闇の眷属、俺。-進化の階梯を駆けあがれ-

山口遊子

第1話 ゾンビ?


 昼休み。日差ひざしの強い地上うえの通りを避けて地下通路を歩いていると、いきなりおれの体がおかしくなった。


 具体的にはドクドクと胸の鼓動こどうが高まり、急に目の前が暗くなった。周りの音も聞こえない。そんな中で俺の体がゆっくりと前のめりに倒れていくのがなんとなくだが分かった。


 ゴキッ!


 耳で聞いたわけではないがみょうに生々なまなましい音を感じた。


 どこかの骨が折れた音だと思う。地下通路のゆかは硬そうなタイルだったからな。だというのに全く痛みを感じないし、さっきまで高鳴たかなっていた鼓動こどうも今は感じられない。


 あれ、高鳴たかなってる以前になにも鼓動こどうを感じない。いや、さっきからして息もないような気がするし、今もしていない。俺って一体全体どうなったんだ?


 真っ暗になって何も見えなくなった視界しかいが、少しずつ明るくなってきた。俺の体は前のめりに倒れてうつぶせになっているようだ。俺はゆかの灰色のタイルを間近に見ている。


 なんだか俺の体がおかしな状況になってしまった。


 とはいえ、こんなところに寝ているわけにはいかないので、立ち上がろうと、両手をついたところ、左手は何ともないようだが右手がうまく動かない。


 首を曲げて右手の様子ようすを確認するとなんだかあらぬ方向に曲がっている。上腕部じょうわんぶでぽっきり骨が折れてるようだ。幸い複雑骨折ふくざつこっせつではないようで骨が肉を突き破ってはいない。


 どうもうまく起き上がれない。仕方ないので、うつぶせからせめてあおむけに寝っ転がろうと左手だけでわしゃわしゃしていたら、近くにだれかが通りがかったようだ。


「たいへん。人が倒れて苦しそうにもがいてる。救急車、救急車!」


 足音からするに、周りに人が集まって来たようだが、うつぶせのままなので良くはわからない。ただ、すこし先に、男物の靴や女物の靴が目に入った。


 この感じだとかなりの人が集まって来たようだ。このままわしゃわしゃしていると苦痛くつうでもがいているように見えるらしいので、おとなしくうつぶせのまま寝たふりをすることにした。実際うまく動けないわけだし、右腕は折れているので自力復帰じりきふっきはあきらめ救急車を待つほうが利口りこうだ。


 骨が折れても全く痛くないのが不思議ふしぎだが、これはこれでありがたい。


 しばらく眼をつむって寝たふりをしていたら、ガチャガチャ音を立てて救急車用のストレッチャーを運ぶ足音が近づいてきた。


「だいじょうぶですか? 聞こえますか? ……反応がないぞ!」


 よーく、救急隊員さんの声は聞こえているのだが、なぜだか声が出ない。


「呼吸は? ……、呼吸してないぞ」




「おい、脈がないぞ。AEDは持って来てるな。すぐ、始めるぞ、胸をはだけてくれ」


「ここでですか?」


「バカ者、命がかかっているんだ!」


 うつ伏せからあおむけに寝かせかえられ、ハサミか何かで上に着ていた衣服が切られ、上半身がはだけた。


 そのあと右の鎖骨さこつ下と、左の肋骨ろっこつ下に何かを貼られたようだ。少し冷たい。冷たいは感じることができた。


「いくぞ!」


 ドーン!


 実際の音はしなかったがそんな感じで俺の体がのけぞり一瞬浮き上がった。


 そして今度は、大柄な救急隊員が俺の体の上にまたがり、両手をみぞおちより少し上あたりに当てて体重を乗せて思いっきり押してきた。


胸骨圧迫きょうこつあっぱく、1、2、3、……、29、30」


 バキバキッ! 肋骨ろっこつ、2、3本折れたな。


「次、気道確保きどうかくほ、人工呼吸、フー、フー」


「……だめだ、もう一度いくぞ」


 バキバキッ!


 また、2、3本いったな。


 ドーン!


