されどペルセウスは降る

回めぐる

第1話

「流星群を見に行こう」

 と、遠影くんは言った。オリンピックが中止になったせいで、予定していたボランティアが丸潰れになった、という私のぼやきに聞き耳を立てていたらしい。

 隣で駄弁っていた友人はもちろん、教室に残っていた他のゼミ生たちも、目をぱちくりとさせて私たちを見た。私と遠影くんが仲良く喋っていることに驚いているらしい。

「流星群?」

「そう。ペルセウス座流星群。毎年、ちょうどお盆頃に見えるんだ。三大流星群の一つで、一度にたくさんの星が尾を引いて飛んでいく。すごく綺麗だよ」

 一言訊き返しただけで、倍以上の情報が返ってきた。遠影くんはいつもと変わらない真顔だが、眼鏡の奥の瞳にはきらきらと星が散っていた。

「ふうん。それ、いつなの?」

「極大は八月十三日の午前中なんだけど、昼間に星は見れないからね。十二日の夜か、十三日の夜かな。どっちにするかは天気次第で決めようと思うから、もし良ければ空けておいてね」

 言いたいことを言い尽くした後は、「それじゃあ」とあっさり去っていった。遠影くんが出て行って、ばたん、と教室の扉が閉まった瞬間、友人は顔を引きつらせて問い詰めてきた。

「水夏、遠影くんと仲良かったの?」

「あー、うん、まあまあ」

 友人の顔には「あの根暗と?」とはっきり書かれていた。

「しかも星を見に誘うって、絶対に水夏のこと好きじゃん」

「いや、それはない」

 誤解を招く前に否定しておくが、友人の目は疑わしげだった。

 そりゃあ、私も一度はそう勘違いした。あの地味で無口で静かな遠影くんが積極的に私を誘うなんて、まさかそういうことか? と。しかし、そんな勘違いは一瞬にして霧散した。彼はただ、星が好きなだけなのだ。一緒に星を見て、「綺麗だね」と分かち合える人をたまに求めたくなるだけで、下心の類いは一切ない、と思う。


 夏休みに入って数日経った頃、唐突に携帯の着信音が鳴った。

「松原さん、久しぶり。暇ならこれから買い物に行かない?」

 冷房の効いた部屋でごろごろしていた私も、さすがにこれには飛び起きざるをえなかった。星を見ると約束した日はまだ先だ。それなのに買い物に行くとは、やはり遠影くんは私に気があるのか?

「ホームセンターに行こうと思うんだけど」

 飛び起きかけた体ががくっと脱力する。やっぱり今日も遠影くんは通常運転だった。

「いいよ、行こう」

 待ち合わせ場所と時間を取り付けて、通話を切る。手に取った私服に手早く着替えて、家を出た。

 昼下がりの日差しは凶悪だ。夏は色濃くなって街を照りつけている。折り畳みの日傘を差して駅まで急いだ。

 街は夏休みまっただ中だが、なんとなく白けた雰囲気が漂っている気がした。本当だったら、今の時期にはオリンピックが開催されて、外国人観光客でごった返している予定だったのだ。それが全て流れてしまえば、仕方がないのかもしれない。

 電車に三十分揺られると、待ち合わせの大きな駅に着いた。メインの改札からは反対方向で比較的人通りの少ないので、待ち合わせにはちょうどいい。白い半袖シャツにジーパンという、人混みに埋もれてしまいそうな格好の彼は、私に気付いて手を振った。

「おはよう、突然なのに来てくれてありがとう」

 伸ばしっぱなしと思われる黒髪は、夏に似合わず暑苦しい。遠影くんは、暑い季節は似合わない人な気がする。

「で、買い物って、何を買うつもりなの?」

 遠影くんは真剣な顔を頷いた。

「松原さん用に、天体観測キットを作ろうと思って」

 なんだそれは。

 遠影くんはそれだけ告げてすたすたと歩き出したので、とりあえずその後を追うことにする。しかし、頭の中は疑問符で満ち満ちていた。天体観測キットって、まさか望遠鏡を買わされたりするのだろうか。いや、ひょんなことから遠影くんと星を見にいくようになってからというもの、私自身も少し楽しくなってきているので、買うこと自体に抵抗があるわけではない。でも、望遠鏡の相場は一体いくらくらいなのだろうか。人前で財布を覗くなんて真似は恥ずかしくてできず、私は必死に頭を捻って所持金を思い出そうとしていた。

「あの、ATM寄っていい?」

 振り返った遠影くんは、数度瞬きをしてから、首を横に振った。

「僕が勝手に買おうとしてるだけだから、気にしなくていいよ」

 なんだそれは。

 つまり、遠影くんは自腹を切って私に道具を拵えようとしているということか?

