第187話 前略、目的と思い出と

「さーーーって、帰ろうかな」


 今日も疲れた。伸ばした身体が小気味の良い音を鳴らす。

 まだ終わらないけど、一仕事は終えた。少しゆっくりしたいけど、アッチも用事があるんだろうけど。


 それでもできるだけ、最初の待ち合わせ時間を守りたいと思うのは普通の事だと思う。


「ん……」


 茜色。

 昔、色の図鑑みたいなもので見たものより、明るく見える空の色。あたしの嫌いな空の色。


「…………ちょっとだけ、ね?」


 誤魔化すように。

 誰に、自分に、待ち合わせている人に。


 光源を探す。

 遮られてる、壁?うん、壁だね。


「ここって頭の方……だよね?」


 そういえば亀の全体はよく見てなかった。

 こんな壁あったかな、でも…………


「登ればよく見えそう」


 壁に手をかけて…………かけてみたいんだけど。


「ヌルッ、とする」


 んー……ヌルッ、と。

 手がかからない。困ったなぁ、回り道しようにも壁の端が見えない。


「んん?」


 おかしいな、壁が動いてる気がする。

 気がする、じゃない。動いてる。もぞもぞ?もこもこ?窪んでへこんで、飛び出てきて。


「階段……?」


 登っていいのかな。

 足場がある。人一人分の幅で、多分壁の上まで。


 時間もないので、ほんの少しの好奇心と一緒に登ることにした。


「わーーお……」


 登るにつれ、風が強くなる。

 登るにつれ、光に近づく。


 前には一面のオレンジ、少し下には……


「はじめまして、かな?」


 亀。顔……は見えないけど、やっぱり生き物だった。

 頭、大きな木が一本、あと…………んん?


「あっ、足」


 が滑った、まで言えなかった。

 覗き込んだ表紙に滑った、なんかヌルッ、としてた。


「…………どーしよ、二択」


 慣れてる、慣れてるんだけど。

 んー…………ブーツ、残量なし。魔力、すっからかん。


「まぁ、いっか」


 ちょうど汗も流したかった、頭だけ守れば大丈夫。

 そんな軽い気持ちで、あたしは小さな水溜り……池、かな?池だよね。とにかくそこをめがけて落ちていった。




「おっと……ごめんね」


 バチャバチャバチャ、落ちた池の先客……じゃないか、住人達がはしゃぐ。

 水の弾けるような音はなんとも心地がいい。

 

「……そういえば亀って近くで見る機会なかったかも」


 小さな亀達は池から這い出る勢いで、夕陽に向かってバチャバチャバチャ。

 あたしは池の端。大きな木の陰で、足だけ浸かりながら同じ方向を見る。


「…………うん、悪くない」


 もう、嫌じゃない。

 好きかと聞かれたらちょっと困るけど。悪くない、それも心から思える。


「電車の方はまだ克服できそうもないけどね」


 だってないから、仕方ない。


「んー……お母さん、でいいの?」


 首がヌッ、と動いて、大きな大きな亀と目が合う。

 あら、意外とつぶら、美人さんだねぇ。この子達のお母さん。


「ごめんね、何年も背中でバカやっちゃってさ。もう全員引きずり降ろしたと思うからさ」


 言葉は通じないんだろうけど、言わない理由もない。


「なにが目的でここに来てるのかは知らないけどさ、来年も来てくれると嬉しいよ。アレが食べられないのは、ちょっと損失が多すぎる」


 なくしちゃいけないものって、あると思う。

 個人的に、これは絶対そう。


「んー?」


 亀の視線。

 あたしよりちょっと上…………上?

 上には木しかない、それとも壁っぽい甲羅の隆起になにか?

 

 見上げてみたら、何かがヒュー、っと。

 顔に当てる理由もない、とりあえずそれをキャッチしてみる。


「ん、リンゴ」


 今日一日、コレの為に頑張った。

 このリンゴをみんなが食べれるように頑張った。あと一つの家庭の問題的なのの為にも。


「食べていいの?」


 返事はない、当たり前か。

 でもいざ目の前にすると抗いがたい、そういえばお腹も空いてる。

 厚意を無駄にするわけにもいかないよね。

 

「それじゃあ、いただきます」


 軽く拭いて、齧る。

 労働のあとだからかな、いつもより何倍も美味しく感じる。実際に美味しいのかな、採れたてだし。


「あれ、種ないや」


 芯もない、変なの。

 まぁ、いいやなら全部食べちゃえばいい。


「あーーー…………」


 囓る手を止めて、茜色。

 温かい色をした太陽が海に溶けていく。


「なるほどなぁ…………」


 多分だけど、きっとだけど、憶測だけど。

 コレを見に来たんだよね。


 こうゆう、ありふれてるけど自分にとってどうしょうもなく大切な。

 いつか誰かと見たような、そんな光景を。そんな思い出を。


「来年、またリンゴ狩りをイベントとしてやるならお昼過ぎには終わらすように言っとくよ」


 自分の子供とか、あときっと街の人とかと。

 もしかしたら昔はそうだったのかも、街の人と見た景色。一緒に見た茜色の太陽が溶ける海。

 

 いつからか街の人は忘れてしまったこと。

 だけど毎年毎年、来てくれてのかも。いつかまた、誰かと見たくて。


「まぁ、妄想だけどね」


 だけど、自分にとっては同じものなんてない、そんな景色を見に来たなら。

 邪魔しちゃいけない、許されるのは同じものを見る事だけだ。


「ん、もう行くの?」


 また、目が合う。

 そこにはうっすらと涙が浮かんでるように見える。


「そっか。まぁ、気が向いたらでいいからさ、また来てあげてよ」


 少しは良い思い出を作れたかな。

 分かんないや、また来てほしいけど。迷惑かけたのも事実だしね。


「お前達も、お母さんみたいに大きくなるんだぞ」


 名残惜しいな、あたしも約束があるんだけどやっぱり名残惜しい。

 多分、なんとなくだけど、言葉とか気持ちが通じるならもう少しゆっくり話したかった。


 そしてもっと贅沢を言うなら一緒に来たかった。


「うん。ありがと、またね」


 やっぱり別れの挨拶はまたね、だ。

 あたしがまた会うことはないだろうけど、できない約束だけど。


 悪くない。

 やっぱりさよならよりは良い言葉だ。


「さって、どうやって帰ろうかな」


 回収してもらおうにも煙玉は使い切ってるし……どうしようかな? 

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