと好きじゃね? とか言い出す奴がいるかもしれない。


「――けど……見つけたらちゃんと女の子紹介してくれよ」


 そう、俺は千恵の出したある条件にノったのだ。それは、俺が桜を見つけ、千恵は俺に女の子を紹介するというもの。

 到底ありそうもない桜の花を探して山を歩き回るのだから、妥当な交換条件だといえる。


 ということで別に俺はこいつのことを何とも思っていない。

 俺はなんとしても、大学生の内に彼女を作り、そして卒業するのだ!!

 彼女いない歴年齢から脱出してやる!


「安心せえ。ちゃんと紹介したる」


 画面の中で髪をいじりながら、ちょっと落ち着いた声で千恵が言った。



「画面がくらぁい! 見えにくぅい! なんでや、まだ外あかるいで!?」


「そりゃお前がいるのが都会だからだ。街灯もない山の中じゃこうなるもんだよ」


 スマホを見ればもう18:30。山が夜に入るのは早くて、足元もよく見えない。

 手に提げている酒とつまみの入ったコンビニ袋も、投げ捨てたいほど疲れてきた。

 もうとっくにぬるくなってる酒。触ってみると、ああ、外気温。


 ……もういいや。おしまい。

 いつか彼女はできるさ。こいつに紹介してもらわなくても。


「……もう帰っていいか?」


「なんや諦めるんか?」


「いや……そうだな、今日は帰って明日また探すってのは?」


 俺が言うと、千恵は胸の前で大きくバッテンを作った。


「あかん!! 明日にはまるごと散ってまうわ!」


「もうまるごと散ってると思う」


「いいやまだや! まだ生き残りはおるはずやぁ!!」


 千恵はいやいやと頭を横に振る。こうなると、なかなか言う事を聞かない。


「せや! 聡! ここでキャンプするんや!! そんでここを拠点に探せばええんや」


「あほか!! いつまで探させるつもりだよ! ――やっぱやめだやめ! 飲み会なら家に帰ってからやってやるから!」


「あかーーーん!! ウチは花見をしながら飲みたいんやぁ!!」


「うるせ! もう帰るからな! 今年は諦めろ!」


 俺は歩いて来た方へ振り返る。だいぶ暗い。

 急いで帰らないと危険だ。


「あぁぁん! まってまってぇ! お願い! ほんならさっき見つけた桜の木でええから外で飲もうや! なっ!?」


「お前は家の中じゃねーか!! なんで俺だけ桜もないのに外で飲まなきゃならねーんだよ! しかももう酒ぬるくなっちゃって不味いよ!?」


「ええから! お願い! それでも女の子紹介するから! とびっきりちょろいやつ紹介するから!!」


 まじ? 神じゃん。


「……しょうがねえなあ」


 あの桜の木から家も近いし、夜が深まって道に迷うこともないだろう。


「へっ、ちょろすけやな」


 何かスマホから失礼な言葉が聞こえてきたが気にしないことにした。



「死んだ桜の下でする花見も乙なもの……おっ!? ええやんその角度! まん丸お月様が見える!! ……グビッ、はぁ! お酒がすすみますわぁ」


「だから死んでねぇって。てか月見になってるじゃねーか」


「花がないからしゃーないやろ!! チクショー! グビッ――うま」


 スマホ画面の中、千恵は喉を鳴らしてうまそうにビールを飲んでいる。

 俺はといえば、桜の根元に座り込んで常温のビールは無視し、残るつまみで腹を満たしていた。


 千恵の腰から下は見えないが、あぐらかいてるなきっと。やってることがおっさんだもの。

 見てくれは良いんだから、その性格さえ直せば彼氏なんて、すぐにできちまうだろうに。


「千恵、お前な……そんなだから恋人できねーんじゃねえの?」


「は? 何ややるか? ……聡に言われたくないですぅ!! ウチと同じ恋人いない歴年齢のくせしてよく言うわ!」


「はっ! それも今日までの話だ! 俺はお前から紹介してもらうちょろい女の子と絶対に付き合ってやるからな!!」


 ……あれ? これ結構情けないセリフなのでは?


