49食目 真昼の炎

 宿へと戻った私はノエルの帰りを一人で待っていた。窓辺へ椅子を持って来て頬杖をついて外の様子を眺め、ノエルの姿が現れるのを待つ。


 ソフィさんやカイさんにも会いたかったな。ディオンから元気にしてるとは聞いたけど、やっぱり会って話したいわ。


 あれから、ディオンは宿まで送ってくれると早々に去ってしまった。アルフレッドとの仕事を進めるらしく、ソレイユの街へ帰るのだそう。この仕事というのが、ムスペル国に店を出すことらしいのだが花咲く甘露亭のような接客特化の飲食店らしい。

 ディオンはああ見えて、意外にも野心家で仕事に精力的だ。


 アルフレッド……アルさんがムスペルの前国王だなんて思いもしなかったわね。普通のお爺さんみたいな雰囲気だったもの。そんな人と繋がりのあるディオンはすごい人なのかもしれないわね。


 ディオンの話しによると、アルフレッドは国王の座から退いたものの、政の精査や商売事にも尽力しているらしい。何故ならムスペル国の王子が行方知れずで王家の者がやるべき仕事が回らないからだそうだ。


 ディオンはこんな他国の内情を軽々しく話して大丈夫かしら……。


 一瞬心配になったが彼なら大丈夫だろうという信頼がある。

 黒影鷲は悪い話を耳にすることも多い。しかし本当にその話のすべてが真実なのか、私は疑問を感じている。実際に彼を知れば知るほど、強盗をしたり犯罪を犯す悪人には見えないからだ。私の住む塔を襲ったのも何か理由があるはずだ、そんな気がしてならない。


 表から見える部分がその人のすべてではないのはわかってる。仲良くなった人を悪く思いたくないだけなのかもしれないけれど。


 ぼんやりと流れていく人並みを見ていると、向かいの建物の影にちらりと目立つ色が見えた。

 燃えるような深紅、深淵の炎のごとき赤。それに見覚えがあった私はハッとしてその色を目で追った。

 そもそも色彩豊かなこの街でも目立つ色ということは、色だけではない存在感があるからだ。身体中の血が一気に巡り、ぼんやりしていた頭と目が覚める。

 私は転がるように部屋を飛び出し、宿から出て建物の影へと走った。人にぶつかりながら、謝りながらあの忘れがたい赤を追った。


 間違いない、あれは教会で見た赤い髪の人……!


 自分でもわからないが彼を追わなければと脅迫めいた感情が押し寄せる。

 路地裏に入り、太陽の差し込まない道を進むとこちらに背を向けて立つ彼がいた。私は乱れた呼吸を必死に整える。

 立ち止まっている後ろ姿は長めの赤髪がよく映えた。彼は白いマントを翻してゆっくりとこちらを向いた。


「やっぱり気付いてくれた。嬉しいよ、ここまで追いかけて来てくれたんだね」

「よく見えるところにいたから。貴方からも私がよく見えたでしょう?」


 この人は私が追いかけるとわかって、私の視界にわざと入り込み人の気のない場所へ誘ったようだった。


「貴方は誰? どうして私を知っているの?」

「……なるほど、本当に何も記憶にないんだ。わかってはいたけど悲しいな、あれから思い出してくれると思ったんだけど。でもいいよ、教えてあげる。俺の名前はクラウス・ダウム、今はそう名乗ってる」

「クラウス……ダウム……」


 その名前に聞き覚えはなかった。そしてクラウスと名乗ったこの人の物言いは引っ掛かるところがある。


「今はってどういうこと?」


 私は何かを……彼を忘れているの?