 なんだかよくわからないが、もう考えていても無駄な気がしてきて、素直に付いていくことにした。遠影くんの隣に並ぶと、小さくこちらを見た遠影くんと目が合った。

「松原さんは、ペルセウス座流星群って見たことある?」

「ないよ」

「そう。ペルセウス座流星群は天気が良ければ毎年日本で見れるし、はっきりとたくさん見えるから、初心者向けの流星群なんだ。小学生の自由研究にもよく使われるくらいの」

「私は小学生レベルって言いたいの?」

 意地悪な言い方で訊き返すが、遠影くんはさらりと受け流した。

「うん。小学生レベルになろう。そっちの方が楽しいと思うんだよね、今回は。上級者は流星の数を数えたりするんだけど、それよりも童心に帰って純粋に楽しみたいなと思って」

 それどころか少しわくわくしているようだった。キャンプみたいにやろう、と軽い足取りでホームセンターに吸い込まれる。

 中に入った瞬間、ひんやりとした空気に全身を包み込まれた。首筋に浮いていた汗がすっと引いていく。

 隣の遠影くんはきょろきょろと売り場を見回しているところだった。

「望遠鏡って、ホームセンターに売ってるの?」

「……え?」

「え?」

 眼鏡の奥の目と見つめ合ったまま沈黙が落ちる。しばらく経った後、合点がいったというふうに、また首を振った。

「買わないよ」

「え?」

「望遠鏡は、いらないんだ。ペルセウス座流星群には。だって肉眼で見えるからね。遠い空で星の命が燃え尽きる瞬間を、直接この目で見れるなんて、よく考えるとすごいことだよね。自分の目に星が映り込むんだよ」

 目を細めてうっとりとしているが、私からしてみれば、普段から遠影くんの目には星が瞬いていると思う。星の話をしている時なんかは特に、一際きらめいている。

「じゃあ、何買うの?」

「まずはランタンを探そう」

 アウトドア用品売り場の一角には、大小様々なライトが並んでいた。勧められた小さなライトの見本を手に取る。ポップアップ式で、折り畳むと掌サイズになるらしい。

「あまり大きな光はいらないんだ。そもそも使うのは、観測地に向かうまでの道中だからね。光に目が慣れちゃうと、星がよく見えなくなるんだよ」

 これにしよう、と即決して、手近にあった買い物カゴを掴み放り込んだ。見た目に反して意外と大胆に買い物をするタイプなんだな、と感心する。

 次に向かったのはすぐそばの寝袋コーナーだ。

「星を見ながら寝転んで、気付いたら夢の中にいた、なんて最高に気持ちが良いと思わない」

 遠影くんの感覚は独特すぎていつもは賛同しかねるのだが、今回は私も頷いた。夜風が頬を撫でる中、星の天井を眺めながら眠りに落ちるのは、想像するだけでなんだか気持ちが浮き足立つ。

「どれがいい?」

 促されて売り場に視線を走らせた。カラフルで色々な形の寝袋がずらりと列を成している。中には全身タイツのような人型寝袋なんてものもあった。顔の部分まですっぽりとファスナーが閉まるらしい。銀行強盗みたいだと言うと、「僕もこれ持ってる、青いやつ。おすすめだよ」と真面目な顔で答えるので、耐えきれずに吹き出した。

 結局、一般的な形の寝袋でピンク色のものを選んで、カゴに突っ込んだ。一口に寝袋と言っても、学生でも手が届く安いものもあったので助かった。

「あとはコンパスとか双眼鏡とかがあったら便利だけど、それは僕が貸せるし絶対必要なものじゃないから。寝転ぶ時に使う銀シートは絶対必要だけど」

 遠影くんの細い指が、太い筒状に巻かれた銀シートを示した。蛍光灯の光が反射して、表面がてらてらと光っている。

「これも、僕のを一緒に使おう。二人分くらいの広さはあるから」

 遠影くんは、隣を分けてくれるつもりらしかった。

 ゼミで顔を合わせても、挨拶もせずに通り過ぎる関係だった遠影くんと、「たまに星を見に行く間柄」なんていう奇縁を持ってから早数ヶ月。私と遠影くんは対極にある。性格も、趣味も、友人関係も全然違う。天文サークルに所属している遠影くんには、私よりももっと星に詳しい友達だっているだろうに。

「なんで遠影くんは、私と星を見に行ってくれるのかね」

 ぽつりと口に出た呟きに、遠影くんが振り返った。半ば独り言だったので、拾われたことにぎくりとする。遠影くんは私を見やって、小さく首を傾げた。

「なんでって、松原さんと見ると楽しいから。逆に松原さんは、なんで僕の誘いに乗ってくれるの」

 その問いかけに私は固くなって動けなくなってしまった。知り合い以上友人未満の遠影くんの誘いに乗る理由。遠影くんが私を誘ってくれることを嬉しく思いながらも、その訳を深読みしたりする理由。それは――

「あ。でも強いて言えば、松原さんが暇そうだったから誘ったかな」

 一気に脱力した。高まった私の気持ちを返してほしい。恨めさをぶつけて睨みつけるが、遠影くんには伝わらなかった。

「ほら、オリンピックがなくなっても流星群はなくならないからね」

 薄い唇の端が微かに吊り上がった。

「流れ星は宇宙の塵。いくら燃え尽きてもなくならないくらい、たくさん空を泳いでる。何があっても星は降るよ。絶対に」

 四年に一度しか来ないお祭りを待つよりも、絶対に毎年来る星を待つ方が僕は好きだよ、と笑った。眼鏡の奥の星が得意げな色できらめいた。あまりに綺麗な星だったので、しばらく言葉を失ってしまった。それが悟られるのが悔しくて、買い物カゴを奪って早足でレジへ向かう。どうしたんだと後ろから尋ねてくる遠影くんに、振り返らないまま返事をした。

「自分で払う」

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