「ほーー……。そうか。けど聡は忘れっぽいしなぁ、どうやろなー?」


「……なんだそれ。どういうことだよ」


 思っていた反応とは違う。もっと強気に挑発してくるかと思ったのに、千恵は右手に缶を持ったままテーブルの上に腕を組んで、物憂げな表情をその上に乗せた。


「……なぁ、覚えてないん?」


 画面の向こう、いつになく真剣な瞳で千恵が俺を見てくる。


「えーっと」


 なんとなく、適当に答えてはいけないものな気がして、俺はしばし思考にふけってみる。

 んー? なんだ? だめだ分かんね。


「……ごめん、わかんね。――ヒントくれ」


「はぁぁぁ。なんやそれなっさけな。まぁええわ。……なんでウチがこの時期に桜見たくなったか、思い出せん?」


 ながーい嘆息の後にそう言われる。

 けど全然思い浮かばない。


「えーと、今年も花見がしたいから――」


「あ……!」


「――じゃないよな当然。うん。そりゃそうだ」


 「あほ」と言い切られる前に遮ってやった。

 今年の花見を完了するんや! とか言ってたから、それなのかと思ったけど違うらしい。


「いやまあ、それもあるんやけどな」


 オイこら。


「うーん……ああもう! 小学生の時の花見!! ほんまに忘れてしもーたんか!?」


 その言葉で思い出した。

 まだ俺と千恵が一緒に同じ小学校に通っていた時の話。


 その年は桜の開花が大きく遅れて、俺たちの住む街でも初夏の中頃まで桜がキレイに咲いていた。

 だからゴールデンウィーク中に2人きりで花見をしたんだ。


 夜になってからお互い家を抜け出して、学校近くの桜並木の木の下で、ジュース片手にカンパイなんて言って。大人のマネゴトして。

 そんで俺が言ったんだ。


 ――俺たちが大人になって、またこんな不思議が起きたら、初夏の桜の木の下でお酒をもってカンパイしようぜ。


 ――きっとこんなのキセキに近いから、それができたら、きっと俺と千恵は運命の相手だよ。結婚しよう。


 そしたら千恵は俺に笑って。


 ――わかった! ウチずっとその日を待ってるわ!


「あっ! あー! あれか!! お前! まさかあの時の約束覚えてたのかよ!」


「そうや!! ばか! やっと思い出したんか! ……ばか」


 潤んだ瞳が俺を見つめている。

 そうか、約束をずっと覚えてて、つまり千恵は、俺のことを。

 まずい。なんか胸がドキドキしてきた。


「……なー。こんなウチじゃダメか? おっさんみたいやし、ワガママやし、うるさいし、ええのは面だけの女やと、だめ?」


 そう言って千恵はその顔を腕に隠した。千恵がこんなに自分を卑下することは初めてだった。


「……」


 何も言葉が出てこない。俺は千恵のことをホントはどう思っているのだろう。


「……なーんてな。ジョーダンやジョーダン!! 子どもの頃のことをハタチ越えてマジに考えるわけないやろ!?」


 千恵がいつもの調子で笑顔になって、手にぶら下げていたビール缶を一気に飲み干した。


「さ、飲も飲も! 花見はできんけど月見ができるわ!」


「……いや、花見をしよう」


 俺はすっかりぬるくなったビールの蓋を開けた。なぜかさっきより冷えたように感じる。

 きっと今なら美味しく飲める。


「はぁ? なんなん、そんなに女の子紹介されたいんか」


 画面の中から千恵が睨んでくる。これは本気で切れてるな。


「まあな。桜も見つけたし、いいだろ?」


「……なにゆうてんの?」


 怪訝な顔をした千恵に、俺はスマホに指をさして答える。


「ほらここに。キレイな色した桜が咲いてる」


「……あっ」


 千恵が前髪を手櫛で整える。ピンクの髪が瞳と揺れた。


「……ええの?」


 不安そうに聞いてくる。


「ああ。忘れっぽくて山育ちのダサ男でよければ。――そのちょろい子に紹介頼む。絶対落とす自信あるぜ」


「ふふっ、あほ。――期待しといて。めっちゃ可愛くて一途な子やねん」


 そう言って千恵が笑う。スマホの小さな画面の中に、桜の花が満開に咲いた。


「そりゃ楽しみだな。――カンパイ」


「カンパーイ!!」



 そんな感じで、俺たちの関係は動き始めた。

 2020年、初夏の季節に、逆らう花見もいいもんだ。

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