……


 同じことが4、5回繰り返されたが、俺の心臓は再起動さいきどうしなかったようだ。というか、俺の心臓はずうっと止まっていたようだ。


「どうだ、蘇生そせいしたか?」


「ダメです。蘇生そせいしません」


「ダメだったか。仕方ない、上に毛布を掛けて、とりあえず近くの受け入れ先に搬送はんそうしてしまおう」


 あれ、俺って死んでるの? 心臓は動いていないがどぎまぎしてると、二人がかりでストレッチャーに乗せられ、地下道から上の道路で待つ救急車に運ばれた。サイレンつきで搬送はんそうされた先は、以前お世話になったことがある大学病院のようだ。


 ガチャガチャとうるさく音を立てるストレッチャーで運ばれ、救急室のベッドに移された。すぐに、やって来た担当の医師が俺の左手首のみゃくを確認した後、まぶたを広げライトをつけて瞳孔どうこうを確認し、首を振ったように見えた。


 医師が、救急隊員たちに何か言うと、彼らは救急室から出て行ったようだ。


 俺は、医師に死亡を確定されたらしい。


変死へんし扱いだから、司法解剖しほうかいぼうが必要か。解剖かいぼう室まで運んでしまわないとな」


 医師がどこかに連絡したようで、しばらくすると二人ほど緑の服を着た男の人たちが別のストレッチャーを持って部屋に入って来た。すぐに俺をそのストレッチャーに移して運んで行った。一度、エレベーターに乗ったので、どこかほかの階だと思う。


 このままだと、解剖かいぼう室送りだ。医師が俺を診ていた時、手足を動かしてみれば対応も変わったかもしれないが、頭が状況の変化について行かず、じっとしていたのがまずかったかもしれない。


 搬送中のこの状態で死亡認定しぼうにんていされた俺がここにきていきなり動き始めてしまうとそれはそれでおかしなことだからと思い、このままじっとしていることにした。


 運び込まれた部屋は、教室ほどの広さの部屋だと思う。ストレッチャーからベッドの上? おそらくは手術台しゅじゅつだいに移しかえられたあと、頭から足にかけて白い布がかけられた。それで布しか見えなくなってしまった。


 俺を運んだ二人は部屋を出て行ったあと照明を消したようで辺りは暗くなったことが布越ぬのごしにわかった。


 自由のきく左手で布をはだけ、手術台のわきに手をついて四苦八苦しくはっくしながらなんとか起き上がることができた。あー、やっぱりここは解剖かいぼう室だわ。


 手術台の脇にかなりの数のメスや名前の分からない刃物や器具が並んだ台が置いてあった。ノミやノコギリやハンマーは見なかったことにしよう。


 いくら痛みがない体だからといって、意識を持ったまま解剖されたくはない。ここは逃げの一手だ。なんとか手術台から足を床につけ、立ち上がった俺の姿はまるで生けるしかばね、ゾンビだ。


 AEDのために上に着たものがハサミのような物で切り裂かれているため、みょうに雰囲気ふんいきが出ている。折れた右腕がだらりとぶら下がり、肋骨ろっこつが折れているため不自然にへこんだ右胸は、われながら痛々しいというか不気味ぶきみだ。


 よろよろと出口に向かって暗い部屋の中を歩いていると、いきなり解剖室かいぼうしつの照明が点灯され、扉が開いた。


 「……」


 俺を視界に入れた侵入者。恐らくは女性の看護師さんが息を飲んだ。それは、びっくりするだろう。解剖予定の死体が歩いてるんだ。


 一拍いっぱく沈黙ちんもくの後、おもむろに、


「キャー!」


 これもお約束の大音量だいおんりょう高音程こうおんていの悲鳴を残し、その看護師さんが走って逃げて行った。


 そうこうしているうちに廊下の先から、ドタドタと大勢の人がやってくる音がしはじめた。


 俺って、これからどうなるの?





[あとがき]

一次救命処置についてのご指摘があり若干修正しました。

一次救命処置は救急車が来るまでの周りの方の救命処置ですので、

いざという時のため、一次救命処置の手順:http://www.jrc.or.jp/activity/study/safety/process/ などいちどご覧になってください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る