蛹の姫

摩頂みなみ

第1話

 その女魔導士は、生まれた時からただ魔導士であるだけの存在だった。

 母の顔も父の声も知らず、ただただ常人には見えないもの、聞こえないものを追う生活を送っていた。寂しく厳しい暮らしだったが、そうではない暮らしというものを彼女は知らなかったので、別段寂しいとは思っていなかった。

 古くて長い歴史を持つその帝国では、魔道の技は権力者の為にあった。帝国のどこかには、学究的な意義や公益への貢献などを魔道に見出して、探索や研究を行う者たちもいないではなかったが、数少なかった。

 彼女が属する魔道の組織はこの国の皇族や貴族高官たちのためにあって、魔導士は彼らの血みどろの勢力争いに千何百年余寄生し続けてきた。

 その女魔導士の所属する組織は、彼女以外にも多くの魔導士を抱えていた。まつりごとの裏の部分に非合法に携わる仕事なので、女魔導士は組織では低級な存在として扱われた。

 要するに仕事の内容は色仕掛けが主であって、彼女も十六才の時、某貴族の屋敷に献上品の一つとして着飾られて送り込まれた。彼女は魔道の幻を相手として房中術を覚えさせられていた。その貴族の所有物になって、城内の様々な情報を集めるという「簡単な任務」だったが彼女は失敗してしまった。彼女はべつにこの任務が嫌なわけではなかった。そもそも嫌だという感情も無かった。

 生まれてまだ十六、七年しか経っていない若い彼女はそこそこ美しかったし、貴族の男もそれなりに彼女を気に入った。しかし女魔導士は絹の豪奢な夜具に嘔吐してしまい、潔癖なその貴族の男を怒らせてしまった。彼女はすみやかに撤収された。

 彼女の失敗は初めての任務ということで見逃された。初めてには失敗はつきものだから。しかし次に国境付近を守る某貴人の夜伽に遣わされたが、まったく気に入られず返された後は少々面倒なことになった。いろいろあって、彼女はそういう任務は不向きな種類の者ということになった。女魔導士はその性が利用できないのならば無用の長物で、彼女は以後単なる厄介者として扱われた。

 しかし使える範囲で彼女の隠花植物めいた容姿は利用されたし、多少聡い娘だったのでべつの仕事もなんとかこなした。

 依然として厄介者には違いなかったが、ほの暗い人外の世界で、彼女は彼女なりに生きていた。もっとも彼女にその実感はあまり無かった。

 彼女のいる帝国は、大陸のほとんどを占める古い強大な国で、その気まぐれと強欲で時々近隣の小さな国々を苦しめた。

 帝国の統治者である皇帝は、二十歳を過ぎたばかりで若かった。第五十二代目の皇帝は、政治よりも音楽の方に熱心だった。代わりに国政を切り盛りしているのは宰相だった。宰相は若い皇帝の信頼を得て、まずはこの大国の平和を堅守している。しかし能吏は理念が無いもので、彼はその例に漏れず裏では不正に蓄財し、彼に不利益をもたらす事柄や人物は完璧で狡猾な方法で排除されていた。しかし帝国は戦もなく、あったとしても都から遠く離れた辺境の地の話で、ただ毎日が無事に過ぎそれが一生続けばいいだけのことなのだ。だから、宰相の不正くらいは大目に見るべきだろうと、誰もが思っていた。

 しかし前皇帝の弟で、現皇帝の叔父にあたる若い大公にしてみれば、そのようなのんきなことは言っていられなかった。知らないうちに造反を謀ったとして追われることになったのだから。

 大公は現皇帝とそれほど年も変わらず、明晰な頭脳とたくましい身体を持ち勇敢である。明るくほがらかで気取らない人物で、誰からも好かれ、彼を知る者は彼こそが皇帝の位にふさわしいのではないかと思った。宰相の方もそれに全く同感だったらしく、であるからこそ、火の無いところに煙を立てるべく、いや立ったように見せかけるべく、苦労して画策したのだった。

 大公は母の故郷である草原の国で生まれた。兄である前皇帝が病死し、現皇帝が即位してすぐ隣国との境で戦があり、命のまま出撃してその戦を巧みに平定してしまった。

 宰相たち皇帝の側近として利権を貪る者たちは、半遊牧の草原の国で生まれ育った大公を、知能の低い体力だけの若者とたかをくくり、自分たちの陣営に引き入れようとした。自分たちの特権を武力の面で強化しようと思ったからだが、若い大公はよくよく知ると深い教養と鋭い洞察力を持っていた。ゆくゆくは、宰相の側に組するどころか、彼らや皇帝に対する不満分子を糾合してしまいかねないと、宰相はだんだんと大公のことを危険視するようになった。

 ある秋の朝、露に濡れた秋草を踏みしだいて、皇帝の禁軍が十重二十重に大公の屋敷を取り囲んだ。禁軍の旗、鎧、甲冑、房飾りなどはすべて濃紫で統べられているので、上から見たならば紫の薔薇のようだったに違いない。

 将軍の一人が、大公が帝位に野心を抱き造反を企んだ云々とその罪状を読み上げはじめたとき、聡明な大公は今日のことをすでに予測していたのか、さっさと城外へ逃亡してしまっていた。けっこう用意周到に準備したのだが、一番肝心なところで計画が失敗したので、宰相はただちに広大な帝国内に大公探索のため軍勢やら間諜やらを派遣しなければならなくなった。

 そうして気づいてみると、大公を取り逃がすよりもっと深刻な失敗を彼は犯してしまっていた。大多数の貴族や高官が、今回の出来事をこの宰相を失脚させる絶好の機会と考えはじめたのが分かったのである。自分を宰相の座から追い陥れるべく、すでに多くの者たちが動き出しているとの情報がいくつも彼の元に届いた。

 大公が即座に斬首されたというならこれまで通りだったが、まだ生きているということは自分の陰謀が暴かれるということになる。宰相としては、なんとしてでも大公を捕らえて処刑してしまいたかった。何しろ大公が謀反などまったく考えていなかったことは、宰相が一番よく知っているからであり、帝国の法に照らして、忠誠を誓うべき皇族を讒言した罪はけっこう重いと推測された。もしかして権力と財産を失うどころか、斬首されるのはこっちの方になるかもしれない。

 そんなわけで大公探索とその暗殺は、宰相の至上の命令として彼の配下の魔導士たちにも伝えられた。

 

 

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