 自分が記憶喪失になっているとは思えないが、彼の言い分によれば私はこのクラウスという人物を忘れてしまっているらしかった。


「そのままの意味。これが今の俺の名前。そうだね、昔の名は忘れてしまったけど一つだけ覚えている名がある。知りたい?」


 笑顔の裏に見える歪み。意地の悪い聞き方に私は強い口調で返す。


「……えぇ、教えて」


 しかし彼は私の怒気も涼しい顔で流した。


「君が俺を思い出したらね、レティシア。いずれ思い出す」


 会ったこともない人を思い出せ、なんて無茶苦茶だ。でも、どこか懐かしい感覚がするのは本当に会ったことがあるからかもしれない。


「さて、君との逢瀬もここまでだ。俺も忙しくてね。もし、良ければなんだけど……」


 クラウスは微笑み、こちらにゆっくりと手のひらを差し出した。


「俺と一緒に来ない?」

「行かないわ」

「そうだよね、仕方ないな。君は優しいから捨てられないんだね」


 まるで断られることを予測していたように、柔和な笑みを浮かべたままだ。私は彼への警戒体制を崩さずいつでも逃げ出せるように身構える。


「……君は自分がどのような存在なのかまるでわかっていない。今はお気楽に過ごしているみたいだけどこの先……君の行く道の先、必ず思い知らされる」


 いつの間にか街の賑やかな喧騒はなくなり、静かな空間に彼の穏やかな声がよく響いていた。まるで私達のいるこの場所だけ切り取られたように。


「どういうこと。さっきから訳のわからないことばかり言って……!」


 彼は私の質問をまともに答えるつもりがないらしい。ふつふつと込み上げる怒りの感情を必死に抑える。そんな私を見て、クラウスは恍惚とした表情で祈るように手を組んだ。


「あぁ、あぁ……! 怒った君も素敵だ。憤怒の感情……塔に閉じ込められていた抑圧を払拭して得た美しい感情だ」


 怒った姿を嬉しがるなんて趣味が悪い。背筋がぞわぞわする。


「貴方、やっぱり私の素性を知っているのね。何が目的? もうこれ以上私達に構わないで!」


 塔にいたのを知っているということは私が王女であることも知っているだろう。それを密告などされては堪ったものじゃない。


「それは出来ないよ。だって俺は―――」


 言い掛けるとクラウスの視線が私の後ろへ流れた。先程の微笑みとは反対に、その整った顔に冷酷さを滲ませると、マントを翻して背を向けた。


「今日のところは帰るよ。また会おう、愛しい人―――」

「あっ、ちょっと……!」


 引き留めようと手を伸ばすがそれは空を切る。クラウスは瞬く間に消えてしまった。


 教会で出会った時と同じ魔法……。


 遠くなってしまっていた人の賑わいもいつの間にかすぐ近くで聞こえていた。さっきまで違う世界にいたみたいな感覚だ。

 もう誰もいない路地裏の向こうを見ていると、不意に背後から声をかけられる。


「こんなところで何してるの? お姉さん」


 振り返ると、アレスとべレスが少年の姿で立っていた。普段は可愛らしい女の子の姿でいるせいか妙な気分だ。未だに見分けのつかない双子の少年達は、私の手を取って路地裏から引っ張り出してくれる。


「路地裏は怪しい人も多いからさ、僕達と宿に戻ろう?」

「え、えぇ……そうね」


 なんて言えばいいのか言葉が出ない。この子達はクラウスの姿を見たかしら。


 黙りこくる私の両手は思っていたよりも大きな少年の手にしっかりと握られ、力強く元の道へと連れ戻された。

 人混みを掻き分けて宿へと向かう。どこにも迷わずに。


 私みたいにフラフラしないのよね、この子達。


 気持ちも行動も真っ直ぐな彼らに心が救われる。


「ありがとう」


 そう言うと笑顔で頷いてくれた。


「なんかさ、疲れてるみたいだからゆっくり休もうよ」


 アレスだろうか、それともべレスか。呼び合ってくれたら見分けられるのにと思う。


「ちょうど仕事も落ち着いたしさ。休憩、付き合ってよ。ね?」


私は静かに頷いた。さっきのことを考える余裕もないくらいに心が疲れてしまったようだ。


 今日は早く休もう、これからノエルが帰って来たら支度を手伝ってすぐに街を出発出来るようにして……。


 ぼんやりとこれからのことを考えながら、私は宿へと帰還した。まだ真昼の太陽が出ているのにどこか鬱々とした気持ちのまま。

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